文庫リレー塾は佐高信「日本と中国のあいだー竹内好の思想を手がかりに」

文庫リレー塾は佐高信先生。

 

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・朝はヨガを1時間。

・昨日『図解コミュニケーション全集』第6巻が到着。

・『戒語川柳』の編集。

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「名言との対話」12月17日。野間清治「面白くてためになる」

野間 清治(のま せいじ、1878年明治11年〉12月17日 - 1938年昭和13年〉10月16日)は、講談社創業者。報知新聞社社長。

群馬県桐生市出身。師範学校を出て、沖縄で教員生活を送る。1909年、「大日本雄弁会」を創設、1910年に『雄弁』を創刊。野間は「雑誌王」と呼ばれた。1910年刊行の『雄弁』から始まり、1911年の『講談社倶楽部』『少年倶楽部』『面白倶楽部』『現代』『婦人倶楽部』『少女倶楽部』『キング』、1926年の『幼年倶楽部』を創刊している。1925年の『キング』は大ヒットとなった。1938年には長者番付で東京で1位になっている。

石田梅岩の石門心学は多くの心酔者を生んでいる。その一人が野間清治だ。野間はビジネスにおける倫理の大切さを主張し、絵画を収集し野間記念館で展覧する礎を築くなど、実業以外にも社会貢献にも熱心だった。野間は「修養」とは、精神をみがき人格を高めることと考えていた。「我が心を磨き、我が魂を鍛えるということでなければ、他に信用も尊敬も得られるものではない。 いわんや他の助けなど得らるべきではない」。「万事万象、わが一心に存する。 心が歪めば世の中も歪むのだ。 わが一心によって、 世の中がよくも悪くも、 楽しくも辛くもなるのだ」

講談社の三大社是は、「誠実勤勉」「縦横考慮」「混然一体」である。「縦横考慮」は、いろいろな角度から柔軟に考えること。「混然一体」は、組織の壁を取り除くことである。実際の仕事の中から生きた学問を学ぶという考え方で、少年社員を雇い、正社員にした。

創業者の野間清治の理念は「面白くてためになる」であった。この真意は興味を引くような顔つきの本ではあるが、実は読み進めると知識がつくということである。学校教育を補おうとしたのであり、野間にとっては出版事業は教育事業だった。

「もし出来るならば、今日学校においてなそうとしても、出来ないというような仕事があるとすれば、雑誌はそれらの仕事を引き受けてやるということで、学校教育を補いたい。面白いということの後に、知らずしらずにためになるということがついて来る。面白いという顔つきでためになるという荷を背負って居るような、材料を 蒐集しなければならない」。

編集理念について。「ウチの雑誌は、牛が反芻偶蹄類であるとか、両角を有するとかいうようなことは、書いてもらわなくてもよい。それも大切なことだが、そんなことをのせる機関は外にもある。それより、どうすれば牛からよい乳が出るとか、その肉がうまくなるとかいうことを教えるような記事を書いてもらいたい。小説としても、その方角を目指したものを望みます」

「文章を練習するには三多の法というのがある。多く作ること、多く読むこと、多く直すこと。また、文章の上手というものの中には、明晰、雄壮、流麗の三要素が包合される。この筆法で言えば剣道を練習するには、多く見ること、多く稽古すること、多く工夫することであろう」。「剣道社長」としても有名だった人の言葉だ。

「面白くてためになる」という言葉ほど、端的な経営方針は聞いたことがない。講談的な面白さ、興味を引く工夫で、引き寄せる。読んでいくうちに、知識が増えて賢くなっていく。この妙を表現した言葉である。この二つの軸の両立こそ、講談社が長く出版界の旗頭として生き続けている秘訣だろう。

この機会を利用して、講談社と私の縁を記しておこう。

  • 1982年刊行の『私の書斎活用術』(講談社レンジバックス)という本をつくった。約2年かけて、17人の著名人の書斎を訪ねた。そのときはそういう先生たちと1日何時間も一緒になれるし、それはもう楽しくてしかたがなかった。
  • 1985年からのJAL広報部時代。『ホットドッグプレス』の土屋右二編集長らと懇意にしていた。スペインへのプレスツアーなども一緒にした。音羽講談社の本社へもよく通ったものだ。
  • 2003年に『図解で考える 40歳からのライフデザイン』(講談社+α新書)を刊行。
  • 2016年には文京区の講談社野間記念館を訪問した。野間記念館は、90周年事業。美術品の「野間コレクション」と「出版文化資料」がある。村上豊展をやっていた。「小説現代」の表紙絵の、原画などを描いている人である。ほのぼのとした、懐かしい絵だった。

 

 

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