五木ひろし。秋元康。三谷幸喜。長谷川博己。五木寛之。

散歩中にNHK「聞き逃がし」配信を楽しむ。1万歩。

NHK「ラジオ深夜便」の五木ひろしが語る「母」。64歳の時のインタビュー。五木の人柄や生き方に感心。

NHK「秋元康の超プレミアムトーク」5月4日。秋元は1958年生。

「慈悲」について:「滋」は励まし、「悲」は慰め。

五木寛之「「慈」とは頑張れという励ましですね。そして「悲」とは、もう頑張らなくてもいいと、」。「慈」とは、同朋にむけて発する励ましの目差しですが、「悲」」のほうはただ黙ってそばに坐り、苦しんでいる人の手に手を重ねて、ともに涙を流しているような、そんな姿勢ではないかと思います。「慈」と「悲」とは「励まし」と「慰め」と言いかえることができるかもしれません。

「大全」の編集作業。途中でコピー機が限界に。ケーズデンキで調査。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「名言との対話」5月6日。井上靖「努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る」

井上 靖(いのうえ やすし、1907年明治40年)5月6日 - 1991年平成3年)1月29日)は、日本小説家

北海道出身。四高、九州帝大を経て、京都帝大を卒業。毎日新聞につとめ、1950年「闘牛」で芥川賞後、作家生活にはいり、「氷壁」など中間小説とよばれる物語性ゆたかな作品や、「天平の甍」をはじめとする歴史小説で人気をえた。文化功労者文化勲章受章。代表作には「敦煌」「孔子」などがある。

以下、井上靖との縁を思いだしながら、追想していく。

 2005年に北九州小倉の松本清張記念館を訪問した。毎日新聞の2004年10月26日の記事に第58回読書世論調査の「好きな作家」(一人で5人挙げる)という結果が出ていた。芥川賞では、1位松本清張(22%)、2位遠藤周作(17%)、3位井上靖(13%)、4位石原慎太郎、5位田辺聖子、6位北杜夫、7位大江健三郎、8位村上龍、9位石川達三、10位柳美里井上靖は堂々の3位であった。

2006年に北海道旭川市の自衛隊駐屯地に程近い場所に井上靖記念館があり、訪問した。

 「人生は使い方によつては充分長いものであり、充分尊いものであり、充分美しいものである。」「自分で歩き、自分で処理して行かねばならぬものが、人生というものであろう」「何でもいいから夢中になるのが、どうも、人間の生き方の中で、一番いいようだ。」「これまでとまったく違った新しい人生というのは、十五年ぐらいかけてチャレンジすると、かなり達成できるものなんですよ。」

勉強家・努力家であった井上靖の言葉には深い叡智が宿っている。15年かければまったく新しい人生をつくることができるという言葉も井上靖だから説得力がある。この人の姿勢には見習べきものが多くあると感じた。

井上靖の作品は今まで何冊か、手にしている。2017年、井上靖蒼き狼」(文藝春秋)を読了。 鉄木真(テムジン)が成吉思汗(ジンギスカン)になっていく物語だ。

父が判然としないまま生まれたモンゴルの子は首を刎ねた敵のメリキトの首領の名前の鉄木真(テムジン)と名付けられた。同様に鉄木真の長男は父が判然としないまま生まれ、客人という意味のジュチと名付けられた。モンゴル族蒼き狼となま白牝鹿から生まれた最初のバタチカンが祖先である。この二人は出生の謎があるため、「狼になろう」と生涯を戦い続けた。敵を持たない狼は狼ではなくなる。その物語である。

1189年鉄木真は28歳でモンゴル部族の長である汗に推される。44歳、全蒙古の王となり盛大なる大君という意味の成吉思汗(ジンギスカン)となる。大きい耳、鋭い眼、引き締まった口許。

乱れのない統制。重層的な組織。厳しい訓練。鉄の規律。若き耶律楚材を登用する人材眼。「草原の如く拡がれ。海の如く布陣せよ。そして鑿(のみ)の如く闘え」という戦法。それが連戦連勝で空前の大帝国を築いた成吉思汗のやり方だった。戦いに明け暮れれ中で勇壮な武将たちが育った。後継者候補の息子たちはそれぞれ逞しく育っている。また孫になるフビライとフラグも傑出していた。成吉思汗はただ生きているだけでなく、楽しく生きることをモンゴルに与えようとした。それが現実になってみると、モンゴルではなくなると強い違和感を覚るのだった。

西夏チャガタイ汗国・オゴタイ汗国・イール汗国・キプチャク汗国をつくり、インドと中国・宋をのぞく世界を征服した成吉思汗は、モンゴルの蒼き狼の末裔であることをまだ立証できていないと考える。大作戦を戦い続ける原動力はそれであった。出生の秘密を乗り越えるための人生であった。享年65。成吉思汗の孫の第5代のフビライが1271年に建国した統一王朝・元は1271年から1368年まで100年保たずに滅び、朱元璋の明が引き継ぐ。

2021年11月に『あすなろ物語』に登場する愛鷹山山麓にある井上靖文学館を訪問した。静岡県長泉町クレマチスの丘にある。井上靖文学館は、1973年11月25日に開館した。井上が学んだ旧制沼津中の後輩で、スルガ銀行第3代頭取の故岡野喜一郎氏が設立した。作家存命中に設立された個人文学館は珍しかった。井上は何度も訪れ読者との交流を重ねている。文学館を設計したのは建築家・菊竹清訓だ。瀟洒で清潔な印象の、井上靖の文学作品の香りがする建物だ。代表作『あすなろ物語』の中で、主人公が詠む「寒月ガ カカレバ キミヲシノブカナ 愛鷹山ノフモトニ住マウ」という歌にちなんだ場所である。建物は自伝的小説しろばんば』に登場する土蔵のデザインの鉄筋コンクリート二階建てである。

初版本や限定本などの希少な書籍、原稿や万年筆といった愛用品を含め、約3000点の資料を所蔵している。2021年4月に長泉町営となり、新たなスタートを切ったばかりだった。1階には映像コーナーがあり何本か見た。2階は自由に本が読めるスペース「ミュージアムライブラリー」となっている。「養之如春」(これを養う春の如し)という色紙があった。何事であれ、もの事を為すには、春の陽光が植物を育てるように為すべきだという意味。「これ」には何でもあてはまる。子育て、愛情、仕事、病気など、春の光が植物を育てるように為すべきだという教訓である。

山崎豊子毎日新聞学芸部時代の部下であった。新聞記者をやりながら朝5時に起きて出社する前に小説を書いていた井上靖の情熱と姿勢に打たれたというエッセイを書いている。「井上さんは午前五時に起きて、作家として世に出るまで四千枚の原稿を書きためねばならぬと、自分に課した目標に向かって、ペンを執っておられるのだと思うと、粛然とした気持ちになった」「記憶に残る言葉といえば、「絶えず勉強しなさい」という平凡にして、至難な言葉である」

山崎豊子は、直木賞を受賞した時、井上靖から「橋は焼かれた」と言われ、新聞社を辞め筆一本で立つことになる。井上からは、あせらないで、自分のペースで、数は少なくとも力作を期待していると励まされる。

「努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る」という井上靖の名言が今まで気に入っていたが、この人には人生に関する名言が多い。

  • 借金しようが、泥棒しようが、一生涯にたくさん金をつかっちまった奴が、やはり金持ちと呼ばれるべきでしょう
  • 人間はだれでも、自分の一生を成功だとは考えないまでも、失敗だとは思いたくない
  • 年齢というものには元来意味はない。若い生活をしている者は若いし、老いた生活をしているものは老いている
  • 万事、焦ることはない、ゆっくりやればいつか事は成る
  • 人生は所詮克己の一語に尽きる
  • 私が一貫して描いてきたのは『仕事に没頭する人間の孤独』ですよ
  • 何でもいいから夢中になるのが、どうも、人間の生き方の中で、一番いいようだ
  • これまでとまったく違った新しい人生というのは、十五年ぐらいかけてチャレンジすると、かなり達成できるものなんですよ。

井上靖の幸福論を聞こう。

  • 幸福は求めない方がいい。求めない眼に、求めない心に、求めない体に、求めない日々に、人間の幸福はあるようだ。
  • どうやら幸福というものはひどく平凡なことの中にある。静かな眼、おだやかな心、健やかな体、平穏な日々そうした状態以外の何ものでもないらしい。
  • 人間の幸せというものは、しみじみと、心の底から、ああ、いま、自分は生きているということを感じることだな。そうすれば、自分のまわりのものが、草でも、木でも、風でも、陽の光でも、みんな違ったものに見えて来る。

君は不満を語るか、希望を語るか。