深呼吸学部生による五條堀孝先生へのインタビューを聴くーーチャランポラン進化論

深呼吸学部生による五條堀孝先生へのインタビューを楽しく聴きました。以下、図メモ。橘川親分の助さん、格さんの、よく準備されたインタビュー。

f:id:k-hisatune:20210314055017j:plain

  •  科学者・研究者は人と違うこと、標準とずれることが大事だ
  • 科学者は世界を相手にして新しい生命観を提示していくのが役割。
  • サウジアラビアの1.8万人の人工都市にはコスモポリタンはいるが、歴史・文化を共有したコミュニティがない。自分を見直すと実は友達が少ないことに気がついた。
  • 富士箱根伊豆国際学会は楽しいコミュニティ活動だ。成果を社会に還元することで科学者は知的探求権(極端にトコトン知性を追求する)を与えられている。その社会とのコミュニケーションの装置、インターフェースがこの学会ととらえている。
  • 記念館(例えば太宰)など歴史的な遺産、最新鋭のロボット企業など地域の知的資源は豊富だが、その上で爆発力が欲しい。突破力、夢、創造力、発想力、、。
  • 正式な仕事の前後の時間で行うコミュニケーションで人間的なあたたかさを通じ合い、仕事自体も高め合うことができる。
  • DNAというものは実はチャランポランに進化してきている。胎盤もそうだが、外界を取り込むという営みを続けながら生き延びてきた。遊び、余裕、バッファーという寛容性の存在、それが生命のしたたかさだ。私のチャランポラン進化説を土台に、生命観、人生観、世界観を提示していきたい。38億年を生きてきたDNAはしたたかだ。
  • DNAのかたちは2.4万個あり、171兆存在する(ここは?)。そういった多次元の生命体の一つが我々人類であり、別の人類が誕生する可能性もある。生命の起源を宇宙の地球外生命体に求めることも必要だが、地球内部に存在する有機物が生命の起源であるかもしれない。まだ生命の起源は解明されていない。
  • 生身の人間としての「志」が必要だ。人間的な触れ合いが重要だ。参加型によるさまざまな人と情報を取り込んだ統合的な知が求められている。

ーーーーー

以上を聞きながら私が考えたこと。

  • 「全体知」。分断された知ではなく、歴史と地理、産官学民金、男女、民族などをつないだ全体を俯瞰する知が必要だ。
  • すぐれたアイデアを具体的な計画にまで落とし込む「構想力」が重要。それをどやって養うかが教育のテーマだ。
  • 「志」をどうやって植えつけるか。具体的な人物でみせて衝撃を与えるしかないのではないか。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

3月5日に富士箱根伊豆国際学会の五條堀孝会長と1時間ほどのZOOM対談を行いました。五條堀先生はサウジアラビアからの参加でした。 

五條堀先生は日本遺伝学者。現在、サウジアラビアアブドラ国王科学技術大学ディスティングイッシュト・プロフェッサー。九大理学部生物学科卒で博士課程を修了。テキサス医学生物学大学ヒューストン校集団遺伝学研究センター教授等を経て、1983年より静岡県三島市のより国立遺伝学研究所で勤務し、生命情報センター長、副所長。DNA研究の第一人者です。


0305FHIXフォーラム

------------------

以下、富士箱根伊豆国際学会のメンバーから寄せられた感想です。
  • ・多くの方にメッセージを発信し続ける方は、世界観や人生観を大切にされていますが、五條堀会長と、久恒先生というお二人の対談の中では 「生命観」についても触れていただき、興味深く伺わせていただきました。・FHIXが「地域DNA」について着目している点についても、 久恒先生はご自身の趣味でいらっしゃる「人物記念館巡り」の例を出され、 地域や個人(人間)とは何かに触れながら、 人種や、民族が持つ気質をこれからも探求されたいといと仰っていて、 多くの引き出しを持たれているだけでなく、これからも引き出しを多く していこうとの姿勢に若さの秘訣を感じさせていただきました。・「ライフデザイン」→「生命観」と捉え、「次につながっていく」ものであれば、  ライフワークは完成しなくても良い!という発言に、私自身が何か救われるような思いをいたしました。・今後は、物事をシンプルに捉える図解なども、学んでいきたいと思います。
  • ・私みたいな者が感想を言えるものでないですが、博学で引き出しが多く、薄っぺらでない、その元は根のある知識を図解で記憶しているのでしょうか? ・話し方が面白い訳でもないのに、引き付けるのは何か? 根拠に基づいた先見の目があるからか?・孔子の年齢区分の現代版はm僕の場合は壮年期で、これからバリバリやる時期で、勇気100倍。・人物記念館の旅で、この地域からも偉人は出ているが、 地域DNAにあてはめる事が可能なのかとも思いました。対談内容を記憶をたどりながらで、大分失礼な感想と言うより、久恒先生への興味を素直に書かせて頂きました、、。
  • ・多岐にわたる興味深いお話をありがとうございました。その中でも、地域の歴史・文化と密接な、「人物記念館巡り」のお話が、ささりました。 確かに、いくつか地域には人物記念館があるにもかかわらず、 その存在はあまり認識されていません。・今までの歴史も、人がつくってきたものであり、 そこから辿る地域DNAという切り口から、 過去の人と今をつないで、地域の歴史を紐解く といったコンテンツづくりは、とても興味深いものになるのでは、と思いました。・人物史は、その人が生きた証でもあり、リアルな地域の証でもある。人物記念館までは建っていないですが、以前、三島地域で練乳を作っていた名士の方の歴史を辿ってみたところ、その人の、そして事業の軌跡と共に、地域の歴史が浮き彫りに なっていった感覚がありました。・こうした観点から、今後の富士・箱根・伊豆国際学会のコンテンツとして、 是非取り組んでいきたい内容だと思いました。この度は貴重なご講演、誠にありがとうございました。。
  • 流石に、一流人物同士の対談は、内容も濃く、大変、勉強になりました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「名言との対話」3月13日。篠田守男「私は50年来現代美術における抽象彫刻を通して空間の問題を研究して参りました」。

篠田 守男(しのだ もりお、1931年3月13日 - )は、日本の彫刻家である。

 鋼鉄線の張力と圧力で金属塊を中空に固定させ、奇妙で不思議な空間を創出するTC(Tension and Compression)シリーズで知られる金属彫刻である。立体作品に糸を使いオブジェクトを空中に固定するという表現方法でアートシーンに新風を巻き起こした彫刻家。

1952年国立産業工芸試験所に勤務するかたわら、独学で彫刻を始める。1956年、モダンアート展受賞。1963年、公務でアメリカへ長期派遣され、シカゴ美術館附属美術大学に学ぶ。 

1967年、国立産業工芸試験所を退任後は、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の客員教授筑波大学教授、金沢美術工芸大学教授等を歴任した。

1966年高村光太郎賞受賞。同年、第33回ヴェネツィア国際ビエンナーレ日本代表。第一回現代日本彫刻展神奈川県立美術館賞、第二回彫刻の森美術館賞、第4回朝倉文夫賞などを次々に受賞した。 2000年には国際彫刻センター(ISC)優秀彫刻教育者賞をアジア人として初受賞。

茨城県つくば市にある(株)アルテック一角に篠田守男現代アートギャラリーがある。1955年以降現在までの65年以上作りつづけた作品群を一堂に会して展示している。

現代彫刻の旗手・篠田守男は元気に数々の個展を開いている。それは令和に入ってからも続いているようだ。2016年のギャラリーうちやまでの篠田守男展では、「この度の展覧会では既に私自身が作りためてる部品を組み合わせて作っている。このときが私にとってひと時の快楽である。丁度、建築家コルビジェが積み木遊びをするように。中には数十年もたった部品が、この日を待ってたかのように生き生きとよみがえる。記憶の片隅にあった造形が生々しくまた刺々しく、攻撃的に甦ってくるのである」。

篠田を指導教官として学んだ土佐信道明和電機社長)は、金属彫刻のフェティシズムを用いて明和電機独特の立体造形に取り組んでいる。2017年には「篠田守男明和電機展ーー空飛ぶ工場」というイベントも開催している。この時の土佐とのトークショーの音声を聴いた。「メタリックなもの、ささやかな抵抗、ガラパゴス、江戸100万都市の循環、ピカソミケランジェロ、機械を媒介としての表現、セイダカアワダチソウ、、、、、」。

今年90歳になるはずの篠田守男は抽象彫刻を通しての空間の問題の研究をライフワークとした、近代文明に挑む挑戦的な芸術家だ。この人の作品、個展をみたいと思う。