明けましておめでとうございます。元旦は横浜でした。

元旦。

思いがけず、私たち夫婦と娘、息子という4人だけで丸一日を横浜で過ごすことになりました。それぞれの配偶者、孫たちはそれぞれ理由は違うのですが、別行動をとることになり、気がついたら、オリジナルメンバーだけになったのです。何年ぶりだろう。

金沢八景に住んでいた頃からよく通った、懐かしい横浜そごうに10時の開店から入場し、2階の「アフタヌーンティー」へ。4人そろったところで近況を交換し、早めの昼食。豊洲と北鎌倉に住む子ども二人は、それぞれ充実した毎日を送っているようで、それが何よりうれしく感じました。

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快晴の天気の中、横浜湾をシーバスで10分ほど走って、初めての赤レンガ倉庫地区を散策。にぎわうショップを巡る。その後、海の見えるカフェで歓談。

幸先のいい2023年になりました。

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今年の「名言との対話」のテーマをどうするか、考えてきた。

2016年、『偉人の命日366名言集』。2017年、『偉人の誕生日366名言集』。2018年、『平成時代の366名言集』。2019年、『名言の暦 平成命日編』。2020年、『名言の暦 戦後命日編』。2021年、『名言の暦 大正から昭和編(誕生日)』。2022年、『名言の暦 明治編(誕生日)』。

2021年の「大正から昭和編」は、私の父母(父は大正12年、母は昭和2年)と同時代の人々を取り上げた。戦争と恐慌と、そして平和の時代を生きた人々で、父母の人生の背景を顧みることができた。前半は大東亜戦争と敗戦、後半は戦後の高度成長という二つの時代である。

2022年の「明治編」は、祖父母の時代だ。母方の祖父(東京高等師範卒)は明治19年生まれ。この時代は維新と戦争と大正デモクラシーの時代だ。帝国大学出身の秀才たちが文明を切り拓いていったこと、そして丁稚奉公から始まり実業の分野の開拓者となった人たちが多いことがわかった。帝大と丁稚の時代だ。

さて、8年目の2023年はどうするか。

テーマを「近代」にしようと思う。日本の近代はいつから始まり、いつ終わって現代になったのか。この時代区分には定説はないことに驚いた。「現代」は時代が進むにつれて始まりが変わってくるのである。

私は戦後日本の昭和、平成、令和の80数年を「現代」と呼ぼうと思う。この時代に生きた人が現代の人ということにする。すると「近代の人」は1868年から始まる明治維新から1940年の敗戦あたりまで生きた人か。そうではなく日本の近代は、すでに江戸時代の文化・文政時代から始まっており、その帰結が明治維新であるという説をとることにした。市民社会大衆社会の萌芽は、文化文政時代、つまり1800年前後から始まっている。この時代に活躍した人ということになると、19世紀の初めから、幕末・維新、そして明治時代を中心に活躍し、そして亡くなった人ということになる。

こういう方針で、毎日、人物と名言との対話にトライしてみよう。資料の入手の問題はあるが、やってみよう。没年月日は、諸説あるが、宮崎十三八・安岡昭男『幕末維新人名事典』(新人物往来社)を参考にする。

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「名言との対話」1月1日。銭屋五兵衛「世人の信を受くるべし。機を見るに敏かるべし。果断勇決なるべし」

銭屋 五兵衛(ぜにや ごへえ、安永2年11月25日1774年1月7日) - 嘉永5年11月21日1853年1月1日)は、江戸時代後期の加賀の商人、海運業者。金沢藩御用商人を務めた。

石川県金沢市出身。代々両替商を営んでいた家で、父が海運業を始め廃業する。五兵衛が海運業を再開する。日本海を対象とする北前船が活躍する時代であった。

39才から海の商いに入り、積極果断な商略で廻船で大商いをした。最盛時には全国34カ所に支店があり、千石積み以上の持船は20艘を数えた。すぐれた経営手腕を発揮し豪商となった人物である。

加賀藩の御用商人「勝手方御用」として、御用銀の調達、藩の直営船の管理役に任ぜられ、藩財政に大きな貢献をし、「海の百万石」と言われた傑物である。この人は桐生悠々「銭屋五衛兵」、海音寺潮五郎「銭屋五衛兵」、舟橋聖一「海の百万石」、津本陽「波上の館」、童門冬二「銭屋五兵衛と冒険者たち」などの小説等に描かれている。

銭屋五兵衛は藩の御用金調達などに尽力した後。河北潟干拓事業に着手するが、反対派の中傷による陰謀で無実の罪で80歳で獄中死するという数奇な運命をたどる。財産は没収、家名断絶となり、銭五財閥は崩壊する。しかし明治維新後は鎖国体制下で海外交易を試みた先駆者、先覚者として評価が高まった。

2009年に石川県金沢市の銭屋五衛兵記念館を訪問して、この人物のスケールの大きさに驚いた。案内してくれた人は、「ゼニゴ」と親しみをこめて呼んでいた。

「初鶏や家家けっこうな八重の年」が辞世の句。

北前船の豪商・銭屋五兵衛の「信」「敏」「勇」は、空間と時間の交点に立ち、勇気を持って決断することの重要性を教えてくれる。

 

参考

国史大辞典「銭屋五兵衛」(若林喜三郎)