梅棹忠夫著作集第5巻「比較文明学の研究」の図解講義の3回目。

梅棹忠夫著作集第5巻「比較文明学の研究」の図解講義の3回目。

「中洋の国々」「比較宗教論への方法論的おぼえがき」「ベナレースとイエルサレム」という3つの図を用いた。

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以下、塾生の学び。

  • 久恒先生、みなさま、本日もありがとうございました。梅棹忠夫著作集第5巻「文明の生態史観」の3回目。前回の図解で少し復習していただいた後、今回の3枚「比較宗教論への方法論的おぼえがき」・「『中洋』の国ぐに」・「ベナーレスとイェルサレム」について解説がありました。最初の図解では、宗教とは何か?について、生態学の視点で捉えた解説でした。初めて聞く内容で難解でしたが、「宗教を大雑把に捉える」ということができた感じがしておもしろかったです。次の図解は「中洋の国々」について、さらに東西に分かれていると、その違いについての解説でした。顔や言語、食べ物、民族性、そして宗教などで分けることができるとのことでした。最後の図解ではキリスト教と仏教の比較について解説がありました。何かを比較する場合、文章で説明するより図解を活用する方が理解しやすいということを実感できるものでした。 今回は、梅棹先生のユニークな視点に基づく比較宗教論で、奥深い世界を大きく捉えたからこそわかりやすくまとめられたんだと想像しましたが、三大宗教に関する基礎知識に乏しい私では、図解の助けがなかったら、恐らく理解できないだろうなと感じました。梅棹先生の著作集にチャレンジする場合は、「図解を見てから読む」という順番がお薦めですね。これからもよろしくお願いいたします。
  • 久恒先生、みなさま、本日の図解塾ありがとうございました。今回は「比較宗教論への方法論的おぼえがき」「「中洋」の国ぐに」「ベレーナスとイェルサレム」という3枚の図解から、「文明の生態史観」を「宗教」へ拡張していく際の梅棹先生のアプローチの仕方を学んだという印象です。それは、宗教全体を俯瞰するに際し、病原体→伝播者→発病→蔓延というように、伝染病との対比で理解していく(疫学アナロジー)というもので、最近のコロナの例もある中、とてもイメージしやすく、興味深く伺うことができました。そのようにみていくと、伝染病と同じように、宗教が伝播していくために必要な要素や条件などがあるということが分かりましたし、宗教に対する免疫力(ワクチン?)に相当するものは何かといった疑問も湧いてきたりと、いろいろな視点が見えてきて、面白く感じました。既知の知識を使って類推することをアナロジーというそうですが、「情報の文明学」のときと同様、分かりやすいアナロジーになっていると思いました。次回も「比較宗教論」とのこと。続きが楽しみです。
  • 本日もありがとうございました。今回も難しい内容でした。今回は、「比較宗教論への方法論的おぼえがき」が、難しかったけれどなんとなく宗教を生態学的に考えるこころみをみて、宗教の発生から広がり、消滅までの流れがイメージできたような気がします。伝染病と対比させ精神の疫学として説明されていて、現在のコロナウイルス関連の単語などと結びつき、現代の説明をされているような気も致しました。「ベナーレスとイェルサレム」では、キリスト教と仏教が発生した地から移動伝播し、西ヨーロッパと日本で栄えていることが、両端が似ていることに結びついて、面白く思いました「「中洋」の国ぐに」は、よくわかっていない、私にとっては国ぐにのイメージがどこも同じという、知らない場所のお話で、中洋の東と西でまず顔が違うという、そこから、イメージを膨らませていければと思いました。次回もよろしくお願いいたします。
  • 久恒先生、皆様、本日もお疲れさまでした。本日は第6期図解塾の3回目。『梅棹文明学プロジェクト/第5巻_文明の生態史観』の図解について引き続き久恒先生よりレクチュア頂きました。前回同様、久恒先生の手による『素材』たる図解に、講義で聞き取ったコトバを書き加えて各自なりの図解を造り込んでいくという趣旨で脳汗カク2時間を過ごしました。『漢文のレ点』のごとく自分なりのメモを図に織り込み、それによって相手に理解してもらえる説明ができるという本課題の狙いに対し、蝶結びを下手に引っ張ると結び目が絡まって解けなくなるの如く、前回レクチュアでメモを加えた筈の『新文明世界地図』においては概要説明ができず、大汗を書く羽目に陥りました。結局メモは用語説明に終始した状態のままとなっており、的確な要旨説明ができるに足る迄の『読み返し』『推敲』を行ってこそ『使える図解』が完成するというプロセスが欠かせないという事を思い知らされる結果と相成りました。一方本日は新たな3つのテーマについて久恒先生よりレクチュア頂きました。①『中洋』の国々では東に「インド」、西は「アフガン・イラン」「トルコ」「アラブ諸国」という3つの世界で構成、「天性の商人」である彼らは東洋人とは顔つきのみならず考え方も全く異なる、といった地理、人類学に基づく情報整理は、彼らの気質を理解するうえで非常に重要。とかく社業でも意思疎通の難しい地域ですが、こういう事実背景を踏まえる事で相互理解の一助となる「世界観」は大いに助けとなると確信しました。②『宗教生態学へのこころみ』ではこの「こころみ」というコトバがあたかも「模索段階」を思わせ、梅棹先生の残された臨場感あふれる取組み意図が感じられました。また「アナロジー」(=類推/比類/たとえ)を駆使した宗教論解説には並々ならぬ知的好奇心を感じました。宗教というセンシ
    ティブな世界の解説という状況からあえてタイトルを言いきらず「おぼえがき」のままとした点も興味深かったです。③「べナーレスとイェルサレム」では、まさに先述した「中洋」で生まれた2つの世界宗教が変異伝播を繰り返し、はるか遠き異国で栄えたという壮大な「仮説」が展開されています。MXTVで放映された寺島先生の世界を知る力にて渦中のプーチン氏政局の拠り所となっているとされる今話題の「ロシア正教」についてはまだ当該図には登場しておらず、梅棹先生ご執筆当時は「記述に至っていない未知の分野」であったと推察され、今後我々の手による図解化にあってはこういう「情報補填」の取り扱いについて相談が必要と感じました。様々な背景が絡んで説明が難しい問題について、身近で「アルアル」な類似事象との『比喩』により端的に「世界観」を説明しようとする梅棹先生のスケールが大きい視座や、「俯瞰した姿で残す」事により今見えてくる「足りないもの」を考えさせる意図に改めてスゴサを感じる事が出来たことが本日の学びとなりました。研究発表ゼミへの参加やセミナーハウス合宿など、ワクワクする構想も聞かせて頂き大いに楽しみです。有難うございました、次回も宜しくお願い致します。
  • 本日の図解塾、ありがとうございました。梅棹先生の第5巻文明の生態史観を図解で学び、難しかったですが、世界や歴史、文明、宗教の大きな流れを把握できたり、新しい視点を得ることができました。新文明世界地図は、文明を生態史観したことを地図にすることですが、内容は、それぞれの文明(生活のデザイン)を比較することで分かりやすくなること実感しました。梅棹先生の東アジアの旅を通して考えられた文明の生態史観を表した図(乾燥地帯を中心に第1地域である西欧と日本さらに第2地域である4つの国に分け単純化した図)が把握しやすかったです。 第2地域は争いが多く発展しにくく、第1地域は発展しやすい様子もよく理解できました。文明の生態史観から60年経った現在は、中国のような経済発展が、逆転した国もありますが、ほとんどが、現在もこの図の通りだと思いました。梅棹先生の考えによると「西洋」「東洋」の他に「中洋」があるといわれ、「中洋」には、東(インド世界)、西(地中海・イスラーム世界)がわかりました。多数の複雑な国々の把握しにくい動きを、似たようなグループごと(第一と第二、西欧と日本など)で単純に分けることで、だいたいを把握できる一つの方法としては優れていると思いました。今回、特に印象に残ったことは、比較宗教論への方法論的覚え書きの宗教的生態学への試みとしてアナロジー(類推)の方法を取り入れていることです。アナロジーの考え方は、初めて知りました。アナロジーの例については、車の流れを血管の血液の流れに例えることもできたり、日常生活で人に説明するときにも活用できると思いました。疫学アナロジーとして宗教を伝染病として捉えて例える手法を用いて① 病原体⇒②伝播者⇒③発病⇒④蔓延⇒④環境条件を宗教に当てはめて理解することで、世界の壮大な宗教の地域の分布の流れが把握しやすくなること実感しました。宗教に限らず、歌や商品やサービスや流行の動きなど様々な事に応用できると思いました。梅棹先生の文明の生態史観を学ぶことで、世界の動きの大まかな流れや日本の置かれている状況を把握でき、これから必要なことも少し見えるような気がしました。これからも、梅棹先生の「文明の生態史観」の理解を深めていきたいと思います。ありがとうございました。
     
     
     
     
     
     
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  • ラジオ深夜便。聞き逃し。藤原正彦。父・新田次郎。67歳。無念。郷愁・引継ぎ。10万部初版。絶頂時。自分の腕の中で亡くなった。
  • 今日も「川柳」を7つ。できはよくないが、当面は量産が目的。「よくすれば よくしてくれるはうだがな」「おもむろに 人に従い もの申す」「毎朝の つとめを終えて 新知識」「習慣病 寿命削るは 自殺なり」「慢心と 贅沢怠惰 名利敵」「快働で 快食快眠 あと要らず」「骨組みと 肉付けをして 肌磨く」

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「名言との対話」11月2日。岸田国士「一人では何も出来ぬ。だが、まず誰かがはじめなければならぬ」

岸田 國士(きしだ くにお、1890年明治23年)11月2日 - 1954年昭和29年)3月5日)は、日本劇作家小説家評論家翻訳家演出家

陸軍士官学校に入るが、少尉に任官。父から勘当を受けながら退役し、28歳で東京帝大仏文科に学び、辰野隆らと親交を結ぶ。演劇研究のために29歳で貨物船で神戸から台湾医渡航、各地で働きながら、1年半後の30歳で、マルセイユに到着しパリに移動するフランス演劇史を研究する。1923年、33歳で帰国。

在来の新劇運動を批判しフランスで学んだ演劇観を日本の土壌に移植することを志す。1932年、築地座を指導。1937年、久保田万太郎らと文学座を創設。第二次大戦中は大政翼賛会文化部長をつとめた。公職追放を経て、戦後には芸術家集団「雲の会」を結成し幅広い運動を展開する。戯曲は数多い。それ以外にも評論・随筆・紀行なども18冊。翻訳書も多い。『岸田国士作品集』を手にしてみたが、643章ありあまりに膨大な量で驚いてしまった。

1954年、文学座の上演『どん底』(原作マクシム・ゴーリキー)の演出に携わっていたが、舞台稽古中に脳卒中に襲われ病院に運ばれたが翌日死去。63歳没。まだやるべきことがあり、無念であっただろう。

長女は詩人岸田衿子、次女は女優の岸田今日子で、この劇作家の血を引いて活躍している。

文字通り「演劇」に殉じた人生だった。芸術派運動の理論的指導者としての功績は大きく、1955年から賞が設立され、途中で名前を変えて現在では「岸田国士戯曲賞」となっている。受賞者のリストをながめると、山崎正和(1963年)、唐十郎(1979年)、井上ひさし(1972年)、つかこうへい(1974年)。野田秀樹(1983年)、宮沢章夫(1993年)などの名前がみえる。三谷幸喜も受賞している。2022年現在まで続いているこの賞は新人劇作家の登竜門となっており、「演劇界の芥川賞」と呼ばれている。

岸田国士はペンを武器に演劇の世界を変えようとした。冒頭に掲げた言葉の「始める誰か」は岸田自身だった。自分から始める。そこに人生の栄光がある。

 

参考『岸田国士作品集』