「大全」「日本の音」「研究者という職業」「デメケン」「天職」

午前:秘書とZOOMでの打合せ。「大全」の第2章、第3章の修正に着手。

午後:ウオーキング。喫茶で小泉文夫「日本の音」を読書。

夕刻:届いた林周二「研究者という職業」を風呂で読み始める。

夜:デメケンミーティング。

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 「天職」考。50ケース。

「名言との対話」11月4日、山崎達郎「何でもいいから『明日はよくなる』と思って、 必死に働いてごらんなさい。きっと、道は開けていくものですよ」|久恒 啓一|note

「名言との対話」7月16日。井植歳男「いま開発した商品が、一品も売れなくなる研究をせよ」|久恒 啓一|note

 ライフワーク(天職)(焼家直絵・WFP日本事務所代表) 

「名言との対話」 7月11日。小松方正「死なない限り、俺は舞台に立つ。役者とはそういうもんなんだ」|久恒 啓一|note

「名言との対話」 3月27日。黒田善太郎「面倒で厄介な仕事、カスの商売、が実は金(きん)の商売である」|久恒 啓一|note

「名言との対話」3月12日。 上原正吉「奉公人根性を去れ」|久恒 啓一|note

マルチェロ・マストロヤンニ Marcello Mastroianni (1924年-1996年) の誕生日 (9月28日) 伊 俳優|ART AND MOVIE|note

「名言との対話」12月12日。内藤寿七郎「育児の基本はまなかい(目と目を交わす)にある」|久恒 啓一|note

7月4日。 江川卓「ドストエフスキーはいまだに「われらの同時代人」」|久恒 啓一|note

5月17日。猪熊弦一郎「うまずたゆまず仕事をする以外にない」|久恒 啓一|note

5月16日。児玉清「クイズは人生と同じ。そのときボタンを押せるか押せないか」|久恒 啓一|note

6月7日。 岡野加穂留「日本は、政治家が5パーセント、政治屋が10パーセント、政治業者が85パーセント」|久恒 啓一|note

4月10日。 五十嵐健治「人が嫌がる仕事であれば、競争する相手も少なく成功しやすいのではないかと考え、明治39年3月、洗濯屋を始めることにしました」|久恒 啓一|note

12月21日。 大川慶次郎「私は競馬で3億得しています。そして4億損しています」|久恒 啓一|note

神保町周遊ーー25冊で1万2千円なり。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」.

映画の吉田喜重監督

11月11日。江上波夫「学問は人なり」|久恒 啓一|note

10月25日。笹崎龍雄「わが輩は豚である」|久恒 啓一|note

9月25日。 浪越徳治郎「指圧のこころ母ごころ、押せば生命の泉わく」|久恒 啓一|note

「邪馬台」の「読書悠々⑲」-- 平成に亡くなった女性編「高野悦子」「石牟礼道子」 「夏樹静子」「須賀敦子」「大橋鎮子」「 朝倉摂」 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」高野悦子。

9月14日。小島直記「自伝信ずべからず、他伝信ずべからず」|久恒 啓一|note

7月11日。岩田聡「人間は何を面白がるのか、何に驚くのか」|久恒 啓一|note

6月16日。 住井すゑ「生きるとは創造すること」|久恒 啓一|note

5月30日。粕谷一希「金は遣えば無くなるが、頭は使えば使うほど良くなる」|久恒 啓一|note

5月29日。新藤兼人「私は仕事をして生きてきた。その仕事の中に私自身が含まれていると私は思います。仕事とは、私であり続けること、私とは何かを考え続けることなんです」|久恒 啓一|note

5月16日。 邱永漢「人生とは、「お金」という煉瓦を「時間」というセメントで積み上げていく作業工程」|久恒 啓一|note

3月27日。 朝倉摂「劇場空間は生き物なのです。それに応えるべく、劇場空間が喜んでくれるような仕事に挑みたいといつも思っています」|久恒 啓一|note

3月26日。 山口誓子「私はただ事に当って全力を尽くしただけのことである」|久恒 啓一|note

3月16日。 笠智衆「地道な努力というものも、だれも気が付かないようでいて、結局は、次第に人の目にも立つようになるものらしい」|久恒 啓一|note

2月9日。高野悦子「興業という、文化から程遠いところで仕事をしていますが、志だけは高く持ってきました」|久恒 啓一|note

6月23日。成瀬仁蔵「聴くことを多くし、語ることを少なくし、行うことに力を注ぐべし」|久恒 啓一|note

五十嵐健治洗濯資料館(白洋舍) - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

内藤寿七郎(101歳) 天職を、ただ一生懸命に

12月20日。伊丹十三 「がしかし、これらはすべて人から教わったことばかりだ。私自身はほとんどまったく無内容な、空っぽの容れ物にすぎない」|久恒 啓一|note

2016年度入学式。山本七平「勤勉の哲学」。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

中嶌邦「成瀬仁蔵」−−日本女子大創設者の人生 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

大学非常勤講師養.成の体験講座(夕刊フジ) - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」.岡潔。

「村山富市回顧録」から - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」.小林秀雄

水上勉の自伝「冬日の道・わが六道の闇夜」 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

伊丹十三記念館(松山)--偉い人になるということ - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

百田尚樹「幸福な生活」--凄みのあるホラー短編集 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」..伊丹十三。

天罰か、試練か----内村鑑三のことば - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

「嘉納治五郎」--自他共栄・精力善用 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

天職 の検索結果 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」ロマン・ロラン著「ベートーベンの生涯」(岩波文庫

「多彩型」と「一筋型」の11人−−「遅咲き偉人伝」から - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」..平櫛田中

武者小路実篤という人生−「龍となれ 雲自づと来たる」 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

最初は盃一杯の水から始まっても、のちには大黄河となっていくような - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」.小野次郎

女の一生--羽仁もと子・平林たい子・いわさきちひろ・林芙美子 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

セカンドライフ・人生の鍛錬(小林秀雄) - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

「平成 若者仕事図鑑」(NHK教育テレビ)--衣装制作者の巻 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

「武士の一分」 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」.檀れい

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「名言との対話」3月29日。小泉文夫日本音楽は日本人に限らず世界の大切な財産だ」

小泉 文夫(こいずみ ふみお、1927年3月29日 - 1983年8月20日)は、日本民族音楽学者。4月4日の届け出だが、実際に誕生した3月29日をここでは採用。

東京生まれ、東京大学文学部で美学を専攻。在学中に、吉川英史講師の講義に接して日本伝統音楽の研究を志す。1956年、 東京大学大学院の修士論文「日本伝統音楽の研究に関する方法論と基礎的諸問題」(後の『日本伝統音楽の研究』)では、日本の民謡を研究対象として比較音楽の観点から日本音楽の音階構造を明らかにした。

1956年から59年まで、インド政府給費留学生として、マドラスラクナウの音楽学校でインド音楽の実技を学びながら、調査も行う。インド留学を出発点として、ナイル河上流の民俗音楽(1964)、カナダとアラスカのエスキモー(1967-68)、インドネシア(1972)ほか、本格的なフィールドワークが始める。

国内はもとより調査地は三十数カ国におよび、研究成果を多くの著作やレコード、解説書にまとめた。早くからポピュラー音楽研究の重要性を指摘するなど、伝統的なアカデミズムにとらわれない柔軟な研究姿勢であった。

 東京藝術大学教授(1959-1983)として後進を育成するなど、国内外の多くの大学で教鞭をとった。また「アジア伝統芸能の交流」プロジェクト(国際交流基金主催)ほかの企画監修にたずさわり、音楽による文化交流にも大きく貢献ししている。自身が企画するラジオ番組「世界の民族音楽」など、さまざまなテレビやラジオ番組に出演し、未知の領域だった諸民族の音楽を一般にも紹介した功績はきわめて大きい。

民族音楽研究ノート』(青土社)を中心としてサントリー学芸大賞したときの選評は、「西洋音楽こそが手本であり、唯一のすぐれた音楽であるとする戦後の風潮のなかにひとつの爆弾を投じた。日本の伝統音楽が西洋音楽とは異質な、しかしそれに劣らないすぐれた構造と美的価値を持つものであることを強く主張して氏は立ち上ったのである」だった。

小泉文夫『日本の音 世界の中の日本音楽』(青土社)を読んだ。オビで坂本龍一は、「小泉文夫はぼくの音楽に対する態度に決定的に影響を与えた人です。実は音楽にとどまらず、あらゆる文化・人を公平に見るということを教えてくれた人です」とその早い死を惜しんでいる。以下、小泉の主張の一部。

  • 外国から来た楽器を日本人は好みに合うように変えている。三味線は、中国の三弦、沖縄の三線と比べると、蛇皮ではなく猫の皮を使った。そして糸に「さわり」を作り、琵琶で用いる大型の「撥」を用いて、まったく違った音色を出している。日本では江戸時代からの伝統音楽と輸入した西洋音楽は並列的に存在しているのが特徴だ。
  • 現代日本の音楽を代表するのは、歌謡曲でその主流は演歌だ。
  • 絵画では遠近法ではなく、線の持つ表現力やニュアンスを重視した。声を装飾音をつけてから一本引きに長く引き最後に力を入れて音を下げる。書道でも「一」という字を書くのと同じだ。

絵画、彫刻という芸術分野、小説、詩歌などの文学では、近代になっても日本の伝統の復興運動が大きなうねりとなって活発であったが、音楽の世界は、西洋に押され続けてきた。そこからのパラダイムシフトを担った革命家が小泉文夫だった。古賀政男が日本のメロディの多様さは世界一だというなど、断片的には聞こえてくるし、最近のテレビ番組で世界中の人がカラオケで歌謡曲を唄っている姿を見聞きする。また、ユーチューブでも心酔したインドネシア若い女性が日本の歌を歌いこなして絶賛されている姿をみることもある。小泉は日本の伝統絵画の復活を仕掛けた岡倉天心横山大観の二人の役割の人だったのかもしれない。残念なことに56歳でその志半ばで世を去っている。

「とてつもなく魅力的で、迫力に溢れた人であったらしい」と広瀬大介教授(青山学院教授)が語っているように、小泉が育てた俊秀たちが活躍している。そして東京芸大は、小泉が収集した音楽資料のコレクションを「小泉文夫記念資料室」として1985年にオープンしている。この資料室が提供しているフィリピンの竹製楽器「バリンビン」、「ガバン」、インドネシアの竹製楽器「アンクルン」という楽器の演奏をユーチューブで聴いてみた。この人は音の民族学者だ。

岡田真紀『世界を聴いた男:小泉文夫と民族音楽』(平凡社) という伝記がある。「世界を聴いた男」というタイトルは小泉文夫の仕事を端的にあらわしているように思う。小泉文夫は音楽分野の革命児だ。活躍の頂点で突如世を去ったが、その志は受け継がれている。ここにも「日本とは何か」「日本人とは何か」という問題意識を持った人がいた。

 

小泉文夫『日本の音 世界の中の日本音楽』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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