ヴァンジ彫刻庭園美術館(静岡県三島市)ーー「新しい形の探求を通して、世の移ろいを見定めることに、私の人生はささげられました」

富士山を背にし、伊豆の山なみを望む三島市クレマチスの丘に建つジュリアーノ・ヴァンジの彫刻庭園美術館を訪問した。11月14日。

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駿河銀行の岡崎喜之助がヴァンジの専門美術館をつくった。偉業である。

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1931年生まれ。イタリアを代表する具象彫刻の巨匠。フィレンツェ近郊で生まれ青年期を過ごす。抽象表現をもとめブラジルにわたる。そして再び具象表現に人間の内面を表すことを見出す。

30代後半は人間の極限状態を描く。40代後半から、素材のくぼみに異質の素材を嵌め込む伝統工芸技法「象嵌」を駆使する。木、石、金属など異なる素材の特徴を生かしながら、神秘的で重厚な造形、色彩を取り入れた多様な表現を試みた。人間像に迫る作品群がである。最初から最後mで必ず自分の手て行うという一点制作主義。

「私たちに生を生き切り開かせるこのエネルギーが、尽きることのない情熱をかきたて

、新しい形の探求を通して、世の移ろいを見定めることに、私の人生はささげられました」

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チューブの中の女。手袋をはめる男。緑の髪の男。エレナ。女と風景。裸足の女。座る女。人物。黒い服の女。花柄の服の女。三つ編みの女。立っている裸の男。、、、

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異なる素材を一つの作品にまとめる。多色遣いの彫刻。共感させ、考えさせる。瞑想的な作品。背景や状況説明になる支柱や台座と人物を組み合わせる手法。素材自体の色と質感、表面の光と影。人と自然の共鳴。

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彫刻庭園美術館ほど贅沢な美術館はないだろう。広大な敷地のあちこちに彫刻が点在する風景は素晴らしい。自然の移り変わり、天候による変化、などが作品に意味を与えるという構造になっている。絵画の室内美術館と違うスケールの大きなところがある。箱根の森彫刻美術館などが典型だ。大型の彫刻が全国の野外にたっている野外彫刻の本郷新、イサムノグチの作品も同様だ。

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今日のヒント「幸福」

倍賞千恵子(80歳)。日経新聞11月26日。

「年齢なんて、ただの数字に過ぎない」「皆が平等な立場で力を合わせて人生を楽しむことが自分の生きがいになっています」「人生100年時代。仕事を離れ、気軽な友人の輪がどれだけ広がるのか。いつもワクワクしています」「好きなことに熱中し、友人や夫と楽しく人生を過ごす。そんな環境が最高の健康法かもしれませんね」

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「名言との対話」11月26日。坪井清足「日本文化の特徴は弥生時代の農耕民の明るさにあるが、あらゆる時代に狩猟採集民の縄文的表現がにじみ出し、噴出する」

坪井 清足(つぼい きよたり、1921年11月26日 - 2016年5月7日)は、日本の考古学者。94歳没。

大阪府出身。 1941年京都帝国大学文学部に入学。1943年に召集、1946年3月に復員。復学後、京都大学大学院に進学。1950年から平安中学校・高等学校に勤務し、1955年に奈良国立文化財研究所に入所。1977年から所長。1986年に退官。

1986年から2000年まで財団法人大阪文化財センター理事長。また2000年から、財団法人元興寺文化財研究所副理事長、所長・理事長を務めた。

1983年度第35回NHK放送文化賞。1990年度大阪文化賞。1991年度朝日賞。1991年 - 勲三等旭日中綬章。1999年 - 文化功労者

坪井清足責任編集『縄文との対話』(集英社)を読んだ。

1万2000年前の縄文時代草創期の土器は世界最古の土器である。縄を器面に転がす。立体的・彫塑的。空間充填願望。

米を主食とする稲作文化の弥生時代に獲得した農耕民の明るさが日本文化の特徴だが、あらゆる時代において狩猟採集民のもっていた縄文的表現がにじみ出し、噴出する。

古代美術の代表は埴輪である。聖域を守る円筒埴輪から始まる。やがて人物埴輪があらわれる。人物埴輪は殉死の悪習を改めるためのものであったと言伝えられている。さまざまの表情をみせる人物埴輪は今でも人気がある。

この本は何をもって日本文化というか、日本的と考えらているものがどのように形成されていったかを探ることが目的である。坪井は弥生文化が日本的文化の特徴としているが、弥生以前の縄文的表現が、あるときはにじみ出てくる、そしてあるときはそれが噴出してくるとしている。

日本とは何か日本文化とは何か、については論争がながく続いているが、縄文と弥生の関係をそのようにまずは理解しておくことにしよう。