図解1000本ノックを開始ーー「脳汗」「短距離競争」「個性」「魅力と魔力」「多様性」「共犯関係」「苦しく楽しい」「民主主義の技術」

図解塾3期の2回目。

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以下、塾生たちの反応。

  • 久恒先生、図解塾のみなさん、今回もありがとうございました。図解の1,000本ノックが始まり、2~3行の短い文章を短時間に図解にし、即発表&講評。今回は3本のお題がありましたが、いずれも十人十色の図解が発表され、図解に正解はないんだということや、その違いが作成者の職業や性格、体験などの違いからくるものなんだというのが明確に出るんだと実感できました。正に、先生がおっしゃった「図解は、あらゆるものを『自分から見たもの』として表すことが重要。」ということを、図解塾のみなさんが自然に実行されてました。これからの図解ノックで、自分には無い発想から出てくる図解をたくさん拝見できるのを楽しみにするとともに、私自身、自分の図解の進化をめざすことで、ワクワクした気持ちで取り組めそうです。よろしくお願いします。
  • 久恒先生、皆様 本日もお疲れさまでした。本日は「図解ノック」で脳汗かく時間を過ごしました、今迄の「日本文化」「選挙」といった課題を「長距離走」に例えると、前回/今回のような、シンプルな文章を読み込み規定時間内に図解して各自が説明し合うという、言わば「短距離走」的なお題により、的確な構図の閃きが重要で、これには変化とか関係性といった表現すべき対象に応じて図形や配置を使い分けるといった基本ルールが重要。これに加え、見せる相手に対して効果的に合意を取り付ける為の「アイコン」がキーとなってくる、という事が今回の学びであったなと思った次第です。「企業と顧客の関係性」の課題においては、両者の間に様々な矢印のバリエーションがあったり、説明の為配置されたワードを的確に選ぶ事により図解をより生かすことができる。個性に満ちた皆様の多様な表現を「良いとこ取り」する事でより良いものができるなという「発展性」を実感した次第です。このお題につきましては、文章にあった「お金」という言葉はあえて「対価」に置き換える事により、より広がりが出てくる。インフラに例えられるような基本的なサービスに対する明解な「コスト」に直結するケースもあれば、魅力的な商品に対し(難解に)生ずる「プレミア」が付加された「プライス」にすり替わるケースもあり、そういった場面の差を包含した言葉選びが、見せる相手の合意をより効果的に得る為の重要なエッセンスであり、こういう細部に至る気配りが自然にできる為にも、この道場でさらに経験を重ねていきたいと思います。次回もよろしくお願いいたします。
  • 本日もありがとうございました。遅れての参加で申し訳ありませんでした。今日の千本ノックの課題、最初あまりに単純で、自分のをさっさと書きながら、きっと皆同じだろうと予想していたところ、あまりのバラエティにただただ驚くばかりでした。図解は個性や考え方がはっきり表れるすごい力をもっていると改めて感心しました。
  • 久恒先生、皆さま、本日10/06の図解塾3期第1回も、有難うございました。今回から始まった、図解1000本ノック。短い比較的シンプルな文章を短い時間で図解する、「比較的シンプル」な図解のハズ、なのに、参加者9名の図解は似て非なる、なんだか共通のところもある、個性(とその背景としての経験や価値観)が立ち現れてくる、不思議。図解の魅力と魔力が詰まったライブの学びの時間でした。(動画鑑賞を否定しませんが)動画で後から観ているだけでは味わえない刺激がありますね。力丸さんがおっしゃっておられたように、みなさんの図解を観ていると、自分単独では生まれない気づき、気が付かない視点が立ち現れてきます。図解は、多様性と融和を「実装する」優しくて易しい(でも、奥はとんでもなく深い)ツールだなということを改めて実感します。今回も学びと、印象的な言葉が多かったですが、図解をすると「共犯」関係になる、という久恒先生の言葉もよかったです。「仲間」や「友達」ではなく「共犯」関係です。正解のない、というところも含めて、たまらない魅力。是非、みなさん、図解塾へ。尽きない学びの共犯関係へようこそ。
  • 本日もありがとうございました。1000本ノックが始まり、ワクワクしています。「考えることは楽しい。考えることは苦しい。」その通りだと思いました。行間や文章外の全体像をどう捉え、付加して図に表すかという視点をもっと磨いていきたいです。同じテーマで皆さんの様々な視点の図を拝見できることはほんとに刺激になります。次回もどうぞよろしくお願い致します。
  • 本日はありがとうございました!非常にお久しぶりになってしまいドキドキ。少々お腹も痛くなりましたが(笑)、あっという間と思うほど充実した時間でした!みなさまの個性が図に現れていて、その方の背景を思い描いたりして面白かったです。自分では思い付かない図を見せていただき思考の幅が広がりました。短い時間で描いていく、図解千本ノックいいですね(*^^*)また次回も楽しみにしております。みなさまありがとうございました!
  • 本日も先生、皆さまお疲れ様でございました。図解の千本ノックおもしろかったです。自分から見たことしか図解にはできませんでしたが、みなさんのさまざまな図解をみて、気づかなかった方向からの考え方や、箇所に気づけ、数行の文章には、いろいろな情報が見え隠れしていることの、再確認もできました。図解は個性がでる。それを表現できるのが図解。なるほどでした。また、次回も楽しみにしております。本日はありがとうございました。
  • 本日も楽しい講義、時間をありがとうございました。みなさま大変お疲れさまでした。図を作ることだけではなく、自分の描いた図を表現するということの大切さ、有効性をとみに感じた回でした。議論(個の主張)ではなく、民主主義(個々の主張と相互理解)は「図」から起こるということに納得感がありました。他者の描いた図から、新たなインスピレーションや気づき、また、自身に欠けている視点、そのヒントなどが得られるのも、図をただ描くだけでなく「表現しあう」ことから生まれることを毎回実感できています。まさしく「個性」の出会う瞬間、その場です。次回の講義も図解1000本ノックに期待しています。

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「名言との対話」10月6日。佐藤忠男「撮影所は学校だった」

佐藤 忠男(さとう ただお、1930年10月6日 - )は、日本の映画評論家、編集者。

新潟県生まれ。工場で働きながら『映画評論』の読書投稿欄に映画評を投稿。また、1954年に『思想の科学』に大衆映画論「任侠について」を投稿し、鶴見俊輔の絶賛をうける。1956年刊行の初の著書『日本の映画』でキネマ旬報賞を受賞。1957年に『映画評論』の編集部員になるよう誘われ、上京する。「映画評論」「思想の科学」の編集長をへてフリー。演劇、芸能、教育の分野でも評論活動をおこなっている。
日本映画学校校長(1996年~2011年)、日本映画大学映画学部教授、日本映画大学学長(2011年~2017年)などを歴任した。

1996年に紫綬褒章を受章。その他に、勲四等旭日小綬章芸術選奨文部大臣賞、韓国王冠文化勲章(韓国)、レジオンドヌール勲章シュヴァリエ芸術文化勲章シュヴァリエ(フランス)等を受賞。第7回川喜多賞を、妻の佐藤久子とともに受賞。2019年、文化功労者

佐藤忠男『独学でよかった』(中日映画社)を読んだ。副題は「読書と私の人生」だ。

「映画というものは森羅万象を写し出すものである」。「映画評論家はそれにコメントを加える」。「これは恐るべき仕事である」。「現代の聖職ともいえるのではないか」。

「映画は古今東西のことをなんでも描くし、その範囲は近年急速に拡大するいっぽうである」。「たとえ浅く薄くでも、それほど広い範囲の知識を求めつづけなければならない立場というのはありがたいものだ」。私にも映画鑑賞を趣味とする友人、知人がいる。今更ながら、高い教養を持つ彼らは世の中のことを映画で勉強していたことに気がついた。今からでも遅くない。もっと映画をみることにしよう。

佐藤は自身に学歴が乏しいせいか、映画監督たちの学歴を調べていて興味深い。溝口健二は小学校だけ。衣笠貞之助島津保次郎は小学校のと英語塾。成瀬巳喜男は工手学校。新藤兼人は小学校高等科卒。内田吐夢は中2で学校を追放。市川崑は中学3年中退。旧制中学卒は、村田実、伊藤大輔伊丹万作マキノ雅弘小津安二郎山中貞雄豊田四郎吉村公三郎、黒、田坂具隆旧制高校

昭和10年代からは大学出が珍しくなくなる。今井正(大学中退)、山本薩夫。戦後には人気が出て、今村昌平山田洋次大島渚など一流大学出の秀才が当たり前になっていく。

日本映画の最高峰は、溝口健二(小学校)、小津安二郎(旧制中学)、黒澤明(旧制中学)という3人が不動の巨匠である。佐藤は学歴無用論に立つわけではないが、撮影所は学校だったというのが結論だ。仕事そのものが学びであり、研究だった。私も企業も学校だと思う。仕事とは実にありがたいものなのだ。

今村昌平は2年制の横浜放送映画専門学院を起ち上げた。それが3年制の日本映画学校になり、2011年に4年制の日本映画大学になる。このプロジェクトの成功の鍵は、第一線の監督、技術者をそろえて、まるで撮影所のような学校をつくったことにあると後にこの学校を引き受けた佐藤は総括している。監督だけでなく、技術者、評論家まで含めた映画人には広い知識を持つ教養人、深い人間観察眼を持った人間の研究家という資質が必要である。

映画は作り手の人間性と教養が最も厳しく問われる。創立者今村昌平は「個々の人間観察をなし遂げる為にこの学校はある」と書いている。独自の哲学や体系化された世界観を持つ人格を誕生させることが目的であり、本物の映画作りを教えるこの学校からは映画に関わる人物・人材が続出している。

佐藤忠男は映画文化の発展のはじまりから、読書という武器と自ら鍛えた眼力で、映画文化の同伴者として走ってきた。これは幸運であった。映画という分野を息せき切って走り続けた独学の人・佐藤忠男という人格の成立過程と、そこで得た見識は興味深い。そしてこの独学者は研究者を続けながら、最後は学校での人作りに精を出している。独学の凄みを感じさせてくれる生き方だ。