全国の人物記念館を訪ねると、作家たちは必ず著作を並べています。
「テーブルに平置き」で並べているケースもありますが、「壁に本の表紙を見せて」、発表順、分野別に並べるのが一般的です。この方式は、著作数の多い司馬遼太郎記念館や、渡辺淳一記念館で見かけました。どちらも安藤忠雄の建築でした。私がよく訪問する世田谷文学館などでも、作家、漫画家などの企画展は同様のやり方でした。
また、作家だけでなく、編集者の場合は、手がけた書籍は事務所や自宅の「棚に背表紙」を見せて並んでいることが多いのを見てきました。作家も編集者も、作品はわが子同様に、自分が生きたしるしなのでしょう。
小説家や学者たちは学者たちも生涯の事績を「全集」や「著作集」、「作品集」という形で、集大成し、遺そうとしています。梅棹忠夫が60代を越えたあたりで失明した時、最初は「わが生涯は終わった、全集も出せない」と嘆いたことを思い出します。
版画の棟方志功は、「一柵ずつ、一生の間、生涯の道標を一つずつ、そこへ置いていく。作品に願をかけておいていく、柵を打っていく。この柵はどこまでも、どこまでもつづいて行くことでしょう。際際無限に」と心境を語っています。
本日の「名言との対話」の陳舜臣のことを調べていて、面白い写真に出会いました。彼の著作を立てて並べていました。まるで「墓標のよう」で、迫力強いで迫ってきて、厳粛な気持ちにおそわれました。
日本でいう一里塚、欧米で使うマイルストーンのようにどこまで来たかという距離を示すイメージで、みちしるべという意味で生きている間の道標とするという考え方。そして死の埋葬箇所に建てる目印の石や木の柱である墓標というイメージは、渾身の力で終えた作品と当時の自分を埋葬するというイメージがあります。
写真、絵画などの大型の作品や、彫刻など立体作品は、場所をとるために、記念館などにしないと全作品をみせるの難しいでしょうが、書籍の場合は、まだまだいろいろな工夫ができそうです。「展示学」という分野がありますが、このあたり、今はどうなっているのでしょうか。
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「名言との対話」2月18日。陳舜臣「ぶつかり合うと困難が生まれるが そこから取り入れるものが出来てくる しばらくすると素晴らしいものが 出来てくるという希望がある」
陳 舜臣(ちん しゅんしん、1924年2月18日 - 2015年1月21日)は、推理小説、歴史小説作家、歴史著述家。
1941年大阪外国語学校(現大阪大学外国語学部)印度語学科に入学、印度語(ヒンディー語)とペルシア語を専攻した。附設の西南亜細亜語研究所の助手となりインド語辞典の編纂作業などに従事する。終戦にともない日本国籍を喪失することになって将来の見込みがないと退職した。家業の貿易業に従事するが、1961年に37歳で神戸を舞台にした長編推理小説「枯草の根」で江戸川乱歩賞を受賞し、中国を舞台にした中国歴史小説で知られる作家となった。1967年、42歳で書いた「阿片戦争」、「秘本三国志」「小説十八史略」など膨大な著作群の中で五千年にわたる中国興亡の歴史を独自の視点で描き出して独特の領域を生み出していく。神戸を舞台にした推理小説「枯草の根」で江戸川乱歩賞を受賞。
司馬遼太郎とは大阪外語時代からの友人で、司馬の『街道をゆく 台湾紀行』はその友情で成立したものであることが、読むとわかる。陳舜臣の紹介で当時の李登輝総統と司馬の話が弾んだ。
本籍は台湾台北だったが、1973年に中華人民共和国の国籍を取得し、その後、1989年の天安門事件への批判を機に、1990年に日本国籍を取得している。陳舜臣アジア文藝館が2014年に神戸市中央区に開館。2015年、90歳で没。
陳舜臣『中国名言集 弥縫録』(中公文庫)を読んだ。 「びほうろく」と読む。「弥縫」から「有終の美」まで、104の名言が豊富な知識の下敷きのもとに解説されている。1項目は1600字で原稿用紙4枚ほど、それが一定のリズムで続いていく。この中の41項目を読んでみた。
「酒は百薬の長」「洛陽の紙価を高める」「賞は日をこえず」「四面楚歌」「柳眉を逆立つ」「君子豹変」「左遷」「破天荒」「読書亡羊」「禅譲」「杞憂」「宋襄の仁」「矛盾」「推敲」「圧巻」「典型」「杜撰」「泰斗」「背水の陣」「画竜点睛」「虎視眈々」「一衣帯水」など、目からうろこの名文を堪能した。
NHKアーカイブスで陳舜臣の発言を聴いてみた。「革命家の「大同」の思想。チンギスハンの宰相・耶律楚材。民族国家、、、」。この映像では、背表紙ではなく、膨大な著作群を墓石のように並べているのが印象に残った。
中国の近代は失敗の連続だったと語る陳舜臣。失敗だったからこそ学ぶべき点が多いという。そろそろ、そういう歴史からは卒業したいものだという。「ぶつかり合うと困難が生まれるが そこから取り入れるものが出来てくる しばらくすると素晴らしいものが 出来てくるという希望がある」。これは「正・反・合」の弁証法だ。陳舜臣の希望はいつ実現するのだろうか。
20世紀の民族国家の成立で民族や宗教による対立はさらに深まっている。力と力の対立では、勝負がついたようにみえるが、次の時代には逆転する。そういう争いを繰り返していいのか。歴史の教訓を学び、共存をめざしたいものだという願いを陳舜臣は歴史ロマンに込めて描き続けたのだろう。