群馬の旅。不動産 今は哀しき 負動産

群馬を旅しています。宿は古い温泉旅館。川柳が二句できました

 不動産 今は哀しき 負動産

  古旅館 客が見かねて 加勢する

 

上毛新聞の新聞小説を見つけました。

著者は直木賞作家の門井慶喜。江戸を建てる

という良書があり、読んでいます。

 

83回。ゆうびんの父。房五郎。漢籍、仏典、王朝和歌の注釈書、庄屋の日記、を写す仕事も。蘭学、コーヒー、人体、兵学、、。手で読む。身につく。16から19。書物は最高の師。

84回。嘉永6年の1853年、ペリー久里浜に上陸。アメリカ大統領フィルモアの親書を渡し翌春の回答を要求。房五郎は、西洋人の実物、軍艦の現品が見たい、と行動する。そしてこの現場に房五郎が立ち会う。  

房五郎は、後の郵便の父、前島密

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「名言との対話」3月17日。藤原銀次郎「仕事の報酬は仕事である」

藤原 銀次郎(ふじわら ぎんじろう/ふじはら ぎんじろう[2]明治2年6月17日1869年7月25日〉 - 昭和35年〈1960年3月17日)は、日本実業家政治家

戦前の三井財閥の中心人物の一人で、富岡製糸場支配人から王子製紙(初代)の社長を務め「製紙王」といわれた。その後貴族院議員に勅選され、貴族院廃止まで在任。米内内閣の商工大臣、東條内閣の国務大臣、小磯内閣の軍需大臣を歴任した。戦前の財界には日本全国に篤志家がいたが、藤原はそのうちでも最も代表的な人物であった。1960年3月17日に90歳で死去。

藤原には『福沢諭吉 人生の言葉』という著書がある。自己の体験を基に、福沢諭吉が教えさとした日常生活の訓言を抜き出した本で、第一級の処世観・経営観をわかりやすく説いている。「偉大なる平凡人」が到達した境地だ。自身を平凡人とみているだけに、藤原の言葉は胸を打つものが多い。

「第一に知恵である。第二に涙である。第三に勇気である。」

「 いやしくもこれをもって身を立ててゆこうというならば、ほんとうに自分で一生懸命になって自分の仕事を覚えてゆくというのでなければならない。」

「事業は人なりとは、昔から変わらぬ私の信念である。80余年の永い私の過去を振り返ってみて、事業が興るのも衰えるのも、結局人次第であると信じる念はいよいよ強くなってきている。」

冒頭の「仕事の報酬は仕事である」とは、藤原銀次郎の言葉だったのか。報酬とは金ではない、地位でもない。優れた仕事をすると、さらに困難な、やりがいのある仕事が与えられる。それがキャリアを磨くということなのだ。