ZOOMオンライン革命

本日は、書籍とネットでZOOMの勉強。最近、学会の理事会、同好者のパーティなどで、ZOOMでの会合が多くなってきた。 

Zoomオンライン革命!

Zoomオンライン革命!

 

今日から、秘書もテレワークで自宅で仕事をすることにした。

 ---------------------

「名言との対話」4月6日。木戸幸一「何もかも失って裸になり、自由に生活できるようになり大いに愉快なり」

木戸 幸一(きど こういち、1889年明治22年)7月18日 - 1977年昭和52年)4月6日)は、日本官僚政治家侯爵

 明治維新の立役者・木戸孝允の子孫で、第一近衛内閣での文部大臣・厚生大臣として、1940年の東京オリンピックの開催権を返上を決定した。内大臣府秘書官長以来、日米開戦から終戦まで内大臣を努た。最後の元老・西園寺公望の米英協調路線には同調せず、また陸軍との深い関係を持っていた木戸は国策を持たない政党内閣にはとうてい国政を任せられないと考え、陸軍を善導としようとした。そして天皇の側近として日米開戦回避に努力し、原子爆弾の投下を終戦断行の好機ととらえ終戦に向けて尽力する。

内大臣秘書官長となった1930年元旦から巣鴨拘置所に入る1947年12月までの16年間、毎日欠かさず綴った『木戸幸一日記』は昭和史第1級の史料となった。この木戸日記を軸に書かれた『木戸幸一 内大臣の太平洋戦争』(川田稔)を読んだ。

1946年、天皇の訴追、証人としての出廷はないことが決定し、木戸は東京裁判では天皇の身代わりとして裁かれることになった。天皇の平和の意思について知るためには自らの日記が一番よいと判断して「木戸日記」を提出している。

戦前から戦後にかけての歴代の総理大臣の人物評が頻繁に登場する拝謁記」では、近衛文麿との比較で「私自身も事務的だから…、私は木戸の方がよくあつた。あれなら話がよく出来る。」と昭和天皇の信頼が厚かった。

東京裁判では、木戸にはわずか1票差で無期・終身刑が下った。1955年に健康を理由として釈放される。1977年、木戸幸一は89歳で亡くなった。

木戸日記には盟友・近衛文麿を「主義主張がなく、、、闘志を欠如」と評している。しかし、その木戸も藤田侍従長から「あまりにも人間的に弱く、、正しきを貫く気力に欠けた一貴族」と指摘されている。どちらも伝統的な貴族体質であったということか。

 木戸は巣鴨では、「何もかも失って裸になり、自由に生活できるようになり大いに愉快なり」という心境になっている。獄中の生活は重臣としての息詰まるような日々からの解放だった。終戦後、何もかも失って貧しい暮らしながら重苦しさからの解放感に浸ったという国民と同じ心境になっている。私も親しい中国人学者から、自由が欲しくて社会主義国から日本に留学してきたという発言を聞いたこともある。この書を読みながら、本筋ではないが、「自由」について考える機会となった。

木戸幸一 内大臣の太平洋戦争 (文春新書)

木戸幸一 内大臣の太平洋戦争 (文春新書)

  • 作者:稔, 川田
  • 発売日: 2020/02/20
  • メディア: 新書