図解塾・課外授業「幸福論」の2回目ーー男性半分・女性半分(曽野綾子・神谷美恵子・宮本百合子・大庭みな子、、)

図解塾・課外授業「幸福論」の2回目。

人物論=幸福論。第1回の復習(ヒルティ・アラン・ラッセル、露伴・玄白・静六)。毎日の今日のヒントから18本。中野孝次加島祥造河合隼雄森鴎外夏目漱石曽野綾子神谷美恵子宮本百合子・大庭みな子。1月から幸福塾開始。、、、

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東京、神奈川、大阪に加え、仙台、大分などからもあり、多彩な参加者でした。
以下、参加者の感想から。
  • 「幸福論」2回目の授業に出席させて頂き、ありがとうございました。「幸福」ということをテーマに先人の記した言葉を拾っていくと、意外な広がりを発見できて、面白いと思いました。例えば河合隼雄の「生きることに関する生涯学習=人生学=が必要だ」などは、どこかにそうした生涯学習があれば受講してみたいと思いましたし、漱石の「大学に職業学という講座があっても良いのでは」などは、今の「キャリア」の先駆を感じました。また、今回は曽野綾子神谷美恵子宮本百合子などの女性の先人の言葉もありましたが、こちらも意外。自分の「幸福」というイメージからは思いもよらない筋金入りの言葉が多く、驚きでした。今回の授業で一番心に残ったのは「尖らず(△)角張らず(□)転がっていく(〇)」という加島祥造の言葉。特に最後の「転がっていく」というところ  何とも言えず “いいな” と思いました。次回も宜しくお願い致します。
  • 久恒先生。本日はお誘いいただきありがとうございました。以前の知研のセミナーのようで富田さんや力丸さんも参加されていて懐かしくなりました。お陰様で久々に楽しく過ごさせていただき、また大変勉強になりました。「幸福論」、とてもタイムリーでした。70代になって、まだ少し体力があって、仕事と趣味の両立が可能なのかなと思うのですが、以前と違ってまずやってみようという余裕が少なくなってきているのは、日々感じております。ですから何か的を絞らなければと思っておりました。本当に自分の好きなことは何かと日々模索をしていたのですがやはり「知的なこと」は、自分にとってとても清々しいと感じました。この清々しさこそが、私の「好きなこと」なのだとも思います。古今東西の「幸福論」に触れて自分の本当に「好きなこと」「やりたいこと」「幸福」について考えてみたいです。これからの20年を機嫌よく過ごすために。次回も楽しみにしております。ありがとうございました。
  • はじめて参加しました。久恒先生の幸福論を切り口にした「名言との対話」の生解説で、ブログでは読みきれない深部までを解いて頂いたような気がしています。千日回峰行も今や二回達成の域、風呂場等であまり根を詰め過ぎないよう留意下さい! また、参加させて頂きます。
  • 久恒先生、みなさま本日もありがとうございました。本日も「幸福論」をテーマに、古今東西、老若男女様々な偉人先達が発した「幸福」について、例のごとく先生からの言葉のシャワーを存分に浴びさせて頂きました。「上機嫌」「楽観主義は意志」「没頭する」「分かち与える」「よく遊び好きなことをして楽しむ」「変わってもいい、心の成長」「□△〇」…自分の「いいね」を集めてみました。とかく、「突っ込む」「刺す」だのと、足を引っ張られない様、万全の理論武装でカチカチになりながら七転八倒する社業の日々を思うと、理想と現実のギャップの大きさを噛みしめざるを得ませんが、こうして先達の「ふりかけ」を浴びて「自信持てよ」と大きな手で背中を押してくれたような気がしてとてもリラックス致しました。毎度ながら先生の無限の引き出しから繰り出される言葉の多くが心に留まりましたが、偉人たちの名言の力もさることながら、先生ご自身が採取~厳選された情報だからこそ感じられるリアリティによって、心底「そーだよな」と感じる事が出来、今回も参加できて良かったと思っております。早いもので年末が見えてきましたが、惰性に流されず、日々目の前の課題に「没頭」し「楽しむ」ことを実行していきたいと思いました。ありがとうございました。
  • 本日もありがとうございました。印象に残ったのは、最初の、「幸福論というアンテナを立てると毎日必ず何か見つかる。」ということでした。それを忘れないように、梅棹忠夫先生の「ウイルソン霧箱」のようなものを身に付けていきたいと思いました。幸福論の中では、後半の多くの女性の生き方や言葉が印象的でした。知らなかった人も多かったし、宮本百合子が獄中で膨大な著作や往復書簡を残したこと、女子教育のために尽くした方々の使命感、あの新宿の中村屋の創業者が女性でインド人(でしたっけ)を長い間かくまったことなど、名言と共に、男女平等で無かった時代にもそれぞれドラマがあることに改めて感動しました。
  • 本日もありがとうございました。幸福論の講義でした。どんな価値観を持って生きてきたかという人物論が、その人なりの幸福を求めた生き方の幸福論へと発展したお話を拝聴いたしました。なるほどという言葉のオンパレードでした。印象に残った言葉がたくさんで、あれもこれもよいなぁと思って自分の流される感覚が収まる場所を見つけたいなぁと思いました。人のために頑張れる、それが幸せ。幸福とは幸福を探すこと。アランの上機嫌療法。杉田玄白の泰平に生まれること。中野孝次さんの「自分の言葉ばかりで物を言うようになったとき、人は始めて真の自分を獲得し自分を肯定できるのだ。」加島祥造さん、変化を受け入れると良い方向に向かう。人生は尖らず角ばらず転がっていくべき鷗外と漱石曽野綾子さん、仕事が道楽になったとき、その道の第一人者に近くなれる。私は50歳ではじめて私に出会った。神谷美恵子 『生きがいについて』自分がしたいと思うことと義務が一致したとき。宮本百合子大場みな子、村岡花子相馬黒光広岡浅子、、、たくさんの女性たちも紹介くださいました。これからも楽しみです。次回もどうぞよろしくお願いいたします。
  • 幸福論第2回。所要にて中座しましたが、いない間に懐かしい方もご参加されており、次回以降にも期待です。11月後半から数週間で久恒先生が「幸福」をキーワードとし、あれよあれよと世界の「幸福」とはなにか、ということについて思考を深めていったのはとても刺激を受けました。毎日続けてアンテナを立てる事の重要性と、得た情報をまとめるための図解思考を目標に自分自身のテーマもそのように掘り下げていきたいと感じました。先生、みなさま、本日はありがとうございました。また次回どうぞよろしくお願いいたします。
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    今日のヒント

    グランマ・モーゼス「私たちは本当に進歩しているのだろうか、、素敵な幸せな暮らしでした。人々はそれぞれ今より生活をエンジョイし、少なくとも今の人々より幸せに思われました」

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    「名言との対話」12月8日。門上千恵子「さし当たって出口をひらいているささやかな努力を積み上げてゆかねばならない」
    門上 千恵子(かどがみ ちえこ、1914年12月8日 - 2007年8月6日)は、愛媛県出身の弁護士。日本における初めての女性検事。享年92。
    愛媛県伊予郡松前町の生まれ。松山高女、広島県立女子専門学校を経て、女子に門戸を開いていた九州帝国大学法文学部(初代学部長は美濃部達吉)に入学する。法律学科では初めての女性だった。在学中に羅馬法(ローマ法)の研究で帝国学士院から賞を授かる。卒業後、1940年から4年間、九州帝大で副手、助手として勤務。この間、高等文官試験司法科に合格。上京し、結婚する。後に1949年に女性検事第1号として東京地検に任検した。東京地検東京地裁判公判検事となるが、1964年に家庭で起こった事件で退官。1965年に弁護士登録し、活躍する。90歳でも現役の弁護士だった。
    この間、縁のあった白梅学園の理事を30数年にわたってつとめてもいる。その学園発行の「地域と教育」第21号の「白梅学園の先駆者たち19」で樋口秋夫が門上千恵子のことを紹介している。この中での彼女の発言を拾ってみたい。
 
九州帝国大学での学びはヒューマニズムの理念であり、この精神から、巨悪を眠らせてはいけないと法曹の道から検察官検事を選んだ」
「初の女性検事として職務についても、女性の立場から社会悪に対処してきましたし、これからもそうしていきたいと思っています。」
「世の中には、検事というと血も涙もない鬼のような存在だと思う方があるかも知れませんが、起訴猶予にした人が更正の手紙を寄越したり、元気な姿で訪ねてきた場合、心の底からやりがいを感じ喜びをいだいている検事の姿もぜひ知っていただきたいと思います。」
「根本は国家社会の構造そのものの問題であることを人々は知っている。日々無数に生起している一つ一つの問題の処理と取り組みながら、同時にそれがつらなっているこの根本まで思いをいたしながら、さし当たって出口をひらいているささやかな努力を積み上げてゆかねばならないことを思うのである。」
「さし当って出口を開いているささやかな努力」という言葉には万感の思いが込められている感じがする。女子教育のとば口がようやく開き始めた時代に九州帝大法文学部法律学科の初めての女性として学び、そして日本で初めての女性検事として仕事をする。「ささやかな努力」というが、その開拓精神によって後に続く女性たちの道を切り拓いたのである。
1999年に発刊された『女たちの20世紀100人ーー姉妹たちよ』という本がある。日本初の女性医師・荻野吟子、女子教育の先駆者・津田梅子、東京女子大新渡戸稲造の後を継いだ2代目学長・安井てつ、さらに樋口一葉上村松園柳原白蓮、神近市子らと並んで、門上千恵子も日本初の女性検事として紹介されている。
女性の社会進出の歴史を構成する長い、長い列に並んだのだ。その列は今もえんえんと続いている。