電子書籍『図解で考える 40歳からのライフデザイン』(ディスカバー・トゥエンティワン)を発刊。

講談社から刊行した著書の電子書籍版が発刊されました。

「本業以外にもう一つ自分のテーマを持とう」。ビジネスマンから教育者に転身した「凡人」の40歳からの30年計画。二刀流を目指した体験記です。

私は40歳の時点で「30年計画」というB4版一枚のペーパーを完成していました。70歳までの人生計画と呼ぶべき内容です。ふり返って見ると、この計画を書いたことが、その後の人生の方向を決めたと言っても過言ではない気がします。

やりたいこと、将来の希望、目標などを紙に書いて自分自身に明らかにすることが、大切だと改めて感じています。

40歳のときの「30年計画」に加え、38歳の時の年度計画と47歳の時の年度計画も開示しています。ライフプランと年度計画を立てよ、とはいわれますが、ライフプランの実際の書き方は参考になると思います。

いずれ、30歳から現在まで続けている毎年の年初の計画(黒字)と年末の総括(赤字)をすべて開示することも考えています。とくに若い人には参考になるでしょう。『ライフプランの実際』というタイトルにしようかな。

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「名言との対話」11月8日「互いに気を使っているけれども口出しはしない。そういう関係がよろしいのではないでしょうか」

若尾 文子(わかお あやこ、本名:黒川 文子、1933年11月8日- )は、日本の女優。

東京都荒川区出身。大映の第5期ニューフェイスとして芸能界に入り、1952年にデビューを果たす。『十代の性典』がヒット作となり一躍人気女優になる。その後は『祇園囃子』で溝口健二監督に起用されるなどし、実力派としての地位を確立する。

テレビに進出し、NHKでも大河ドラマ『新・平家物語』『元禄太平記』『武田信玄』『徳川慶喜』などに出演した。2011年の連続テレビ小説『おひさま』では、ヒロイン・陽子の現代の姿とナレーションを兼任している。

井上ひさし『青葉繁れる』は、仙台での少年時代愉快な青春小説であるが、主人公があこがれるヒロインの若山ひろ子(仙台第二女子高生)は、若き日の若尾文子だという。その若尾は「女優になりたかったというよりは、自分ではない誰かになりたいと思い、十代で飛び込んだ世界です」と芸能界に飛び込んでいった。その後の活躍はめざましい。

日本映画データベースでは1952年の「死の街を脱れて」から、1987年の「竹取物語」まで、159本の映画に出演している。1959年は11本、1960年は9本、1965年は7本であり、若尾文子大映の看板女優だった。またテレビドラマデータベースでは、112本がヒットする。人気女優であったことがわかる。

1976年のテレビ番組「すばらしき仲間」の対談で、有名な建築家黒川紀章が「あなたはバロックの精神を持った人だ」と褒めたたえた。その口説き文句は、「バロックの恋」と話題になった。二人は1983年にどちらも50歳を超えて再婚している。後に若尾は結婚生活について、「互いに気を使っているけれども口出しはしない。そういう関係がよろしいのではないでしょうか」と語っている。

亡くなる時に「私、あんまりいい奥さんじゃなかったわね」と若尾が問うと黒川は「そんなこと、そんなこと、そんなこと(ない)! 本当に(君が)好きだったんだから」と言い、それが最後の会話となった。

2007年に黒川が亡くなった後には、テレビプロデューサーで演出家の石井ふく子(1926年生)、そして舞台を中心に活躍した女優の奈良岡朋子(1929年生)と同じ都内のマンションで暮らす友達だちになっている。

山本富士子と並び着物姿が印象的なこの正統派美人女優は、淑女から悪女までさまざまな役を演じたが、最近はソフトバンクのCM「白戸家」シリーズで、犬のお父さんの次郎の母親役で福井県に住むおちゃめな役柄でブレークしている。

若尾は「互いに気を使っているけれども口出しはしない」と夫婦関係の秘訣を語っていた。何を思ったか黒川紀章東京都知事選に出馬し、盟友であった石原慎太郎に挑んだ時は、一緒に遊説している姿は私もよく覚えている。大女優・若尾文子は本日で88歳の米寿を迎えた。