1月の知研セミナー「資金なし・組織なしで、新雑誌を創刊する! 橘川幸夫創刊編集長が驚きのノウハウを語る」。

1月の知研セミナーの案内を書いた。

URLは後ほど、以下にアップする。

https://www.facebook.com/groups/216147683882632

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資金なし・組織なしで、新雑誌を創刊する!

橘川幸夫創刊編集長が驚きのノウハウを語る。

ゲスト:橘川幸夫(『イコール』編集長)

2024年1月18日:20時から。ZOOM開催。

『イコール』橘川幸夫と会食会|橘川幸夫

メディアプロデューサー・橘川幸夫さんが創刊編集長をつとめる新雑誌『イコール』が1月に刊行される。出版不況下、特に雑誌の凋落が進む中で、新テクノロジーと新しい時代潮流に掉さしながら、資金なし、組織なしで新雑誌を刊行というビッグチャレンジです。

『イコール』は、「時代ミーハーマガジン」を標榜する、コミュニティメディア。

印刷経費はクラウドファンディング、執筆・編集は50人の仲間たちの全面協力、常備店は全国の協力シェア書店というユニークさ。季刊、A5版、128頁、4色カラー、オフセット印刷という堂々のカラーの本格雑誌です。

このノウハウを公開することで、新しい雑誌業界をつくろうという大胆な試みで、知研もこの流れに参加する計画です。

また橘川さんは『イコール編集塾』を開催し、実践的に雑誌編集者を育成する、以下のプログラムを用意。1.編集者コース 2.著者コース 3.デサイン・DTPオペレーターコース 4.販売者コース。「目からウロコ」のセミナーになるのは間違いありません。ぜひご参加を。

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午後:立川

・知研の福島事務局長

・整体(オステ)

夜:ZOOM

・デメケン

・力丸君

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「名言との対話」1月8日。大野慶人「私が私の体に出会う」

大野 慶人(おおの よしと、1938年昭和13年〉7月15日 - 2020年令和2年〉1月8日)は、舞踏家演出家ダンスセラピスト教育者

1946年 父・大野一雄9年ぶりに復員し、初めて父の顔を知る。1951年 関東学院中学校サッカー少年の中学生時代、父の舞台に感動したが自分が踊るとは思わずにいた、母から、父が新しい踊りをどうしても伝えたがっていると頼まれ、ダンスの稽古を始めた。

1959年4月、大野一雄のモダンダンス作品「老人と海」の少年役でデビュー。5月、舞踏家土方巽(1928年-1986年)の「禁色」に少年役で出演。「禁色」は、のちに「舞踏」の始まりと呼ばれる歴史的な作品となった。1960年代の土方作品のほぼすべてに出演した。

1969年、独舞公演「大野慶人DANCE EXPERIENCEの会」を開く。土方巽のいないソロ舞台の本番で、体が固まり動けなくなって挫折し、踊りりを中断。1970年代は横浜の薬局の店長を務め、1978年建築の「大佛次郎記念館」の建設運動にも関わった。

長い中断を経て、1985年「死海」で大野一雄と共演、カムバックした。1986年の土方巽逝去後は、大野一雄の全作品を演出し、世界各地をともに巡演している。

ユーチューブの動画「はいから万歳」で、2010年の71歳の時のインタビューの肉声を聴き、姿をみた。この当時、父の大野一夫は102歳だった。103歳で死去。

『稽古の言葉』から、大野一夫語録を拾う。「人間が成長するのはね、動いている時、成長するのでは無くして、ストップして休憩している時に夢を見た。そういうときに人間は成長するんではないか」「いくらテクニックでやったって、自分の内部にないものはいくらやったって、響いて来ることはないですよ」「体験をしたっていうことはね、やっぱり忘れてもさ、ちゃんと心に魂に未ざまれている。それが稽古したということですよ」「だんだん成長する。成長するっていうことは、螺旋状にずうっと、だんだん天に近づいていく」。大野慶人は父の創始した「舞踏」の継承者であることがわかる。

この動画では、その直前にはインドネシアバンクーバーモントリオールなどで公演やワークショップをやったと述べている。世界が注目している様子がわかる。舞踏には動くものと動かないものがあり、大野がやっているのは「静」の方で、世界に例がない舞踏だ。肉体が全てであって、その内側から紡ぎ出すのが舞踏だと語る。土方巽と大野一夫が共同で創造したのが舞踏で、それは革命であった。

舞踏のレッスンの様子や考え方を実地で説明している。稽古とは、体をつくることだ。花を材料にタテ・ヨコの芯をつくる、手ぬぐいで絞る行為を学ぶ、綿を使って柔らかさを紡ぎだすことを知る。それは世界のどこにもない日本独自の舞踏である。「私が私の体に出会う」、それが舞踏なのだ。自分の体に出会う、という言葉には衝撃を受けた。自身の肉体に真正面から向き合って、内部から自分を引き出す訓練をするのだ。

音楽をかけながら、外国人から贈ってもらった大野一夫の人形を手に、踊らせている姿をみた。その眼差しに感銘を受けた。一夫は「舞踏とは命を大切にすること」と語っていた。その志を継いだ慶人座右の銘は「一生懸命」であった。そういう人なのだろうと納得した。

「部屋の真ん中に赤ちゃんがいるつもりで踊ってください」とよく弟子たちに語っていた。それが土方、一夫、慶人へと続く舞踏の稽古である。いわば自分への回帰だ。ダンスの世界にも、日本への回帰という革命があったのだ。それが世界性を持ったということになる。