寺島実郎の「世界を知る力」の5月編ーーシンガポールから考える。AIは人間をこえることはない。

寺島実郎の「世界を知る力」の5月編。

 

シンガポールから考えるアジアダイナミズム

  • 一人当たりGDP(2022年):日本3.4万ドル。シンガポール8.3万ドル! 香港4.9万ドル。台湾は日本と並んだ。韓国3.2万ドル。日本はアジアの先頭ではない。
  • 「海の中国」(台湾・香港・シン):GDPはロシアの7割、実際には並んだ。台湾は活況、シンガポール+3.6%。香港▲3.5%。
  • 光:経済的成功。10年間+3.4%成長。金融・生命科学・医学・創薬。先端的病院の島。高レベルの学校の分校。観光。治安のすぐれた都市国家。アセアンの真珠。
  • 影:PAP党の一党支配。統制と規制。チューインガムと交通規制。
  • 3年半ぶりのシンガポール:日本の存在感が急速に消えている。シャングリアホテルのなだ万、寿司屋がなくなった。在留邦人は4000人減って3万3千人、円安のパラドックス。在留ビザの規制、日本の大学をランキングづけ。

人工知能(AI):AIは人間を越えることはない。

  • 人類:20万年前にほもさぴえんす。6万年前に脱アフリカ。33.8万年前に日本到着。1万年前に定住革命。7000年前から神々との対話。3000年前に「意識」が誕生、運命の自己決定。2500年前にイスラエルユダヤ教キリスト教、インドの仏教、中国の儒教が同時に成立。内省力、より大きな価値が見つめていることが道しるべとなる。(「神々の沈黙」。「人類の精神革命」(伊東俊太郎))
  • 近代は人間中心主義。中世は宗教的秩序が基軸。ルターを経て17世紀の近代の父・デカルト心身二元論人間機械論。この考えは人型ロボット、例えば鉄腕アトム(2003年。心やさしい科学の子。160言語。電子頭脳。小型原子力

コンピュタからIへ

  • ウイナー「人間機械論」(単純労働からの解放へコンピュター開発)。IT革命フェーズ1:1962年のアーパネット(分散開放系。1969年に完成)。1989年(IT元年)から軍事技術の民生開放でインターネットが誕生。GAFAMなどのビッグテック。IT革命フェース:21CのDX。データリズム、ディープラーニング(2012年)、脳へ。2023年の生成AIの登場(chatGPT)・「AI 2041」。「AIが書いたAIについての本」(ジェムズ・スキナー)。東洋経済。ニューズウイーク、エコノミスト、、)
  • chatGPTは大規模言語処理システムによる、確率の高い「続き」の予測.。光「人間能力の拡張。文章の作成支援、整理、アウトプット。翻訳)。質問力がカギ(条件、文脈、課題設定。人間によるチェックが前提)。英語が精度が高い。どう利用するかが大切! AIによるレポートは「良」のレベル。「優」のレベルには至っていない。調べ、裏付け、切り口。議事録、行政文書には使える)
  • AIの本質的課題:自律性の欠如(インプットに対してアウトプットしているだけ。委ねてはいけない)。結果責任が不明(あいまい)。一神教的世界観に立脚。西垣通「AI原論 神の支配と人間の自由」
  • AIは人間をこえることはない:「認識」では目的手段合理性で超える。75%はこえらえれる。「意識」は人間たるゆえん。25%。価値意識(愛・友情・共感・共鳴、、)を練磨していかなければならない。人間は道なき道を歩む。五木寛之「AIは荒野を目指さない」。

 

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ユーチュブ「遅咲き偉人伝」の録画。「藤沢周平と「P・ドラッカー」。

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「名言との対話」5月21日。野口英世「私はこの世界に、何事かをなさんがために生まれてきたのだ」

野口 英世(のぐち ひでよ、1876年明治9年)11月9日 - 1928年昭和3年)5月21日)は、日本医師細菌学者

順天堂医院,伝染病研究所の助手をへて明治33年渡米。ロックフェラー医学研究所につとめ、44年梅毒病原体スピロヘータの純粋培養に成功した。アフリカで黄熱病研究中に感染し、アクラ(現ガーナの首都)で昭和3年5月21日死去。53歳。

153CMという短駆であり、幼時に火傷で左手を変形するが苦難にめげなかった野口英世という人物には、向上心を促すための言葉が実に多い。刻苦勉励型。己を持す「己持」、「至誠」、「精神を養う「養神」、動かない「動不」。母校の翁島小学校で「成功の秘訣」を聞かれた英世は「目的・正直・忍耐」という言葉を贈っている。

短い生涯で取り組んだテーマは実に多い。蛇毒、狂犬病結核、梅毒、オロヤ熱、ワイル病、ロッキー山紅斑熱、つつが虫病、黄熱、小児麻痺、トラコーマ。

たびたびノーベル賞候補になっている。1914年、1915年、1920年の3回だが、前2回は最終選考の11人、9人に残っていた。その後、第一次世界大戦の勃発で4年間「該当者なし」という時代が続いたのは不運だったというほかはない。以下、野口英世の言葉。

天才なんてあるものか! あるのは努力だけだ! 誰よりも三倍、四倍、五倍努力勉強する者、それが天才なのだ! 」

「忍耐、正直は最良の策である。忍耐は苦しいがその実は甘い」

「人は四十になるまでに土台を作らねばならぬ」。 

新しいお札の人選が和田になっている。1万円は福沢諭吉から渋沢栄一。5千円札は樋口一葉から津田梅子。千円札は野口英世から北里柴三郎。いずれも「先駆者」である。渋沢は日本資本主義の父、津田は女子教育の先駆者、北里は日本医師会の初代会長。いずれも偉い人であるが、私の所論は「偉い人とは影響力の大きい人」である。

2005年に猪苗代の野口英世記念館を訪問した。19歳で上京するときに、家の床柱に「志を得ざれば 再び此地を踏まず」とナイフで刻み、その決意のあとが残っている。猪苗代湖の湖畔にある記念館には達筆で自筆の「忍耐」という碑と、「忍耐、正直は最良の策である。忍耐は苦しいがしその実は甘い」という言葉が英文とともに記された碑がある。野口記念館は、人が多い。子供連れが特に多い。教育効果を考えてのことだろう。英語とともに、韓国語の表示があった。韓国からの訪問者も多いのだろうか。

アメリカでは、エジソンと子供の頃の貧しい境遇が同じであり意気投合している。また負けず嫌いで、相手が負けるまで、夜があけるまで勝負ごとを行ったらしい。中南米では、黄熱病対策のため1918年エクアドル入り。到着後9日目で病原体を発見。血清と 野口ワクチンをつくり、驚異的な高い死亡率を16%に減少させた。そのため陸軍大佐に任命されている(国内最大の名誉)。

野口を記念した建物などは実に多い。メキシコには記念病院、ペルーには記念病院、野口英世学園、ブラジルには野口通り、ガーナにはグチ・メモリアル・インスティテュートなど。人命を救った功績は偉大であることがわかる。

1928年5月21日。黄熱病の研究で、アフリカのゴールドコーストに死す。「博士は科学への献身により、人類のために生き、人類のために死せり」という碑が残っている。

 私には1000館近い人物記念館をめぐる中で、世の中で名を成している人は母親が偉かった人が多いとの感慨がある。「頼りにならない父だけど 母の苦労に報いたい」は、猪苗代の記念館の食堂に掲げてあった「野口英世という歌の歌詞である。偉い人の父親はいろいろだが、母親は総じて偉い場合が多いように思う。その母親が今の日本をつくったのだ。

以下、余談。1878年に歯科医を開業した高山紀斎は、慶應義塾学び、アメリカ留学中に歯科医療に感銘を受け、帰国後医業免許を取得し開業する。高山は歯科医師試験受験のための私塾「高山歯科学院」を設立した。現在の東京歯科大である。この学院の講師の血脇守之助は野口英世をこの学院のスタッフとして収入の道をひらくき、野口の左手の再生手術をとりはかるなど生涯にわたり、援助を惜しまなかった。野口英世は歯科から出発したのである。

2010年に新宿の「野口英世記念会館」を訪問した。前から一度訪問したかったところだった。野口英世記念会が運営する会館である。野口英世記念医学賞、野口英世記念奨学金、などの資料が展示されている。野口英世銅像やモニュメントは、161点もある。ニューヨークなどの外国から、日本では小学校、中学校、大学などに多い。
母シカの手紙が涙を誘う。「おまイの。しせ(出世)にわ。みなたまけました。、、、。ドかはやく。きてくだされ。、、かねを。もろた。こトたれにもきかせません。それをきかせるトみなのれて(飲まれて)しまいます。、、いっしょのたみて。ありまする。、、ねてもねむられません、、」。野口は達筆で、油絵もうまい。渡辺淳一の野口の伝記「遠き落日」を読みたい。野口の伝記の嚆矢と言われる奥村鶴吉編「復刻 野口英世」(財団法人野口英世記念会発行)を購入した。出生から手の大やけどあたりを少し読んだが、胸が熱くなる。

2000年に朝日新聞が「この1000年の優れた日本の科学者」を問うた読者投票を行ったところ、1.野口英世 2.湯川秀樹 3.平賀源内 4.杉田玄白 5.北里柴三郎6.中谷宇吉郎 7.華岡青洲 8.南方熊楠 9.江崎レオナ10.利根川進だった。私はこの世界に、何事かをなさんがために生まれてきたのだ」といった野口英世は、この1000年で一番の科学者となった。志を十分に果たした人である。

野口英世における「何事か」は、医学の進歩に貢献することにより、世界の多くの人命を救うことだった。私のとっての「何事か」とは何か。畢竟、それが人生の一大問題だ。