図解塾:2月3日の「蜃気楼大学」の発表のリハーサル

図解塾は、2月3日の「蜃気楼大学」の発表のリハーサル。

NPO法人知的生産の技術研究会 

  総合テーマ日本及び日本人を考える

  • テーマ「日本文明論」:1時間 梅棹忠夫著作集」図解PJCTの発表
  • 久恒啓一「梅棹文明学と日本」
  • ②都築功「情報史観と生態史観」
  • 深谷康雄「日本研究と地球時代」
  • テーマ「日本人論」:1時間 「日本人の幸福論」PJCTの発表
  • 久恒啓一「倖せ学の体系」
  • ②垣内武「総論と公人」
  • 鈴木章子「私人・個人」

塾生の学び
  • 久恒先生、皆様、おつかれさまです。本日、図解塾。先ずはいつものように久恒先生ブログから近況のお話を伺いました。①『本阿弥光悦展』(於:東京国立博物館)、京都北のはずれに「光悦町」という所あり。様々な分野の職人・芸術家を集めコミュニティを形成、独自の文化を醸成したと言われる。その当主である本阿弥光悦(ほんあみこうえつ:1558-1637)は刀剣の鑑定・研磨を生業とする家に生まれ家業のかたわら、書、陶芸、能学、茶の湯などにマルチに携わり後世の日本文化へ多大な影響を及ぼした天才。生れて間もなく桶狭間の戦い。以降、家康の没、島原の乱など、動乱の世を生きながら全てを見た。信じるのは自分の目という「オレ流」「光悦流」で名を上げた。かつて梅棹忠夫先生に「自らを歴史上の誰に例えますか」と久恒先生が質問すると、『ダビンチか光悦だナ』と仰ったとの事。天才が惚れ込む、ホンモノの天才!②『万物の黎明』、公文俊平先生(多摩大教授)の読書会で課題となったスゴイ本…583ページ、考古学者と人類学者の競作。参加者のうち読破した猛者はひと握り。人類史を根本から覆す問題作。「人類はもともと成熟していた」「国家間の争いで退化していった」「近代国家がいけない、」「制約多い閉塞な状態は、不幸な状態」「個人の自由を取り戻せ」…久恒先生としては「幸福学」と合致するトコロなるも、「著者は日本をあまり理解していないようだ」と読書会で問題提議!他流試合を試みた。図メモを作成し周到に理論武装。③『望月照彦回顧展』(於:和敬塾本館-旧細川侯爵邸)多摩大で教鞭をとった、令和5年6月逝去(享年79歳)。亡くなって少し時間を置いた「回顧展」で、天才の生涯と思想に改めて深く感銘を得た。「本を読みなさい、深く考えなさい、野生の思考で見えないものを見なさい」屏風の教え。④『世界を知る力』今年は選挙の年、台湾選では野党の票が割れた。中国との関係回帰、アメリカ離れ…多様化する世論。アメリカでは今白人が焦っている。昔も今もアメリカ経済は世界シェア25%と不動の地位。支えるのは「バイタル産業」シリコン・バレー(IT産業・西部)、シェール・ガス(エネルギ・南部)、ウォールストリート(金融・東部)、グレートプレーンズ(農産・中部)。貧困層の定義、年収390万円以下と高水準!。問題は「格差」。分断の問題は、寺島先生が自らの過去の発言を振り返りながら付加価値を付けて進化するスタイル、定点観測すべし。「Ford-izm」とトランプの違い。9・11で変わったモノの見方、シオニズム、「もしトラ」。…今年のテーマは「レジリエンス」。…ホンモノを感じる。アウェーな立場に身を置き自らを鍛える。定点観測で変化を正しく見極める…熱くクールな日々溢れるブログの話題から、当方もパワーを戴きました。さて本題。本日は2月3日に迫った『蜃気楼大学2024年度(第2回)』でのプレゼン・リハーサルとして、登壇者のプレゼン原稿を塾生全員で眺め意見交換しました。テーマは「日本文明論」と「日本人論」。フォントスタイルなどの工夫による「より見易い」ページ作りに向けた意見の共有が出来ました。また当日現場における情報持ち寄り方や懇親会催しなどのディテールな情報共有も非常に有意義でした。いよいよ「図解塾」「幸福塾」も『インテリジェント・ユニット』への変換の時を迎えた感が有り、非常にワクワク致します。2月3日当日のプレゼン本番は勿論、同じ志を持つ様々な立場・年齢の人々との新たな出会いや、塾生フルメンバーでのリアル会合も非常に楽しみです。当日宜しくお願い致します。有難うございました。
  • 久恒先生、皆様、本日は図解塾ありがとうございました。今日は2月3日に開催される蜃気楼大学での知的生産技術の研究会プレゼンテーションの事前のすり合わせでした。大きく2部構成になっていて、ひとつは、梅棹忠夫著作集の「日本文明論」の図解プロジェクト、もう一つは「日本人論」〜日本人の幸福論プロジェクトとなります。私自身は、日本文明論の中から「日本研究」と「地球時代」を担当します。まだ準備段階で、プレゼン資料としては途中でしたが、一緒に参加される皆さんの資料を拝見し、見せ方まとめ方など大変参考になりました。あと本番までの数日間、これまでの図解塾での内容を振り返り、仕上げていきたいと思います。蜃気楼大学への参加は初めてとなるほか、会場となる八王子の大学セミナーハウスも初めてです。昨年はとても熱気のある催しであったとのこと。皆さまとリアルに会える機会でもあり、参加をとても楽しみにしています。どうぞよろしくお願い致します。
  • 本日の図解塾、ありがとうございました。本題に入る前の近況報告も、いつも刺激を受けています。「一日一図解」の実践をされているという報告にも刺激を受けました。久恒先生の紹介された「本阿弥光悦の大宇宙展」も行ってみたいと思いました。また、大著を読んで意見交換をする形態の読書会への臨み方も参考になりました。
    今日は蜃気楼大学で図解塾・幸福塾の学びを発表する準備ということで、互いのプレゼンテーション案を見合って意見交換しました。私の担当の「情報の文明学」「文明の生態史観」についても、「キャッチフレーズを目立つように出す」など、貴重なアドバイスをいただきました。本番までに直します。当日、どんな方が聴きに来てくださるか楽しみです。
  • 本日もありがとうございました。読書会は、全体を俯瞰した図を用意しておくと、他の皆さんがどこについて話されているとか、内容の再確認、意見も出てきて、余裕をもって臨める、というお話と、望月先生の回顧展と、寺島先生の世界を知る力の内容についてのお話。メインは、蜃気楼大学の発表にむけてのみなさんの発表を聞きました。講義と違って、プロジェクターに投影する資料についてのお話が出て、今までzoomでの講義にしか参加していない私には新鮮でした。当日すごい資料となりそうですね。楽しみですね。来月からの地球時代にいきる。もどうぞよろしくお願いいたします。

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「名言との対話」1月24日。門田博光「自分は常に場外を狙っていたために、加齢で衰えても柵越えの本塁打を量産することが出来た」

門田 博光(かどた ひろみつ、1948年昭和23年〉2月26日 - 2023年令和5年〉1月24日)はプロ野球選手外野手指名打者)、解説者評論家

山口県出身。奈良県で育つ。天理高からクラレ岡山を経て、ドラフト2位で1970年に南海ホークス(現、福岡ソフトバンクホークス)に入団した。1971年、レギュラーに抜擢 されると120打点で打点王に輝いたが、その後はホームランを意識しすぎたため、シーズンによって好不調の波が大きかった。

1979年には春のキャンプでアキレス腱  を断裂、そのシーズンのほとんどを棒に振ってリハビリに励み、これを境に指名打者(DH)として復活、リーグ屈指の強打者へと生まれ変わった。

翌1980年に41本塁打を放つと、1981年は44本で本塁打王を獲得、1983年も40本で2回目の本塁打王となった。1988年には44本塁打、125打点で二冠王に輝き、最優秀選手(MVP)に選ばれた。当時すでに40歳となっており、翌1989年(平成1)から福岡ダイエーホークスとなることが決まっていた南海最後の年に花を添えると同時に、中高年に希望を与える存在として脚光を浴びた。

1989年からオリックス・ブレーブス(現、オリックス・バファローズ)、福岡ダイエーホークス(現、福岡ソフトバンクホークス)と移って44歳の1992年までプレーし、最後までフルスイングの打撃を貫いた。23年間の通算成績は、出場試合2571、安打2566、打率2割8分9厘、本塁打567、打点1678。獲得したおもなタイトルは、本塁打王3回、打点王2回、最優秀選手(MVP)1回、ベストナイン7回。2006年(平成18)に野球殿堂野球殿堂博物館)入り。(以上、日本大百科全書

「ホームランの当たり損ねがヒット」という、独特の考えの門田の言葉を追ってみよう。

  • ホームラン狙いをやめれば4割打てる。
  • そこまでやらんな、こんな小さな体で500本打てんじゃろ。
  • アウトコースを軽くミートして逆方向に打つホームランではロマンがない。
  • ホームランを打てば足に負担はかからない。これからは全打席ホームランを狙う。(アキレス腱の断絶後)
  • 速い球を重たいバットで打てるなら、遅い球は対応できる

選手時代の晩年にも目覚ましい活躍をしたことから「不惑の大砲」の異名を持ち、「中年の星」とも呼ばれていた門田は、力強い打撃力から「ポパイ」とも呼ばれていた「常に場外を狙っていたために、加齢で衰えても柵越えの本塁打を量産することが出来た」という言葉は、ホームランは王貞治野村克也に次ぐ567本だった、門田博光らしい豪快な言葉である。