「図解塾」ーーKDP

公園散歩中の「紅梅と白梅」。1万歩。


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図解塾第4期④を開講しました。

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以下、塾生の学び。

  • 本日もありがとうございました。図解塾レポートの作成の方法についてお話させていただきましたが、お話するための資料を作る際に、自分でも、あやふやなところや、理解できていないことが分かりました。KDPのシステムは良くできていると思うので、何か形にしたい方にはおすすめなシステムだと思います。また、MXテレビの寺島先生の番組の図メモの説明を聞いて、取り組まなくちゃなと、思いました。挑戦してみます。来週は編集会議ですね。どうぞよろしくお願いいたします。
  • 本日もありがとうございました。誰でも自由に出版ができるというKDPについてのお話を聞いて、本当にすごい速さで時代が変わっていることを実感します。敷居が低くなったのはたいへん嬉しいのですが、自分の発信したいコンテンツの充実や、原稿を書く遅さ(実は今月いっぱいとか10日までとか、個人的にいくつかあるのにいっこうに進んでいないのにやや凹んでいる状態)が課題だな、と思うところです。第2期の編集会議に参加できるのはありがたいことです。寺島実郎さんの「世界を知る力」の図メモも、ただ書きっぱなしでその後の整理が足りませんでした。4月以降の新しいシリーズも楽しみにしています。
  • 久恒先生、みなさん、今回もどうもありがとうございました。今回は、図解塾レポートの作成に関することとして、電子書籍やペーパーバックを無料でセルフ出版できるという「Kindle ダイレクト・パブリッシング(KDP)」について解説がありました。前回、先生から「簡単に本を出版できる」と伺っていましたが、本当に手軽にできることに驚きました。2期のレポートを担当しますが、編集会議をするなど、みなさんにお世話になりながらであれば、私でも何とかやりとげられそうに思えました。よろしくお願いいたします。次に、「寺島実郎の世界を知る力」の図メモ。Mキャスで視聴しましたが、箇条書きというか単語だけの羅列になってしまい、図メモにはなりませんでした。後で見返すと実にわかりやすい図メモの作成は大きな課題です。最後に、4月からの図解塾について紹介がありました。「プロジェクトで学ぶ」ということですが、初体験ですし、もしかしたら梅棹忠夫先生の本作りに関われるかもしれないので、ワクワクしてます。引き続き参加しますので、よろしくお願いいたします。
  • 久恒先生、皆様、本日もお疲れさまでした。第4期図解塾4回目の本日、AMAZON KDP出版についてレクチュア頂きました。「お金をかけずに出版」がウリのWebサービスで、日ごろ古本などを購入するのと同じパスワードでサインインでき、Microsoft Word操作も自然と身につくという詳しいヘルプ案内まで完備で誰でも出来ちゃうとのこと。Web紹介に留まらず、説明員を買って出てくださった近藤さんは、なんと!自ら作図された「KDP出版方法まんだら」を駆使しての主役ぶりで、まさに図解塾の白眉。出版Webテク云々よりも、「日常の業務報告」のノリで図解を完全に駆使されるお姿は、本日一番の「K点超え」と記したいと思います。有難うございます。一方、我々塾生が辿った「第二期」「第三期」講義まとめ~出版に塾生自らがこれを駆使して挑戦いくという「壮大なおさらい」を計画される久恒先生の野望はこれに留まらず、既に目線の先は「新塾生募集どうする?」に有りとの事、振り落とされぬよう、先ずは着実に「まとめ」を実行していきたいと思います。「編集会議」も実施の目途たち、皆様と共に「令和の写楽軍団、いよいよ始動か!」と鼻息だけは強いです。寺島先生の「世界を見る…」「リレー塾」も稼働し、にわかにマルチタスクな年度末の日々ですが、冬季五輪カーリングチームに見る「超積極姿勢な上機嫌」を見習い、乗り切っていきたいと思っております。次回も宜しくお願い致します、有難うございました。久恒先生、みなさん、今回もどうもありがとうございました。
  • 久恒先生、みなさま、図解塾ありがとうございました。本日はまず、「Amazon kindleダイレクト・パブリッシング」によるセルフ出版についてのご紹介があり、大変興味深く伺いました。自らWordに打ち込んだテキストを、自ら編集し、表紙のデザインも作成、販売まで出来てしまうというサービスで、これまでの出版とはだいぶイメージが異なり、驚きでした。小冊子としての出版物もできそうで、一定のボリュームがあれば、幅広く活用できそうです。ただし、当然のことながら、コンテンツに関するアイデアや、出版に値するテキストを書き溜めておくことが必要で、ここのところが自分の一番の課題です。次に、TOKYO MX配信の「寺島実郎の世界を知る力」の図解。こちらは放送を視聴できず、図解できないまま本日に臨むこととなってしまいましたが、エムキャスのアプリでオンデマンドで視聴できると伺い、さっそくアプリを入手しました。次回の放送からは図解を試みたいと思います。4月からの図解塾では「プロジェクトで学ぶ」という新しいテーマも始まるとのご紹介もあり、楽しみです。引き続きよろしくお願いいたします。
 
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今日のヒント 梁啓超梁啓超文集」(岩波文庫
  • 必ずしもオリジナルな新学説を打ち出せなくとも、同胞を幸福にするために、誠実な精神、高潔な心情、流暢な文章で、他国文明の新思想を移植できたケースもある。こうした力を有したなかにも、やはりはかりしれぬほど偉大なものがいる。、、ヴォルテール福沢諭吉トルストイ、、、。
  • われわらえの人口は世界の四分一を占める、われわれは人類全体の幸福に四分の一の責任を負わねばならない。
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「名言との対話」2月23日。梁 啓超「わたしはいつもその時々に心のなか信じるものを示して、誠実かつ真剣に国民の叱正を請うたにすぎません」
梁 啓超(りょう けいちょう、リャン=チーチャオ 拼音: Liáng Qǐchāo、1873年2月23日〜1929年1月19日)は、中国近代のジャーナリスト、文学者、思想家、革命家、政治家、教育者、歴史学者、新法学者、社会運動家、書家兼「百科事典」の国師式人物。 

中国広東省うまれ。清末〜中華民国初期に活躍した。17歳で科挙の郷試に合格し挙人となる。18歳で康有為に出会い、無用の旧学を葬り去ってくれたとし師とする。康有為と共に戊戌 の変法で活躍する。失敗して日本に亡命。保皇会を組織して「新民叢報」を発行し。立憲君主制を主張して孫文の中国同盟会と対立した。
39歳で帰国。中華民国時代には進歩党を結成。司法総長や財政総長を歴任。袁世凱  の帝位就任に反対して第3革命を援助し、第一次世界大戦後のパリ講和会議に出席した。
政界引退後は教育と著述に専念した。『中国歴史研究法』他多数の著書がある。
前々からこの人の名前を中国人留学生から聴いていた。その学生によれば「久恒先生は梁啓超だ」と不思議な言葉を何度か言われたので、興味を持っていたので、500ページを超す大著『梁啓超文集』(岩波文庫)を熱心に読んだ。

日本亡命の日々で「日本語が読めるようになったことで、思想が一変した」という。西洋の思想も含めて、日本語に翻訳された文献をむさぼり読んでおり、世界のことを以下の様に説明してくれる。。

個人の力で世界を動かした10人の人物をあげている。コペルニクス。ベーコン・デカルトモンテスキュー。ルソー。フランクリン・ワット。アダム・スミス。ブルンチュリ。ダーヴィン。また、他国文明の新思想を移植した偉大な人物として、ヴォルテールトルストイ、そして福沢諭吉をあげている。「福沢については、日本人が西学を知ったのは、福沢諭吉のおかげである」「維新改革の事業も、福沢の提言によるものが6、7割をしめる」と高い評価をしている。「世界を動かせなくとも、一国を左右することはできるだろう」と自国の学者たちを鼓舞している。
中国についての説明も興味深い。中国には国家はなかった。朝廷があっただけである。夏、商(殷)、周、秦、漢、魏、晋、宋、斉、梁、陳、隋、唐、宋、元、明、清は、朝廷に過ぎない。朝廷は公ではない、私である。王朝の名前しかなく、国名がない。中国、中華はといういい方は自尊自大で傲慢だ。 
中国の地理。中国は5つに分ける。中国本土、新疆、青海・チベット、蒙古、満州
孔教は「人はどうしたら人となれるか。人群(社会)をどのように群となりうるか、国家はどのようにして国となるのか、を教える」とし、世界に徳育を教える重要な教えだだという。宗教は専制的で雅量がないが、反対に孔教は寛大で自由があるとする。
小説という文芸を高く評価する。「一国の民を新しくしようとすれば、まず一国の小説を新しくしなければならない」「小説は文学の最上乗である」。
中国革命の二つの特色。西洋とは違って、私人の革命はあったが、団体の革命はなかった。野心の革命はあったが、自衛の革命はなかった。上等と下等の革命はあったが、中等の革命はなかった。中国の革命は全国が害を受け、利を享受するのは一部。革命が成就するまでの時間が長い。革命家と革命家の衝突がある。革命の時期は異族の侵入の時代でもある。改革「緩やかに、部分的に、正比例的に」、変革は「急激に、全体的に、反比例的に」と説明する。
日清戦争の敗北の原因は、学問と教育にあるとし、婦学(女子教育)が重要とした。そして 常に報界(ジャーナリズム)の中心にいた。清華大学教授、北京図書館館長をつとめるなど、知の巨人であった。
「およそ人の性質は、決して現在の境地に満足することはできない」。「わたしはいつもその時々に心のなか信じるものを示して、誠実かつ真剣に国民の叱正を請うたにすぎません」と語った。その時々の情勢に応じて、立場を変化させ、新しい論陣を張った。あるとき、「日本に住み、ヨーロッパ、日本の俗論に染まり、さかんに偏狭なる国家主義を唱えた」と自己批判的に生涯を総括してもいる。
近代思想の指導者・福沢諭吉とジャーナリズムの先駆者・徳富蘇峰を合わせたような人物との印象を持った。留学生にいうように私と似ているなどとは決して思わないが、私にとっても興味深い人物であることは間違いない。
 

(参考:出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について)