図解塾・課外授業。テーマは「ライフプランの実際」。図解塾塾生と深呼吸学部生が20名ほど参集していただきました。今回は47歳までの「ビジネスマン編」。
井上富雄の20年計画。二刀流。新・孔子の人生訓。コストとリスクではなくチャンス。幸福とは自由の拡大。衰退か完成か。ライフコンシャス。二つの5時9時。偉い人。福沢諭吉と渋沢栄一。探検。集大成と新世界。ライフプランと年度計画。〇✖▲。タイムマネジメント。ビジネスマン時代の計画と総括の実際。ライフワーク。生涯と毎日の連結。、、、、、、、、。
以下、受講生の感想。
- 課外授業の感想(年間計画、ライフプランの立て方)。年間計画は3割出来れば上等で、希望を書けば良いという考えはとても気楽になりました。計画=実行するためのノルマと感じ、計画を立てること自体を辞めてしまうこともありました…。もっと気楽に、まずは書いてみることを今から(眠気に勝てるか?!)やってみます。計画通りにはならない、けれども立てないよりはマシ。本当にその通りですね。去年のやりたいことリストのまとめをやってみようかなとも思いました。そして印象に残ったのは大きな視点で人生の方向を考えていくこと。目の前の事に捕らわれず鳥の眼で(*^^*)そうすると、今毎日の暮らしの中に意味が見出だせるな、とも感じました。今やっていることは、何十年後に繋がっていく貴重なことですね。家族にも大きな影響を与えることなんだなあと。日々大切に過ごしていこうと改めてはっ!とさせられました。家族を大切にしつつ、個人の時間をしっかりとって過ごしていきたいです。ありがとうございました。
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課外授業の感想「ライフプラン」。まず、孔子が人生50年時代に立てた年代区分を人生100年時代の現代に合わせなくてはいけないというのが印象的でした。自分などはまだ「実年期」。そして高齢者というのは3つのキャリア(青年期・壮年期・実年期)を生かせる時間だというのも元気を与えられるし、「人生は何もしないと思ったら長すぎる。しかし何かしようと思ったら短かすぎる。」という言葉も確かにそうだ、と思いました。また、探検部の話で出てきた「外的世界の拡大は、内的世界を深化させる」という言葉もよかったです。何といっても、久恒先生のこれまでの蓄積に改めて圧倒されました。年の初めに計画を立てることはするのですが、どのようにして、というのが自分にはないことで、特にタイム・マネジメントがうまくないのだと改めて感じさせられました。とにかく続けること、ただしパーフェクトは目指さないことで徐々に継続するものを増やしていくこと、そしてまだ単独では本を出したことがないので、それを目標にしたいと思います。今回もありがとうございました。ライフプラン、必要だと思ってはいるのですが、なかなか前を見ていない自分がおりますので、計画はできないのが当たり前の考えで楽しくたててみようかなと思います。来週もどうぞよろしくお願いいたします。
- 人生プランを人に見せたら狂人と思われる、と聞いてホッとしました。自分だけのプランをこれから作り続けていきたいです。クラウドファンディング、申し込みました(^O^)
- 図解塾、課外授業「ライフプラン」。いずれ実名で広く公開しようかな、とおっしゃっていた「先生のこれまでとこれから」を一足先に拝見することができ、非常に貴重な時間でした。ありがとうございました。「自分の領域」が必要である。人と会ってはいけない時期がある。本を読んではいけない時期がある。本は読めば読むほど影響される。最近の言葉で言えばインプットを時々遮断せよ、でしょうか。自分の内部にあるものの再認識。公人・私人・個人の3つの円が話に出てきましたが、個人の矢印の先にあるのが、内部の再認識なのかな、と頭の中で図を描いていました。計画・希望。まずは書き出す。書き出して振り返る。「昔あれやっていたけど最近やってないね」って言われて焦るケースがある。言われたときに納得した答えで返せるのが実行計画書→赤ペンチェックを入れたパワーポイント年期の良いところなのかも。たくさんの気になることを計画書にする。→やりたいこと→できたこと→続いていること→続けたいこと。私も書き出したいことがあふれ出てきそうですが、、、でも、早起きも大切。→タイムマネジメントが大切。今夜のお話を基に、自分の内部の再認識をしてみたい。これが今の感想です。
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課外授業に参加させていただき、凡人が何かを為せる人になりたいと思うとき、図解は最強の武器になる、という予感が益々強くなりました。ライフコンシャスライフ、自由な人生。いずれも他人に与えられた枠から出られない人にとっては、叶えられない夢。ですが、それをどんなに些細であってもいいから、自分のやりたいことの洗い出しから始めて変えていける、というのは、なんとも励まされることだな、と思いました。とりあえず、宿題に手をつけます。ちょっと途方に暮れてたりしてますが。また来週よろしくお願い申し上げます。
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「図で考えれば文章がうまくなる」ということは、常々久恒先生がおっしゃっていることですが、今回の課外授業では「人生の計画」を立てるうえでも、「図がすべて教えてくれる」んだと、また一つ学ぶことができました。そして、計画は立てるだけでなく振り返ることも大切で、1年の計画であればそのうちの3割実現できればOK!という考え方を教わり、気持ちが楽になりました。今年の計画を改めて立てるとともに、人生100年時代のライフデザインについても、考えてみたいと思います。
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継続は力なり。何十年も自分の行動目標を書き続け、無防備に説明いただくことに感銘した。自分のアイディンティティを積み上げ確立していく様子が明確に示された。圧巻で、楽しかったです^^自分を確立する時期は誰かの刺激も受けないように、本も読まず自分を確立させる。納得できる部分も・・・。人生は一生の時間管理。30年後、10年後、5年後、1年後、半年、1ヶ月、1週間、1日。ジャーナルの重要性を身に染みて目にし、サボり気味だった日々のジャーナルを今日からスタート。触発され、やる気にみちて、力がみなぎった。「意味」「目的」「継続」「明確さ」が満たされる。生々しく、生きるぞ〜!
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今日は久恒先生のライフプランの講義を受けさせてもらい、ありがとうございました。正確な言葉は忘れてしまいましたが、「人生は暇つぶしをするには長過ぎる。人生は何かをやろうとしたら短か過ぎる」という言葉が印象に残りました。そういう意味では、自分は短いと感じる人生を歩みたいと思わせてもらいました。また、計画を立てることの大切さを実感しました。計画通りにはいかない、しかし、立てないよりはましだ、という言葉は名言だなと思いました。ということで、今夜、さっそく計画を立ててみようと思います。
- 仕事が終わらず、最後の方にみなさんが感想や質問をしているときに少しだけ入りましたが、連絡が入ってすぐに抜けました涙
- 「なんとなくコレ!」という直感を図解にすることで、自信を持って進んで行けるし、じぶんの人生を形作っていきやすくなるのだな、と思いました。自由とは?幸せとは?大切だけど曖昧になりそうな概念を、明確に定義する図解と言葉にしびれました!!
- 自分には「やるなら完璧にしたい」というのを、手を付けない言い訳にする悪癖があるのですが、まずは目標達成率3割を目指す事にします。ありがとうございました。
- 今日はありがとうございました。途中参加ですみませんでした。図解塾お申込最初はクラファンでいかがでしょうか。私も最初から参加したかったのですが、2月半ばまで他の講座と重なっておりまして、その後受講を考えています。よろしくお願いいたします。できたら息子に受けさせたかったです。久恒先生今日はありがとうございました。以下、久恒先生のクラファンです。https://greenfunding.jp/miraifes/projects/4420...愛ちゃん素晴らしい!久恒語録すごいです!そのマインドマップもすごい!
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「名言との対話」1月20日。いずみたく「ボクは一切既成のものを調べるのはやめたよ。自分で考えて自分なりのものを作ってみたい」
いずみ たく(1930年1月20日 - 1992年5月11日)は、日本の作曲家。参議院議員(第二院クラブ)。
仙台陸軍幼年学校、鎌倉アカデミア、中央演劇学校。「ボクは、将来、何か残さなくてはいけない」と考え、22歳の春に「音楽しかない。ボクの進む道は音楽しかない」と決意する。28歳、なんとか音楽で生活できるようになった。30歳、永六輔と初のミュージカル「見上げてごらん夜の星を」をつくる。34歳、「夜明けのうた」が大ヒットしレコード大賞歌唱賞。37歳、永六輔、野坂昭如ら多くの才能が集まっている三木トリロー冗談工房に入る。野坂と「国際芸術協会」という名のCMソング制作会社を設立。35歳から39歳の間で永六輔と組んで「日本の歌」をつくろうと52曲を作曲し、レコード大賞企画賞を受賞。CMソングでグランプリを受賞。劇団四季の浅利慶太と15年間にわたり毎年ミュージカルを作る。作家は、寺山修司・石坂浩二・飯沢匡・矢代静一・井上ひさしらだった。39歳、フォンテーヌ・レコードKKを設立。43歳、ミュージカル小劇場・フォンテーヌ・ビルが完成する。建設費1億2千万、借金7千万。45歳、いずみたくミュージカルアカデミーが発足。47歳、ミュージカル集団・いずみたくフォーリーズが発足し、10人で10年間500ステージを以上をこなしている。51歳、盟友の二院クラブの青島幸男が辞任し、参議院議員になってしまう。、、、、、、、、。
「ボクには先生、または師匠といえる人は一人もいない。、、あえていえば、ボクの師匠は「ベートーベン」とでもいえるだろうか」。昼は肉体労働、夜に毎日2-3曲を作曲するという生活を実行した独学の人だ。
例えばレコード大賞を例にとって仕事ぶりを垣間見よう。1963年から1971年まで毎年レコード大賞の各賞に関係しているのは圧巻だ。「見上げてごらん夜の星を」「夜明けのうた」「「おしゃべりな真珠」「にほんのうた」「世界は二人のために」「恋の季節」「いいじゃないのしあわせならば」「にほんのうた」「夜明けのスキャット」「十二人の女」「昔一人の歌い手がいた」。作曲賞2回、企画賞2回、そして大賞1回である。
『新ドレミファ交遊録 ミュージカルこそわが人生』(サイマル出版会)という自伝を楽しくを読んだ。「出会い」の人という印象をもった。傑出した才能は、多くの人を呼び寄せ、圧倒的な量の仕事に結実していく。それが質もどんどん高めていくというサイクルだった。すぐに仲間と会社やグループを旗揚げする。一種の起業家だ。
歌は1万5千曲(CMソング1000曲以上)。ミュージカルが100本。加えて舞台、映画、TVドラマの曲の加えると数はわからないという。日本一の作曲数ではないか。古関裕而の5000曲など人物記念館があるような作曲家は生涯で3000から5000曲をつくっているのだが、62歳と若い年齢で亡くなったいずみたくの仕事量は群を抜いている。来た仕事はぜったいに断らない主義がその偉業を助けた。
この本の「多くの仲間あればこそーーまえがき」は、1992年2月に書いている。そして5月に亡くなっているから、いずみたくは集大成、あるいは遺書のつもりで書いたのだろう。思い出したのだが、岩波ホールの高野悦子は2013年の2月9日に亡くなっている。「岩波ホールと『映画の仲間』」(岩波書店)の発行日は2月27日。そして「あとがき」は2013年1月だった。大腸がんにおかされて余命わずかの日々に、分厚い本を最後まで書き終えたのである。いずみたくも同じだった。
「芸術家はいつも若く、いつもスタートラインに立っていなければ、よい仕事ができないのだ」と全力疾走の日々を送ったいずみたく、は「仕事をやめて、ペンを置いた時は、ボクは死ぬ時なのかもしれない」といつも言っていたが、そのとおりになった。この人の独学の精神と起業家精神には深く共鳴する。