田原真人『出現する参加型社会』ーー「コロナパンデミックが、人類社会の新しい可能性を示した」

田原真人『出現する参加型社会』を読了。 

副題の「コロナパンデミックが、人類社会の新しい可能性を示した」のとおり、愛と勇気が湧いてくる問題作です。橘川幸夫『参加型社会宣言』と連動した、今読まれるべき本。

出現する参加型社会 (未来叢書)

出現する参加型社会 (未来叢書)

  • 作者:田原真人
  • 発売日: 2021/04/05
  • メディア: 新書
 
 

著者はマレーシアに住む在野研究者。朝4時起きで2ヶ月で憑かれるようにこの本を執筆した。2011年に東日本大震災で仙台で被災し、2011年9月のマレーシアに移住。2012年FBグループ「反転授業」を起ち上げ、その後「ZOOM革命」を主導した人である。コロナ禍は戦後に闇市が乱立した時代と似ているとし、こういったカオスにはサーチする力があり、その中から新しい世界観がでてくると考えている。出現するのは「参加型社会」である。

ゆらぎが増幅するしくみを持つ非平衡・開放系である自己組織化の研究の蓄積を土台とした、高いレベルの論考を一定のリズムで書き続ける力量は並大抵ではない。自分史と世界史、人類史との連動を志向しながら、人間への深い理解をもとにした実戦的理論家として新しい世界観を提示してくれる。

主張をまとめるより、刺激的な言葉を拾うことにした。以下、キーワードのみ。

  • オンラインはリアルの代替ではない:動画講義。反転学習(壇上の賢人からファシリテーターへ)。女性が活躍。関係性を育む。違いがエネルギーとなる。雑談。友だち。余白。答えよりも問いが大事。社会変革ファシリテーター。リアルは制約が大きい。移動時間、録画、人数、欠席者への対応。双方向コミュニケーションを中心に学び合う。劣化版のオンライン体験。ZOOMは双方向。副業ではなく複業。自立分散型養成ギブス。広域・自立分散型集合知マネジメント。信頼関係と仕事の前進は車の両輪。一緒の会社のよう。ZOOMには人間が投稿されてくる。集合コストゼロ。継続的プロセス。教える人からファシリテーターへ。縁と起。マイノリティの声。異質な他者との対話の機会。集合知。リモートとリアルの組み合わせ。精度の高い適材適所。協働。
  • 生命論的世界観から生まれる未来:ダイナミックな往復運動。工場、工房、変容。静的安定から動的平衡。運動。秩序とカオスのバランスで知識を創造。因果と縁起の混じり合い。唯識、アラヤ識。双六ゲーム。世界観の更新がラーニング。関係性。実感。共感的な仲間と異質の他者との出会い。互酬。多くの依存先を持つと自立。多層的な所属。複数のプロジェクト。
  • 生命論的世界観:「個体であると同時に集合的無意識を通して外部に開かれた二重の存在であり、無意識から立ち現れる主体性や創造性を持つ」。複雑系量子論シンクロニシティ共時性)。物理学・心理学、大乗仏教場の理論。瞑想と幻覚。創造性。主体。自我と自己。非合理。ギフト。コミュニティ。個体として断片化している自我と、集合的無意識でつながり世界とつながっている自己という二重生命状態。共創エンジンとは潜在意識にある源泉から湧き出す衝動から生まれる活動。レンマ的知性。ネットワーク。物語。二重の生命観と二重の時間論。能力差は多様な可能性。
  • 機械論的世界観:近代は神からの自立する営み。複雑なシステムにはいのちが宿ってくる。ピラミッド型組織。部品人間。不登校。燃料は貨幣。国民国家全体主義。因果。要素還元主義。分析。外に出るとわかるメカニズム。抑圧と同調のメカニズム。自己欺瞞と自己嫌悪。アメとムチ。外発エンジン。暴力。ロゴス的知性。自我。固定フレーム。檻(選択肢の限定)と餌(アメとムチ)。魂の植民地化。支配と服従貨幣経済の進展。国民主権。国際金融資本。環境破壊。フォアグラ型教育。
  • 参加型社会学会:思考と身体知の相補を重視。監視社会シナリオの暗黒社会ではない未来。共創エンジンの燃料は「違い」。因果を思考し縁起を直観する。秩序とカオスをよろめき歩く。一緒に何かをやろう。非暴力と対話文化。時代の精神。共振、同時多発。人新世。地球環境は私たち自身。因果と縁起の交じり合った中で生きている私たちのための社会を再構築。

 橘川幸夫が掲げてきた「参加型社会」という旗印が、新しい世代に引き継がれる瞬間をわれわれは目撃している。この時代の精神を体現する運動に参加しよう。明日から始まるZOOMの読書会月間は、世代を超えた多くの人たちの参加で、盛りあがることになるだろう。

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午後。

新宿:橘川さんと仁上さん。

荻窪:出版社。

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「名言との対話」3月23日。村松剛「私たちの心の中にも、アイヒマンはいるはずなのです」

村松(むらまつ たけし、1929年3月23日 - 1994年5月17日)は、日本の評論家フランス文学者

東京大学大学院在学中からポール・バレリー研究の傍ら、吉行淳之介らの「世代」に小林秀雄論、三島由紀夫論などを発表、新進批評家として認められる。「現代評論」を経て、1958年遠藤周作らと「批評」を創刊。自然主義的リアリズムを否定し、文学作品の美学的構造を解明する一方、文化的視野からの社会批評を確立した。またナチズムに対する関心から、1961年アイヒマン裁判傍聴のためイスラエルへ赴き、1962年アルジェリア独立戦争に従軍して取材。アメリカへ留学後、1969年立教大学教授、1970年京都産業大学教授などを務めたのち、1974年筑波大学教授。

著書に「アルジェリア戦争従軍記」「評伝ポオル・ヴァレリー」「三島由紀夫その生と死」「死の日本文学史」「評伝アンドレ・マルロオ」「帝王後醍醐天皇」「血と砂の祈り―中東の現代史」「醒めた炎―木戸孝允」「三島由紀夫の世界」などがある。

1975年、「死の日本文學史」で第4回平林たい子賞を受賞。1982年フランス政府より教育功労章オフィシェを受章。木戸孝允の大作評伝「醒めた炎」(1979年から1987年にかけ日本経済新聞「日曜版」に長期連載)で第35回菊池寛賞を受賞。

『醒めた炎―木戸孝允』は、「欧米の未発表史料、幕府隠密の報告までも駆使して幕末の動乱を活写する渾身のライフワークだ。2800枚の歴史大作。木戸孝允の生涯を描く歴史小説の大作となっているが、木戸だけでなく、維新の立役者たちを描いている「幕末維新史」という歴史書だ。木戸孝允の人物造形の裡に、村松剛白身の生き方を読み重ねていく評者は多い。

 『決定版三島由紀夫全集』第38巻の書簡集には、141名宛の806通の書簡が収録されている。親友だった村松三島由紀夫は面白くない文章を書けない人だつた」と屈折した表現をしている。

「遺悼 村松剛先生を偲んで」という論考をネットでみつけた。1994年に5月17日に筑波大学比較・理論文学会の創立メンバーだった村松剛咽頭癌で65歳で亡くなった。その弟子たちがみた村松の姿と言葉を興味深く読んだ。「ああ村松先生は世界をこういう目で見ていらっしゃるんだ」(東京タワーをエレベーターで上昇中に)。「親友であった三島由紀夫について「語るべき時でしょう。」とおっしゃるまで先生は数年間迷われた」「東大で元同級生という方が「水際だった頭の切れ方だった」とおっしゃるのをきいて、やはりそうだったかと思った」。大学院生にとって「鬼の村松」という異名を持つ怖い存在だった。「僕が学生のころ、今後評論活動に専念するか、教師の道に進むかで恩師に相談したことがある。その時,恩師は両方やりなさいといわれた」「声が出なくなるくらいなら切らないほうがましだ」。明析であることに対する倫理感。教育者・村松剛は、厳しく優しく、いい先生だったようだ。

神経質そうな独特な風貌で、激しい主張の保守論客でもあった村松剛については私はずっと敬遠してきたが、村松剛『新版 ナチズムとユダヤ人 アイヒマンの人間像』(角川新書)を読んだ。1961年に行われたヒトラー総統のナチ親衛隊アイヒマン中佐の裁判を30代前半の村松はメディアからの依頼で傍聴する機会があった。ナチスによるユダヤ人虐殺の記録である。第一部「地獄からの報告書」で、虐殺の舞台となった6つの収容所で生き残った108人の証言の報告である。第二部は400万人をガス室に送ったアイヒマンの伝記が中心だ。学歴がなかったアイヒマンユダヤ人問題の専門家として頭角をあらわし出世していく。ヒトラーへの忠誠心と出世意欲が旺盛ではあるが、ある種凡庸な人物は「命令だったから仕方がない」と法廷で言い張った。人間が人間を殺して、骨をセメントに、脂肪を石鹼にするというニヒリズム。ここに村松は典型的な官僚の姿をみている。哲学者ハンナ・アーレントもこの裁判を傍聴した。小市民的で官僚的な普通の人間のなかに驚くべき悪行への素質があることがわかった裁判だ。現在の日本の国会でみる政治家や官僚の中にもその一端がみえる。

ここまで書いて、寝ようとするときに、ユーチューブで、たまたま日本記者クラブで4年前に行われた石田勇治教授の「ヒトラーとは何者だったのか」という映像が流れたので聞いてみた。これも何かの縁だろうか。

「私たちの心の中にも、アイヒマンはいるはずなのです」。「 凡庸な悪」はわれわれの身近に、そしてわれわれ自身に中にいる。

 

 

 

 

 

  醒めた炎―木戸孝允