翡翠(カワセミ)。岡本太郎。忠犬ハチ公。橘川幸夫。元祖くじら屋。喫茶館キーフェル。村上春樹ライブラリー。弥生美術館「谷崎潤一郎」展。竹下夢二美術館。鹿野琢見。

朝の散歩中に翡翠カワセミ)を発見。

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渋谷:岡本太郎の「明日の神話」で元気をもらう。
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橘川さんとハチ公前で待ち合わせ。
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元祖くじら屋でくじらステーキの昼食。
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TOHOビルの喫茶「キーフェル」で打ち合わせ。
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早稲田大学にできた 国際文学館村上春樹ライブラリーを訪問するが、事前調査が甘く開館していなかったのでガックリ!。

気をとり直して、根津の弥生美術館、中廊下でつながっている竹久夢二美術館を訪問。

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弥生美術館「谷崎潤一郎をめぐる人々と着物」展。

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竹久夢二美術館「30のキーワードでひもとく竹久夢二展」

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弥生と夢二の二つの美術館をつくった鹿野琢見弁護士。

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鹿野 琢見(かの たくみ、1919年4月15日 - 2009年10月23日)は、日本の弁護士

宮城県栗原市生まれ。1929年発行の雑誌『日本少年』の巻頭口絵は高畠華宵の「さらば故郷!」をみた当時10歳であった鹿野は強烈に感動し出征するまで勉強部屋に保管する。陸軍士官学校終了。1949年東北帝大法文学部卒。1952年弁護士登録。

1965年3月に華宵(当時77歳)が兵庫県の明石愛老園にいることを知り、「『さらば故郷!』のような絵を再び描いていただければ…」と手紙を送る。華宵からは折り返し返事があり、その後『新さらば故郷!』を送られるに至った。自宅には、華宵作品を集めた「華宵の間」をつくり、一般にも公開するようになった。華宵も度々滞在することになった。10月には「華宵会」を結成した。1966年7月31日、華宵没す。看取ったのは鹿野が看取った。鹿野は告別式を営み「さし絵葬」と命名した。

1964年、弥生町町名変更訴訟の原告団となる。1969年第二東京弁護士会副会長。1984年、華宵のコレクションを公開すべく念願の弥生美術館が創設された。弥生美術館創立。夢二の次男 竹久不二彦氏との出会いがあり、大正ロマンの源流といえる夢二に心魅かれるようになり、蒐集と研究に邁進し、1990年に竹久夢二美術館創立。1997年には建築家で詩人の立原道造記念館を創立(現在は閉館)。2009年死去。

少年時代から亡くなる90歳まで、本業に加え、絵の収集と美術館、記念館の創立と運営に力を注いだ人だ。陸士同期で新聞記者であった柳路夫は「鹿野君は夢二の思いやこまごました指示等をつづったノートを32冊も残しているという」と追悼録で語っている。今回の訪問時に年配の女性二人が「いい美術館ね」と語り合いながら通っていたのをみた。この人は弁護士と絵画コレクターがこうじて美術館まで自宅に創設するという二刀流の生涯だった。

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今日は1万5千歩歩いてしまった。

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「名言との対話」11月5日。祖父江孝男「県民性は確かに存在する!」

祖父江 孝男(そふえ たかお、1926年11月5日 - 2012年12月15日)は、日本文化人類学者。

東京生まれ。東大、 ノースウェスタン大学ハワイ大学ウィスコンシン大学客員教授明治大学政経学部教授を経て、国立民族学博物館の創設に参画した。アラスカエスキモーが専門である。日本民族学会(現・日本文化人類学会)会長、日本生活学会会長などを歴任した。1993年紫綬褒章

以下、著書。『行動する人間』 日本評論新社 1959 (科学ノート人間の解明)。『文化人類学のすすめ 行動する人間』 講談社学術文庫 1978。『エスキモー人 日本人の郷愁をさそう北方民族』 光文社カッパブックス 1961。『ハワイ』 講談社・原色写真文庫 1967。『県民性 文化人類学的考察』 中公新書 1971。『アラスカ・エスキモー』 社会思想社・現代教養文庫 1972。『文化とパーソナリティ』 弘文堂 1976。『文化人類学入門』 中公新書 1979、増補改訂版1990。『文化人類学 世界の民族と日本人』 放送大学教育振興会 1986、新版1991(放送大学教材)。『日本人の国際性 その構造分析』 くもん出版 1989(くもん選書)。『出身県でわかる人柄の本 日本人の常識』 同文書院「快楽脳叢書」 1993。改訂版 『県民性の人間学新潮社「新潮OH!文庫」 2000/ちくま文庫 2012。

祖父江孝男『文化人類学入門』(中公新書)を読んだ。アームチェア・フィロソファという言葉がある。「安楽椅子の哲学者」と訳されている。こういった文献だけを扱う学問ではなく、フィールドワーク(実地調査)という正反対の方法で世界の民族の文化や社会を、具体的、実証的に研究しようとするのが文化人類学である。相手の生活に一緒に加わりながら行う参与的観察と、臨機応変に適宜質問を行う面接が主たる方法である。

この学問の特徴は「比較」であると梅棹忠夫の本にも書いてある。いくら細かく調べても分かったとはいえない。民族の比較をやっていくとあまりの違いに驚くという。人類という概念が存在するのかという疑問もわいてくるそうだ。民族を他との比較で理解し、人類について考える学問ということになるだろうか。

さて、祖父江孝男が広めた「県民性」である。農村漁村の高齢者の生活史を収集した『出身県でわかる人柄の本』(同文書院。1993年)をもとに加筆した 祖父江孝男『県民性の人間学』を興味深く読んだ。農水省の事業で全都道府県に脚を踏み入れており、農村漁村の高齢者の生活史を収集している。その成果でもある『出身県でわかる人柄の本』(同文書院。1993年)をもとに加筆した本だ。

「カカア天下に空っ風」の群馬、「江戸っ子は宵越しの金を持たない」の東京、浄土真宗の影響が色濃く残る富山など北陸、反官僚的姿勢で自由な大阪、「京のブブ漬け」が健在で遊びの精神がある京都、よそ者が住みやすい札幌や福岡、住みにくい愛知、理屈っぽく議論好きの長野、、、、など興味深い指摘がある。

私の出身の大分県はどうか。有名人として、中津からは福沢諭吉松下竜一小野不由美があげられている。大分県の県民性はつかみにくいことを前提にしたうえで、「ぶっきらぼうだが、実直な人柄」「協調性はないが、内には積極性が秘められていて、進取の気性に富んでいる」「ユーモア好きで、アイデアマン」。小藩が分立している土地柄の影響か、出身県をことさらあきらかにしないで、徒党を組まず一人の才覚で立っていく人が多いと私は聞いていた。これらは私にあてはまるだろうか。

九州・沖縄の県民性を比べてみよう。「九州男児」の福岡、「赤猫根性」の大分、「薩摩の大提灯」の鹿児島、「肥後の中将」の熊本、「まあまあ主義」の宮崎、「ふうけもん」の佐賀、「テエゲエ主義」の沖縄。九大時代の仲間を思い浮かべると、思い当たる節もある。

この本は興味深い言葉が満載だ。じょっぱり。三ぽい。親分子分制。おれが大将。初物食いでおっちょこちょい。天領根性。まあま主義。へらこい。東の長野か、西の徳島か。讃岐の猿まね。いごっそう。はちきん、、、、。ことわざ、言伝えなどが随所にちりばめられていて楽しめる。京の着倒れ、大阪の食い倒れ、奈良の着倒れ、名古屋の貯め倒れとう比較も納得感がある。

祖父江孝男は、濃淡はあっても県民性は実在すること、そして県民性は風土と歴史でつくられると結論づけている。この本を通読して、大分県でも豊後と豊前とでは違うように、やはり江戸時代の藩の存在が大きいと感じた。生身の人間は一人ひとり違うのだが、祖父江孝男の書いたベストセラーによって、「県民性」という言葉が一般に定着したと言われている。なるほど、たしかに県民性はあるかもしれない。