服部敏良『事典 有名人の死亡診断 近代編』

インターゼミの前に神保町の古本屋をひやかす。3冊の古本を購入。

その中の一冊は、服部敏良『事典 有名人の死亡診断 近代編』(吉川弘文館)だ。

事典 有名人の死亡診断 近代編

 青木周蔵から和田豊治、渡辺渡までの173人の近代の有名人の略歴と死因を調べた本である。著者は医学博士で、奈良時代から近代までの医学史をライフワークとしており、その過程で死因を分析している。個別の有名人の死に至る足跡にも興味が湧くが、「はじめに」と「付録 近代有名人の死因一覧」(含む没年齢)を読みながら帰った。

明治維新によって文化の向上だけでなく、衣食住など日常生活は著しく向上した。その変化は当時の一流知識人に影響が早く現れた。そのことによって著名人の平均死亡年齢は高く、一般庶民のそれとは大きな差異がでた。

明治、大正時代の著名人の平均死亡年齢は、昭和30年(1955年)以降の一般国民のそれと同じである。ことに昭和初期の著名人の死亡年齢69.9歳は、一般国民の昭和48年以降の70.7歳に等しくなっている。

著名人:昭和時代63.0歳。大正時代65.5歳。昭和15年迄69.9歳。

一般人:昭和24-31年(1891-1898)42.3歳。明治32-36年(1899-1903)43.9歳。明治42-大正2年(1909-1913)44.2歳。大正10-14年(1921-1925)42.0歳。大正15-昭和5年(1926-1930)44.5歳。昭和22年(1947)50.0歳。昭和30(1955)63.6歳。昭和40年(1965)67.7歳。昭和48年(1973)70.7歳。

つまり明治大正時代の著名人は一般人より20年の長生きという驚くべき結果である。

また死因では、明治大正時代の著名人は脳血管障害が1位で、2位がガン、3位腎炎・尿毒症、4位心臓疾患、5位肺結核である。一般人は明治33年ー昭和14年は肺炎気管支炎が不動の1位で、全結核、胃腸炎、脳血管障害などが続く。昭和28年からは、脳血管障害が1位、2位がガン、心臓疾患などが続いている。

この死因の順位でも明治大正時代の著名人は一般人の昭和28年以降と同じになっている。

明治大正時代に亡くなった著名人の生活環境は、一般人の昭和28年以降と環境にあったといえる。

 「近代有名人の死因一覧」では287人が俎上に乗っている。85歳以上の長生きの人をならべてみよう。

東龍太郎(肺炎)90歳。天野貞祐(老衰)95歳。石黒忠直(医師)97歳。石橋湛山脳梗塞)88歳。伊藤圭介(慢性胃腸炎)99歳。宇都宮徳馬(肺炎)93歳。大隈重信8腎臓炎)85歳。大倉喜八郎(大腸癌)92歳。岡田嘉子(老衰)89歳。鏑木清方(老衰)93歳。樺山資紀(脳溢血)86歳。木下恵介脳梗塞)86歳。小磯良平(肺炎)85歳。佐々木信綱(急性肺炎)91歳。今和次郎(心臓麻痺)85歳。佐多稲子(敗血症)94歳。渋沢栄一(直腸癌)92歳。昭和天皇(腺癌)87歳。新見吉治(老衰)100歳。住井すゑ(老衰)95歳。田中清玄(脳梗塞)87歳。鶴見祐輔脳軟化症)88歳。東郷平八郎喉頭癌)88歳。富岡鉄斎(胆石症)89歳。西尾末広(腎不全)90歳。埴輪雄高(脳梗塞)87歳。東山魁夷(老衰)89歳。平塚らいてう(胆嚢胆道癌)85歳。松方正義(肺炎)90歳。御木本幸吉(胆石症)96歳。三島中洲(流感)90歳。諸橋轍次(老衰)99歳。山縣有朋(肺炎)85歳。

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「名言との対話」11月25日。銭屋五兵衛「世人の信を受くるべし。機を見るに敏かるべし。果断勇決なるべし」

銭屋 五兵衛(ぜにや ごへえ、安永2年11月25日1774年1月7日) - 嘉永5年11月21日1852年12月31日)は、江戸時代後期の加賀の商人、海運業者。金沢藩御用商人を務めた。

石川県金沢市の銭屋五衛兵記念館。を訪問。加賀藩の財政に大きな貢献をした豪商で、「海の百万石」と言われた傑物である。39才から海の商いに入り、廻船で大商いをし、すぐれた経営手腕を発揮した人物である。この人は桐生悠々「銭屋五衛兵」、海音寺潮五郎「銭屋五衛兵」、舟橋聖一「海の百万石」、津本陽「波上の館」童門冬二「銭屋五兵衛と冒険者たち」などの小説等に描かれている。

藩の御用金調達などに尽力したが、河北潟干拓事業に着手するが、反対派の中傷による陰謀で無実の罪で80歳で獄中死するという数奇な運命をたどる。しかし明治維新後は鎖国体制下で海外交易を試みた先駆者として評価が高まった。

「初鶏や家家けっこうな八重の年」が辞世の句。

北前船の豪商・銭屋五兵衛の「信「敏」「勇」は、空間と時間の交点に立ち、勇気を持って決断することの重要性を教えてくれる。