図解塾「課外授業」は、「幸福論」シリーズの第1回目。「ヒルティ」「アラン」「ラッセル」「幸田露伴」「杉田玄白」「本多静六」。受講者の「幸福感」が少し増したかもしれませんね(^^:)

図解塾「課外授業」は、「幸福論」シリーズの第1回目。

100名ほどの人物の幸福論が手にあり、準備の過程で1回では終わらせるのはもったいない感じがしてきました。

じっくりと感想を話し合いながら一緒に学ぶという参加型の方式をとってみました。初回は以下の人物の幸福論を取り上げました。

「幸福論」の世界的名著を書いた「ヒルティ」「アラン」「ラッセル」。日本人では、「努力論」の幸田露伴、「九幸翁」の杉田玄白、「処世術」の本多静六です。

図解塾のレギュラーメンバーに加え、新しい人が加わって賑やかになりました。終了後のこの写真をみると、幸福感が少し増したかもしれませんね。

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  • 本日はありがとうございました。講義後の感想で述べた事ではありますが、私は幸せのありかたは人によって違うので共有できるものではないと思っていました。日本の会社の集団の中にいると、自分が感じる幸福感は非常に少数派で孤独感すらあったからです。しかし、過去の偉人の幸福論を先生がダイジェストで要点を紹介していただき学習してみると、自分が共感できる言葉が実際は沢山ある事に気づきました。又、学ぼうという姿勢の参加者の皆様にコレどう感じますか?と問いかけて意見を聞く事で、幸福論の概念を多数の方と共有することが出来る事も実感しました。これは、私の人生にとって初めての体験で、独学では得られない多数の人と共有する一体感を感じ、とても楽しい時間となりました。尚、本日ピックアップされた中では、アランの幸福論に自分の生き方と共感できる点が最も多かったと思います。以上、引き続き宜しくお願い致します。
  • 本日初めて参加させて頂きました。大変有意義な時間を過ごさせて頂きありがとうございました。今回ご紹介頂いた先人に共通することとして、「楽観」的であることと、「仕事」と「学び」を通じて幸福を感じることが多そうだという点が気づきでした。印象に残った言葉はアランの「悲観主義は気分によるものである。楽観主義は意志によるものである。」が一番。ラッセルの「教育は楽しむための訓練」本多静六の「職業の道楽化」などでした。次回も楽しみにしております。宜しくお願い致します。
  • 本日はどうもありがとうございました。都築先生のFacebookにコメントさせていただいたことをきっかけに、こちらの勉強会へのご招待を受けました。参加の時間が遅くなり、大変失礼いたしました。毎日、目の前の仕事に追われ、加えて40代の中盤になると求められるものも多くなり、中間管理職の悲哀を感じることがより一層増えてきました。そのような中、都築先生のFacebookから発信されるコメントは、私自身の励みになるとともに、目の前の出来事に振り回されない(マイナス思考から脱出する)、もっと先を見通す力を与えてくださる刺激となりました。都築先生のメッセージは、久恒先生のご講義によるものであることがわかり、今回、参加させていただきました。久恒先生が仰った通り、高校の教員をしております関係で、生徒に向けて話す機会が多いです。私自身が感じたり学んだりしたことを、蓄えておく必要性も感じています。自身が心から実感した言葉を生徒に伝えられた時には、とてもよく聞いてくれますし、心に刻んでくれていると感じています。言葉選びや話を組み立てる中で、良質な先人の言葉を見極める力を培う必要も感じておりました。「良質な言葉とは、どのような言葉なのか」を感じ、考えていきたいと思います。そして、先人の人生やそこから紡ぎだされた言葉を自分の心に重ねていきながら、他人と共感できたことを楽しみ(幸せ)としていけたらな、と思いました。12/8も参加したいと思っております。毎日何かが起こる学校ですので、参加が遅くなってしまうことが予想されます。遅刻をご容赦いただければ幸いです。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
  • 本日は有難うございました。以下、本日の印象深く感じた点です。①人生100年時代の、人生設計に変化すべきだと思いました。思春期・中年期・老年期というくくり方を、実情に応じたものに変えるべきだと。先生の新しいくくり方にとても興味を持ちました。②これからは内面に向かうようになるというお考えにも共感しました。また、そうでなければならないと思います。これからは、私も内省力が大事だと思います。③習慣になれば苦にならなくなる。その考えに同感です。私も、毎朝、FBで日々の思いを綴っています。先生のように息長く続けたいと思いました。
  • 久恒先生 本日は、幸福論の学びの場にご招待いただき、ありがとうございました。 年齢を意識せずに自分を生きていけばいいのだと、勇気をいただきました。 また、年齢を意識すると、気づかないうちに自らの可能性を狭めることにも気が付きました。 楽観的で上機嫌でいることが、幸福であることのコツであることを学んだ次第です。 そして、覚悟して恐怖に臨むのではなく、覚悟して楽観的であることを目指すことで幸福に近づくのではないかと染み入りました。 本当にありがとうございました。
  • 久恒さま、初めて参加させていただきました。現在76歳ですが、これからどのように生きていくのが良いか模索しています。今日の課外授業はその示唆に富む内容で、講師・受講者双方から有益なヒントをいただいたように思います。社会と積極的に関わることで、他人の役に立って喜んでもらうことや、自分が楽しめて他人に分け与えられることを今後続けていきたいと思っています。目標を明確に定めて努力することが欠けているので、楽しく挑戦することを今後の課題とします。本日は誠にありがとうございました。
  • 今日もありがとうございました。ヒルティ、アラン、ラッセル、幸田露伴杉田玄白本多静六。それぞれの幸福論を学ぶ中で、「上機嫌」「楽観」というキーワードが中心に見えてきました。幸福論を語りながら、それぞれの学び観、仕事観からも学ぶことは多かったです。さらに、晩年になっても発信を続けてきた人たちが多いことも印象的でした。ラッセルが80歳で結婚したとは驚きでした。いつもながら久恒さんの膨大なデータベースと、そこから引き出す力、ブログで発信する表現力には舌を巻くばかりです。親しくしてきた友人を新しく招待できて、たいへん嬉しく思っています。
  • 今回もどうもありがとうございました。今回の課外授業のテーマは「幸福論」。先生のデータベースの中から、幸福について論じている100人がピックアップされ、そのうちの6人の分について紹介されました。冒頭、久恒先生が「幸せと幸福の違いは何でしょうか?」と「幸福論はあっても幸福学はないんです。」との話をされてから、6人のお話が始まりました。恥ずかしながら、私にはそれぞれの人物と幸福論とが紐づいていなかったので、それがつながったことがうれしかったです。また、お話を聞いているうちに気づいたのは、ここ10年程の間に出版された自己啓発やライフスタイルを題材にした本に書かれているフレーズと共通するものが多い点です。例えば、「我を忘れて没頭することができること」、「変化があること」、「幸福は外部と内部に存在している」などの言葉は、取り上げ方は様々ですが、生きるヒントとして使われていることが多いように思いました。それだけ、「幸福」というのは多種多様であり、時代の変化にかかわらず不変なのかもしれません。私にとっての「幸せ」や「幸福」について、改めて考えてみたいと思います。
  • 本日もありがとうございました。幸福論、また、たくさんのお話をいただきました。6人の方の紹介と幸福に関する言葉をうかがいました。目的をもって前を向いて取り組んでいることが、幸福と感じる。上機嫌療法。楽観主義は意志によるものである。これらの言葉が紹介いただいた6人の方たちの言葉とも重なったような気がします。忙しい時、下を向いてしまいそうなときこそ、上機嫌で笑顔でと、改めて思いました。次回もどうぞよろしくお願いいたします。
  • 本日もありがとうございました。課外授業ということで『幸福論』を和洋3人ずつの偉人の言葉を通じて学ぶことができました。各人の印象に残った言葉はヒルティ『人を幸福にするのは仕事の種類ではなく、創造と(の結果としての)成功の喜びである』アランと呼ばれたエミール=オーギュスト・シャルティエ『悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は石によるものである』ラッセル『努力とあきらめのバランス(が必要)』幸田露伴『立志、志を立てる』杉田玄白『己れ上手と思わば、はや下手になるの兆しとしるべし』本多静六『人税の最大の幸福はその職業への道楽化にある。職業を道楽化する方法はひとつ努力(勉強)にある』こうやって6名の幸福論のまとめを知ると、幸福であること、についての考え方、その状態や状況は思ったよりも違和感は覚えませんでした。事実、受講生は概ねそれぞれの幸福について共感、同意しているように見えました。もちろん、細かな部分については同意しにくい主張もあったとは思いますが、人間として感じる『幸福の総論』には、どこの部分を強調するか、という違いはあっても、文化や宗教、あるいは時代や国による差異ほど、遠さは感じられませんでした。講義内でレビューしたとおり、杉田玄白の幸福の7つの要素については、現世ご利益的にも思え、長らく日本人の感じる「幸せ」のイメージであり、現代では昭和の価値観、戦後の高度成長期の幸福感そのもので、江戸時代からその価値観が現代まで続いてきているのかと、興味深く拝聴できました。ラッセルは20代の頃によく読んでいた気もしますが、ヒルティやアランほど印象に残っておらず、久恒先生も同様のことをおっしゃっていましたが、こうやって改めて先生のまとめを受けてみると、具体的キーワードで物事を示す人ではなかったのだなあ、と妙に納得してしまいました。次回も楽しみにしています。どうぞよろしくお願いいたします。
  • 久恒先生、本日もありがとうございました。幸福とはどんな状態か?ヒルティ、アラン、ラッセル、幸田露伴杉田玄白本多静六の残した言葉から、覚えておきたいもの。「努力を忘れて努力する」「職業を道楽化」「努力とあきらめのバランス」「楽観主義は意思が必要」「幸福は生活の方向が上を向いていること」「教育とは楽しむ能力を訓練することにある」「学び」「習慣」何事も心から楽しむことができる状態が幸福なのかなと思います。まずは意識的に楽観することを今から始めて、幸福を招きたいと思います。
  • いつもの図解塾のみなさまに、今回はじめて参加された方も加わり、久恒先生から、ヒルティ、アラン、ラッセル、幸田露伴杉田玄白本多静六の、幸福を巡る言葉を、彼らの人生や出来事を合わせて、伺っていくzoomでのオンライン塾。久恒先生の博覧強記、その情報のカタログ的体系整理、ここが面白いというポイント化、そこから派生し滲み出てくるエピソードが、「幸福とは何か」という価値観の表現を、より多面的・多角的に奥行きを増す、「幸せ」な時間でした。そして、言葉にすることで、個人的な価値観や感覚である、幸福論が、感覚的に共有でき独学では得られない醍醐味だ、という参加者の方からの言葉をはじめ、参加されたみなさんのコメント、感想も、非常に味わい分かかったです。幸福論の課外授業はシリーズ化!され、次回は12/8、22とのことです。以下は、印象に残ったことです。[幸福論#1に登場した人物、その言葉について]。・ヒルティの宗教的倫理観、アランの哲学的自由さ、ラッセルの英国紳士道の嗜みは、それぞれの時代と国の価値観が投影されていた点が興味深かったです。 (エマニュエル・トッドの家族分類に基づく価値観の構造の指摘がここでも当てはまっていることを感じました)・日本人の三人では、今回初めて知った本多静六の「幸せとは、方向感である」というステートメントは、個人的に現在取り組んでいる脳構造マクロモデルの師匠、豊田さんが指摘していることと合致しており、その合致に驚嘆しました。脳構造や認知科学が日本や時代的に存在しなかったときに、そういうことを見出せるアプローチには、人間とは何かを見つめ続けることで得られるものがあるのだろうな、と想像しました。・幸福とは何かという幸福論が、こうした違いと共通項を同時に孕むのは、人間とは何かを突き詰めていくと、違いや多様性はあれど、似ている概念に収束していくんだな、と。[印象に残ったフレーズ]・幸福と幸せは何が違うのか?(久恒先生)・上機嫌(アラン)・楽観主義は意思である(アラン)
  • 久恒先生、みなさま、本日もお疲れさまでした。本日のテーマは「幸福論」。例によって先生からふりかけて頂く、先人たちの言葉のシャワーをたっぷり堪能致しました。また新メンバーの方々が多く参戦され、とても賑やかでエキサイティングでした。まず先生からのお話冒頭で「幸福と幸せの違いは何?」との問いかけから始まり、もう場は辻説法の有様。ヒルティの「没頭」「習慣」「3つの机」(異なるテーマを代わるがわる行うと互いが気分転換)に共感。続くアランの「上機嫌(楽観論)」や本田清六の「業の道楽化方法はただ努力(勉強)」ラッセルの「努力と諦め(足るを知る、無理しない)」う~ん、これらもまた良し!。ここで幸せそうな人の顔が強烈に浮かんできました。その人は俳優火野正平さん。授業でもコメントしましたが、某旅番組で毎回便りをよこす様々な視聴者の「大切な風景」を求め、わざわざ自転車を漕いで赴くその目的地の映像とともに手紙を音読する、という趣旨なのですが、もう若くない日野さんが「ゼーゼー」喘ぎながら愛車「ちゃりお君」と共に何故か毎回登場する「山坂道」で奮闘、の果てに在る目的地で、日野さんは毎回ミッションをsafely completeしながら恥ずかし気に去って終わるのですが、その時見る者の心に「あゝ今日も皆無事にひと仕事終わった!」という幸せな気持ちがじんわりと共有され、またこれをずっと継続できる主人公や作り手は幸福で、それを毎回視聴回享受できる我々視聴者も幸福だなと感じ入った次第です。なんか宛先間違えたファンレターになってしまいました、あは。今後も第二第三の「ふりかけ」とやらが待っているとのこと、どこまで幸せになるやら…やはり当塾は、もはや宗教の域に達している感強し。今後も益々楽しみにしております、次回も宜しくお願いい致します。

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「名言との対話」11月17日。青木雨彦「サラリーマンは男らしい仕事である」

青木 雨彦(あおき あめひこ、1932年11月17日 ‐ 1991年3月2日)は、日本のコラムニスト、評論家。

神奈川県横浜市生まれ。神奈川県立横浜翠嵐高等学校早稲田大学文学部仏文科を卒業し、大学大学院修士課程を修了した。在学中は「早稲田大学現代文学会」に所属し、中学以来の友人で後に直木賞作家となった生島治郎、そして小説家となった高井有一、富島健夫、長部日出雄らとともに活動した。

東京タイムス社に勤務し学芸部長まで務めている。その後、学習参考書編集者を経てコラムニスト・評論家になる。

1972年から1978年まで『週刊朝日』に「人間万歳」を連載し、40歳代はユーモアとペーソスあふれる「アメヒコ節」で人気を博した。早川書房の『ミステリマガジン』誌では、読者の誌上登場コーナー「街角のあなた」のインタビュアーなども行っている。

1978年には『課外授業 ミステリにおける男と女の研究』で第31回日本推理作家協会賞評論部門受賞した。

青木雨彦は1964年から亡くなるまで以下のタイトルの本を書きまくった。総計で77冊だ。特に49歳からから58歳までの10年間は毎年5冊のハイペースで出版している。以下、書籍のタイトルをあげてみよう。

事件記者日記 。昭和ヒトケタ社員 サラリーマンにとって男らしさとは何か 。昭和フタケタ諸君 サラリーマンはカッコわるいか。ノンフィクション百科。男の仕事場 昭和ヒトケタの唄。この見事な人たち 男らしさを求めて。男の履歴書。男の家計簿 泣くなサラリーマン。男の子守唄。中年老い易く。夜間飛行 ミステリについての独断と偏見。会社嫌い 言っちゃナンだが。男の長電話。おとこの身辺博物誌。課外授業 ミステリにおける男と女の研究。男の歳時記 サラリーマン考現学。洒落た関係。にんげん百一科事典。冗談の作法。優しくなければ… 。サラリーマン反道徳精神のすすめ。人間万歳 男性篇/女性篇。大人の会話。男と女のト音記号。つき合い方知ってますか 男と女 奴と俺 親父・女房その子ども。このすばらしき「天才」たち。女はいつもミステリー 。遠くて近きは… 。雨彦流当世文章作法。サラリーマン武士道。男の日曜日。一刀半断。男の博物誌。嘘でもいいから… 。ああ、男ごころ。男の更衣室。雨彦のにんげん博覧会。深夜同盟。長女の本 顔もいいけど心がきれいだ。よせばいいのに…。男のティータイム。男と女の泣きボクロ。こっそり教えます。人が見える人が読める人間講座。せめてこれだけ… 。男と女の集積回路。男の知らんぷり。雨彦の実用読書術。男の帰り道。女と男の方程式。女と男は因数分解 女ってナンだ?男ってナンだ?どっちがスゴい?。共犯関係。雨彦のにんげん四季報。悩みは人のためならず 雨彦流人生虎の巻。男と女は混線電話。粋な関係。しごとが面白くなる平家物語 組織を活性化させる人間関係のつくり方。はじめてコラムを書く。人間関係の技術!。男のためいき女の寝息。男と女講座フォー・ユー 。雨彦のPTA会長奮戦記。男の風上 サラリーマン戦陣訓。嫁ぐ娘に贈る言葉 父親が思うこと、希むこと、託すこと 。スピーチのコツ、教えます コラムでトーク。酩酊証言 ミステリと恋愛。会社万葉集 「光る話」の花束。共犯関係 ミステリと恋愛。どんとこい漢字・熟語 遊び感覚であなたも博士。ザッツ・コモンセンス 雨彦の交遊話題 。脱オバサン講座。ことわざ・故事成句、ああ勘違い 陰で笑われないために。古今東西男は辛い。自己啓発読本。ことわざ雨彦流。こっそり教えます 。偽証転々 ミステリと恋愛 。さいごの雨彦流。

「履歴書」「家計簿」「博物誌」「考現学」「武士道」「四季報」「戦陣訓」「万葉集」などの言葉がおどり、すぐに食欲がわいて手に取りたくなるようなタイトルがついている。

青木雨彦の週刊誌のコラムは、時々読んでいたし、名前はよく聞いた。日本の短い絶頂期の1980年代の哀歓を描いた作家である。残念ながら、青木雨彦の本はきちんと読んでいないので、著書紹介を引用してみる。

『男のためいき 女の寝息』。人生の哀歓、人情の機微が滲む名エッセイ。男たちの惑いとあきらめ、女たちの怒りと密かな夢が交錯する。わかっているようでもわかっていない男と女の奥深い関係を、自分を語りつつ綴って雨彦節が冴える。

『大人の会話』。どんな名探偵でも決して解決できないのが男と女のあいだの微妙な関係。そんな男と女が、時には洒落れのめし、時には照れながら、そして真面目に語る大人の会話。プロンジーニ、フランシス、フリーマントルマクドナルドなどの海外ミステリの睦言(ピロートーク)を俎上にのせて、男と女の機微を、鋭く、けれど優しい眼で浮き彫りにする、心優しい大人のための洒落れたエッセイ。

以上の二つは、男女の機微についてのエッセイ集だ。以下は、サラリーマンへの応援歌だ。

『男の日曜日』。家でゴロ寝じゃもったいない。どうして過そう日曜日。そんなサラリーマンに捧げる、どうすりゃいいの人間のための自立読本。「男子、厨房に入らず」と言い出したのは、いったい、どこの、どいつだろう? 焚火にあたるのにもルールがある。知っていますか、そのルール?……一所懸命働いて、やっと休みの日曜日。サラリーマンにとって、遊ぶことは学ぶこと、学ぶことは遊ぶこと。家でゴロ寝じゃもったいない。どうして過そう日曜日。そんなサラリーマンに捧げる、どうすりゃいいの人間のための自立読本。

『男の博物誌』。サラリーマンは男らしい仕事である。 出世の競争もあろう、自分では選べない上司の理不尽なふるまいもあろう、無駄な会議も多かろう……。 だが、愚痴を抑えて、ラッシュの電車にもまれ、少しばかりの酒にやりきれなさを託しつつ今日も働いている、この健気な戦士たちを男らしいと呼ばずして何といおうか?

私もその一員だったが、この時代の猛烈サラリーマンへの応援歌だ。みなこれらの本にうなずき、苦笑し、そしてやはり励まされていたのだ。コラムニスト、エッセイストの役割は、ここにある。今は「令和」の時代、「昭和」は遠くなりにけり、だ。