仙台。
横野さんと昼食。
山元町。横野さんの案内でスルーエイジ農園を見学。
被災した中浜小学校を見学。関西の高校の修学旅行の下見に混ぜてもらう。
20分間に津波が4波襲来。
倒れた碑には、明治9年には、六尺。昭和8年には、七尺五寸。
今回は、10メートルの津波。
適切な誘導、1mの土地かさ上げ、屋根裏部屋の存在が、小学生全員を救った。
細菌学者志賀潔が晩年を過ごした温暖な地。倒れた碑に素晴らしい言葉が書いてあった。
なにごともまじめに
しんぼう強く元気よく
やりとおせば
きっと
りっぱなしごとを
なしとげることが
できます
昭和33年5月5日
高台にあった志賀潔の別荘は最近火事で燃えてしまったとのこと。
夜は、仙台でキャリア開発プロジェクトの仲間たちと。
久しぶりの喜多さん、萱森さん、成瀬さんも、お変わりなく。
たくましくなったスルーエイジ農園の横野社長も同席。
「名言との対話」10月16日。藤原鎌足。
- 「大きなる事を謀るには、輔有るには如かず。」
- 中臣 鎌足のち藤原 鎌足は、飛鳥時代の政治家。日本の歴史における最大氏族「藤原氏」の始祖。645年、中大兄皇子・石川麻呂らと協力して飛鳥板蓋宮にて、当時政権を握っていた蘇我入鹿を暗殺、入鹿の父の蘇我蝦夷を自殺に追いやった(乙巳の変)。この大化の改新の中心人物であり、改新後も中大兄皇子(天智天皇)の腹心として活躍し、藤原氏繁栄の礎を築いた。『藤氏家伝』には「偉雅、風姿特秀」と記されている。天智天皇から大織冠を授けられ、内大臣に任ぜられ、「藤原」の姓を賜った翌日に逝去した。
- 「輔」は助けるという意味だ。助、介、佐、亮、など「すけ」と読む幹事には「助ける」という意味がある。大化の改新の中心人物であった鎌足は、柄の大きな事柄は、助けてくれる部下が必要という。さらに国家の大事を実行するには、濃淡はあっても部下や味方や応援者がいなければ成就できるものではない。思いが強くても孤独であっては何事もなし得ない。大事を成すには、時勢という味方と、心酔する部下と、そして多数の共鳴者が必要なのだ。大革命をなし得た人物のこの言葉には広がりがある。