寺島実郎の「世界を知る力」ーー「2022年の総括と2023年の展望」の図メモ

東京MXテレビ寺島実郎の「世界を知る力」。聞きながら、図メモをとった。その図をそのまま掲載する。

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「名言との対話」12月18日。志賀潔「なにごともまじめに しんぼう強く 元気よく やりとおせば きっと りっぱなしごとを なしとげることが できます」

 志賀 潔(しが きよし、1871年2月7日(明治3年12月18日) - 1957年(昭和32年)1月25日)は、日本の医学者・細菌学者である。

志賀潔帝国大学医科大学を卒業し、大日本私立衛生会伝染病研究所に入所、北里柴三郎に師事。細菌学と免疫学の研究に従事し、1897年に27歳で消化器に急性感染症を発症させる赤痢菌を発見する。赤痢菌の属名は志賀に因んでShigellaとされた。

再度のドイツに留学後には、恩師・北里柴三郎の伝染病研究所退職に伴い自身も退職し、新たに創設された北里研究所に入所する。慶応義塾大学教授を経て、朝鮮総督府医院長・京城医学専門学校長、新設の京城帝国大学医学部長、そして58歳で総長に就任した。1944年文化勲章仙台市名誉市民。

2000年10月23日の朝日新聞で、この1000年で最も傑出した科学者は誰かという面白い企画があり、読者の人気投票を行っている。1.野口英世 2.湯川秀樹 3.平賀源内 4.杉田玄白 5.北里柴三郎6.中谷宇吉郎 7.華岡青洲 8.南方熊楠 9.江崎レオナ 10.利根川進 11.鈴木梅太郎 11.西澤潤一 13.高峰譲吉 14.寺田寅彦 15.志賀潔 16.関考和 。以下、朝永振一郎 長岡半太郎 福井謙一 広中平祐 今西錦司などが並んでいる。北里研究所と理化学研究所の研究者が上位を占めている。

志賀潔の言葉。「人が病気にならない研究をしよう」「先人の跡を師とせず、先人の心を師とすべし」「自ら信ずる所篤ければ、成果自ら到る」

『「感染症」に克ちーー予防医学、ワクチン、血清・化学療法の常識』というタイトルの共著で、志賀潔が「ワクチン療法」について語っている。

「ワクチン療法は、免疫力を応用して感染症を治癒させようとするものです」「体内で新たに抗体を造らせる」「生体内に病原体を植え付けることにより免疫を作ろうとする」「三日から五日で初めて抗体が出来始め、それから次第に増加して、一週間ほどで最高度に達して二週間めくらいまで持続して、以後は次第に減少しながら通常半年から一年で消失」「ワクチンの場合は多少の反応が必ずあって、発熱、頭痛、局部の疼痛、、、などが生じます」。

宮城県亘理町の海岸で2011年の東日本大震災で被災した中浜小学校を、2016年10月に訪問したことがある。わずか20分の間に津波が4波襲来した。1メートルの地盤かさ上げ、適切な誘導、屋根裏部屋の存在が小学生全員の命を救った。この津波で斃れたままになっている碑には、明治9年には6尺、昭和8年には7尺5寸の津波が襲ったとの記述がある。今回の3・11は10メートルという高さだった。

この亘理は志賀潔が晩年の1949年以来過ごした温暖な地である。高台にあった志賀潔の別荘(貴洋翠荘)は近年の火事で燃えてしまったのだが、中浜小学校にある倒れた碑には志賀潔の素晴らしい言葉が刻まれていた。それが昭和33年5月5日のこどもの日の日付の冒頭の言葉である。どのような仕事も「まじめに、しんぼう強く 元気よく やりとおせば」、成果はあがる。世界的細菌学者・志賀潔は、そういう当たり前だが、深い真実の言葉を故郷の小学生たちに贈っていたのである。

 

参考。

志賀潔ら『「感染症」に克ちーー予防医学、ワクチン、血清・化学療法の常識』