蜃気楼大学を開催しました。以下、私の見た蜃気楼大学プロジェクト。
- わずか数カ月でリアル半分とリモート半分で、一気に200名を超える参加者が集まった奇跡。
- 何が始まるかわからないままで八王子まで出向いた世代を超えた、ワクワク感にあふれた多様な老若男女の面白さ。
- 時代の最先端と最前線で活躍する豪華な講師陣と、すべて受けたい気持ちにさせる興味深い多彩なセミナーの連続。
- 高いIT技術を持つ多層な構成のボランティアグループの「信頼感」に基づいた自律分散型の、そして現場での自己解決を志向する見事なバックアップの仕組み。
- 終了後の懇親会がいつまでも続いた、不思議な連帯意識の強い空間にひたる幸福感の浸透と拡大。
- 未来は蜃気楼大学が旗印となる参加型社会運動が先導するであろうという予感の拡散。
- 次回は大学セミナーハウスが完全貸し切りになるほどの参加者が集まるという確信の共有。
- 推進力のキーワードは、「妄想」と「暴走」と「奔走」。
- こういう事前計画のない自然発生的な、そして時間の余裕のないビッグプロジェクトに躊躇なく突っ込むリーダーの大胆さとそれをフォローする人たちの織りなす迫真のドラマ。これを「仕事」ととらえていたら失敗しただろう。面白そうなことに参加できる喜びの中で交流をし、成功したときの達成感と貢献感が報酬なのだろう。ここには、ひからびた陳腐な組織論などでは推し量れない、プロジェクト推進の爆発的なエネルギー創出のヒントがある。
私の役割は次の二つでした。
- 「一日学長」としての始まりや終りでの数回の挨拶。「蜃」という霊獣が「気」を吐くと「楼」があらわれる、それが蜃気楼。このメッセージを中心に発言しました。
- 午後の3講座「図解」「幸福」「知的生産の技術」の責任者としてフル活動でした。
午前の最初のシンポジウムを聴いた。
スペシャルトークイベント「AIと人間はどう関係するか」(司会:田原真人)。奥出直人(慶應技術大学名誉教授)。妹尾泰隆(Sta)(AIのべりすと開発者)。Chiew Chung(ClassDo Ceo)。滑川海彦(翻訳業)。三宅陽一郎(立教大学大学院特任教授)
深く、かつ広いテーマで、先端的な人たちの発言の連続で、非常興味深かった。以下、キーワードのみ。
「AIとの知的なコラボレーション」「クリエイティビティと直感」「巨大データベース」「身体性」「ビヨンド・スマートシティ」「極楽」「ロボットの共生・共存」「知的労働の二極化」「信・不信」「判断は人間」「西洋は恐怖」「日本は友達」「医療と裁判」「北欧と日本」「精霊」「行きつ戻りつ」「福沢諭吉の翻訳」「サイズとサイズ間」「AIfor everyone」「ニューロンネットワーク」「Deepl」「脳の拡張」「ChatGPT」「AIと幸せ」「手の平に乗るAI]「空間知性」「OpenAI」、、、、。
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午後:交友館Bで久恒関係の3つのセミナーを実施。
セミナー1:「図解コミュニケーション」への招待
セミナー3:著者になるーー「よむ・かんがえる・かく」技術
福島哲史・猪俣範一・都築功・小林直衛
打ち上げの懇親会。大盛り上がりでなかなか終わらない。
全国でおもしろいことに取り組んでいる多くの人たちと友達になりました。実に愉快な一日でした。
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「名言との対話」2月18日。良寛「散るさくら残るさくらも散るさくら」
良寛(りょうかん、宝暦8年10月2日(1758年11月2日) - 天保2年1月6日(1831年2月18日))は江戸時代後期の曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家。号は大愚。
新潟県の良寛記念館を訪問した。出雲崎の名主の家に生まれる。少年時代は寝食を忘れるほど読書にのめり込む。北越を代表する儒学者に師事し中国古典を学ぶ。元服し名主見習いになった半年後に18歳で出奔する。
町名主などできないと悟り、22歳のとき備中(岡山県)の国仙和尚に師事し、大愚良寛の法号をもらう。円通寺で10年間修業し、禅僧修行を終了し印可を賜る。「良(まこと)はまた愚の如く 道うたた寛し、、」。愚のようにも見える実践への道が寛くて大きいことは良(結構なこと)である。33歳から諸国を乞食行脚する悟後の修行を積む。父の死を知り、39歳で帰郷するが乞食を続ける。48歳、真言宗国上寺の6坪(20へーべ)の五合庵に居住が許される。友人、文人、そして子供たちとの交流があった。
58歳、ふもとの乙子神社の草庵で10年。69歳、出身地島崎の木村家の裏の木小屋へ転居。良寛より40歳も若い30歳の貞心尼との交流が始まる。師を敬愛した貞心尼に看取られ74歳で遷化した。
道元の「正法眼蔵」を基礎にして儒教、道教も取り入れたため、「雑炊宗」ともからかわれたほど博識だった。自分のことより他を気遣う、決して怒気をあらわさないで人をいたわる「愛語」、反省する心得の「戒語」。仏教の菩薩行の実践者だった。「天上大風」など書にも長けていた。夏目漱石は良寛の書をみて「あれなら頭が下がる」と賛嘆した。会津八一をはじめ今なお信奉者の多い良寛の歌は万葉調の美しい調べが特徴だ。良寛は50歳から本格的に万葉集を研究している。
首を回らせば五十有余年、是非得失、一望の中。三房の五月、黄梅の雨。半夜蕭々として、虚窓にそそぐ。
六十四年、夢裏に過ぐ、世上の栄枯は、雲の往還。巌根の穿たんと欲す、深夜の雨、燈火明滅す、孤窓の前。
首をめぐらせば、七十有余年、人間の是非、看破に飽く。往来、跡は幽かなり、深夜の雪、一ちゅうの線香、古窓の下。
辞世の句「散るさくら残るさくらも散るさくら」。死の前日「かたみとて何かのこさむ春は花やまほととぎす秋は紅葉ば」。
「仏の生き方を学ぶということは、自己とは何かを学ぶことである。自己を学ぶとは、自己という意識を超えることである。自己意識を超えるということは、万法、つまり縁のあるすべてのことが、あるべきようにあらしめらっることであり、それは対象と私という、自他の対立関係を忘れるということである」。
良寛は、漢詩600首、和歌1300首。白道。白い道とは仏道のこと。
良寛を慕ったひと達。会津八一。相馬御風。こしの千涯「圓相」為すべきことを為し、円満なる相。
こしの千崖。1895年生まれ。41歳、相馬御風から「良寛さまのように生きなさい」と越後千崖の画号をもらう。「私は絵で良寛さまを描こう」。良寛の形を描く画家から良寛の心を描く画家と呼ばれた。64歳で没。佐藤耐雪。1876-1960年。85歳。良寛研究の奏斗。
良寛和尚は江戸後期に生きた人物である。後半は文化文政以降の日本の近代を生きた人物である。私は最近、「戒語川柳」というテーマで勝手に5・7.・5を並べているが、良寛に「九十戒語」という書籍があることを後で知り、親しみを感じている。良寛のことはもっと深く知りたくなった。