「京王れーるランド」で遊ぶーー子どもが一日楽しめる体験型のミュージアム。

今日は、娘と5歳の孫と妻と4人で「京王れーるランド」で過ごす。

京王電鉄鉄道博物館。子どもが一日楽しめる体験型のミュージアム

電車の運転シミュレーション、ミニ車両を走らせるプラレールづくり。ジオラマ展示。一周100円のミニ電車。電車の吊り輪などのグッズ販売。願い事を書いて掲げる絵馬号。車両展示。、、、、、男の子にはたまらないミュージアムだ。

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夕刻、羽田空港でJAL機と海上保安庁機が衝突した。JAL機が大炎上したが、ほぼ満席の乗客・乗員は全員無事に脱出。地震の援助物質を積んで新潟に運ぶ予定の海上保安庁機の乗員は機長を除き5人は死亡したと伝えられる。1日の大地震、2日の大事故。不穏な1年が明けた

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“過激な中庸者”泉眞也氏の比類なき「万博プロデューサー」術 - ライブドアニュース

「名言との対話」1月2日。泉真也「愛・地球博

泉眞也(泉真也、いずみ しんや1930年3月30日 - 2022年1月2日)は、日本環境デザイナープロデューサー。享年91。

東京都出身。1955年、東京芸術大学美術学部工芸科を卒業し、キヤノンカメラに入社。1962年に同社を退社。世界の都市・高速道路の視察団(下河辺惇団長)に参加し、帰国後、高速道路標識の文字フォントのデザイン策定統括を担当した

環境プロデューサーとして、1970年の大阪万博、1975年の沖縄海洋博、1985年のつくば科学万博への関与を皮切りに、1990年花の万博にも関与し、そして2005年の愛・地球博(愛知万博)では総合プロデューサーを務めた。

金沢美術工芸大学特別客員教授多摩美術大学美術学部2部デザイン学科客員教授としてデザイナーを育てた。著書は『空間創造』など。

愛・地球博」は、1970年の大阪万博と同様の総合テーマを扱う大規模万博だった。21世紀初頭で開発型万博への批判もあり、紆余曲折を経て、構想から開催決定まで10年近くを擁している。最終的に「自然の叡智」というテーマを標榜する環境万博となった。サブテーマは「宇宙、生命と情報」「人生のわざと知恵」「循環型社会」である。。

開催前の企画段階から市民が参加できる体制をとり、NGO/NPOが多く参加した。総事業費1900億円の計画に対し、2085億円の実績となったが、入場数の上振れとキャラクターグッズの売り上げもあり、最終的に129億円の黒字を達成している。

この成功した「愛・地球博」の総合プロデューサーが泉真也である。初めて関わった1970年の40歳での大阪万博を皮切りに4つの万博で実力を蓄積し、35年後の75歳で「愛・地球博」を成功に導いた。泉のライフワークは万博だったのである。

2005年7月に私は「愛・地球博」を見学した。トヨタ館、日立館などは5時間待ちという盛況だった。入り口の「接客ロボット」は人気があった。日本語、英語、中国語、韓国語を話す美人の接客ロボットが応対をする。「私はいくつに見えますか?」「えー、お若いですね!」、そしてプログラムしてある話題以外では、「その話は置いといて、、、」と逃げるなど気が利いている。瞬き、黒目の左右への移動、手の振り付けなど面白かった。

曼荼羅を中心としたネパール館、「曼荼羅は、自己の姿を映したものであり、宇宙の縮図である」「宇宙が自らの姿を顕現させたものが曼荼羅」。ハーブやヨガなど癒しをテーマとしたインド館。国連館では国連加盟国は191か国で、2002年のスイスと東チモールが最後の加盟。バチカン市国はオブザーバーの資格で加盟している。

2005年7月14日の13時48分現在で世界の人口は6,448,783,544人。ほんの5年ほど前はまだ59億人台だったはずだ。映像「多様性の祝祭」のテーマは「みんな違う、それが世界」だった。

UNEP(国連環境計画)の世界環境フォトコンテスト。金賞は「野生の難民」(シカがゴミをあさる姿・インド)、銀賞「北ザンビアの飢えに苦しむ農夫」、銅賞「乾いた大地」(中国江西省)、「路上の死」(カンガルー・オーストラリア)、「嵐の後の子供たち」(ドミニカ共和国)。世界遺産は788あるが、危機遺産というのがあって、バーミヤンなどがそれにあたる。

ゴンドラでメインの長久手会場から瀬戸会場へ移動する。「市民パビリオン」では、私が長年所属してきたNPO法人知的生産の技術研究会の東海支部の面々が知的生産の技術をテーマとした展示を行っていた。アスキー創業者の西和彦さんも講演に駆けつけて、旧交を暖めた。西さんの講演は「ベンチャービジネスで夢を開け、一流を目指せ」だった。

愛・地球博」は、全体的に、「自然の叡智」という総合テーマと、例えば「人生のわざと知恵」というサブテーマにわがNPO法人知的生産の技術研究会という市民グループが参加しているように、実態がよくかみ合っているとの感想を改めて持った。環境デザイナーであった泉真也はライフワークである万博を「愛・地球博」という環境万博に仕上げたのであるから大いに満足であっただろう。

1996年開催予定の都市博は、バブル崩壊もあり、都知事選で石原信雄候補に圧勝した青島幸男知事の公約による中止(610億円の損失)が象徴的だが、毎回様々の要因で一筋縄ではいかないのが万博だ。さて、2025年の大阪万博はどのようになるだろうか。