『全集』第2巻「技術編」:3月8日(アマゾン)、3月22日(発刊)、3月27日(日経)。

「全集」第2巻の刊行スケジュールが確定しました。

3月22日に発刊です。3月27日の日本経済新聞に広告が掲載されます。そして昨日からAmazonでも予約販売が始まりました。11日にクラウドファンディングで支援いただいた方々に発送します。

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明日の図解塾「人生鳥瞰図」の準備。

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「名言との対話」3月9日。土方巽「舞踏とは命がけで突っ立った死体である」

 土方 巽(ひじかた たつみ、1928年3月9日 - 1986年1月21日)は日本の舞踏家振付家演出家俳優

 舞踏家・大野一雄らにモダンダンスを学び、1959年に三島由紀夫の小説をベースにした「禁色」を発表。過激で倒錯的なエロティシズムは非難を受けた。土方は以降も「暗黒舞踏派」を名乗り、エロティシズムとバイオレンスを強調したこれまでの舞踏にはない作品を次々と発表した。代表作に「肉体の叛乱」「疱瘡譚」「四季のための二十七晩」「静かな家」「ひとがた」「ばら色ダンス」などがある。

暗闇でものを食うとおいしいと思うんですね。いまだに寝床にまんじゅうなど引き入れては暗闇で食うんですよ。形は見えないけれども、味覚は倍加するわけです。あらゆる光線がいかがわしいと思うことがありますね

河村悟『舞踏、まさにそれゆえにーー土方巽 暴かれる裏身体』(現代思潮社)を読んだ。朝、ざっと読んでみたが難解で途方に暮れる。午後、ユーチューブで、慶應義塾大学新入生歓迎行事の没後35年「土方巽をを語ること」をみた。そして無観客の舞踏の配信「日本国憲法を踊る」をみた。夕刻、「土方巽1960 しずかなる家Ⅱ 午後の部 点滅」をみる。風呂で、再度本を読む。夕食後、映像の続きをみる。ようやく何か書けそうな気がしてきた。

「文学の純粋さということも肉体の純粋さに尽きるのではないか」と考える三島由紀夫が土方の舞踏の第一発見者だ。それにこたえて、土方巽は「私たち世代の魔弾の射手」と称揚する。反文学の領袖・埴谷雄高も土方の発見者の一人だ。また葬儀委員長をつとめた「悪徳の栄え事件」の被告人・渋澤龍彦は土方の親友だった。

暗黒の舞踏王・土方巽は「舞踏とは沈黙の深さを知った人がやるべきものだ」「舞踏はもしかしたら夢素の探求かも知れない」と語っている。舞踏言語というものがあるらしい。それは沈黙の言語である。土方は夢と現実は地続きであると考え、夢のかけらを探し続けた。

著者の河村悟は、土方はシュルレアリストであるとする。シュルレアリスムは、美的・道徳的なすべての先入見から離れた、思考の書き取りである。フロイト精神分析マルクスの革命思想を基盤とした無意識の探求・表出による人間の全体性の回復を目指した運動である。まさに土方の舞踏はその運動である。土方にとっては、「死こそ生」であり、「出生」は「死の種子」の誕生であった。土方の舞踏化作業は「物自体」「舞台」「死体」という3つの「仮説」で構成されている。

ユーチューブを散策していて、20年以上続いている舞踏がテーマの慶應義塾大学の新入生歓迎行事のイベントをみつけた。土方の師匠である大野一雄(103歳のセンテナリアン)は、慶應の大教室で89歳であった1994年から7年間踊っている。大野一雄の『稽古の言葉』という本を私は読んでいる。その本で舞踏は「抽象でやらなければだめだ」と大野は語っていた。抽象とはものの形を抽(ぬ)くことだ。その後、土方は舞踏の中に思考を持ち込んだとする笠井叡の舞踏公演、そして大野慶人大野一雄の息子。1938-2020)も登場している。

土方の没後35年の2021年、「土方を語ること」というオンラインイベントをユーチューブでみた。この中で無観客配信の「日本国憲法を踊る」という舞踏をみた。よれた軍服姿の踊り手が「憲法は命以上に大切」と絞り出すように語る。キリストは死体の中から復活した。土方は最初から復活しているといい、自分はネロであるとし、ネロ土方と名乗ったこともあるとの解説も聴いた。受難と復活、現在のコロナ時代は受難の時代であり、どうやって復活するのかがテーマという説明だった

ユーチューブで「土方巽1960 しずかなる家Ⅱ 午後の部 点滅」という舞踏を堪能した。桜の季節に横浜市黄金町の東福寺境内で行われた迫力ある舞踏である。土方はこの地に住んでいた。丸坊主で裸の上に衣装をかけた土方が苦しさの中でのふらふらになりながら、寺のうちからおそるおそる出てくる。倒れる、痙攣する、乱舞する。手が意思をもっているかのように自在に動く。内面と外面とが一体となったあやしく美しい舞踏であった。強烈な印象だった。

 大野一雄は「成長するっていうことは、螺旋状にずうっと、だんだん天に近づいていく」と語った。土方はこのらせんのいちばん奥の寝室にもぐりこんだ。自分は暗黒の歌が聴こえる部屋で舞踏の種子か、夢の貝殻を拾うことができるだろうと河村悟は結論づけている。

暗闇を抜けて、やっとここまで書いてきた。東福寺での土方巽を演じた舞踏の印象が目に焼き付いている。舞踏は抽象である、舞踏は沈黙の言語である、ここまではわかった。舞踏とは死体なのだ、というメッセージを考え続けよう。

舞踏、まさにそれゆえに――土方巽 曝かれる裏身体

舞踏、まさにそれゆえに――土方巽 曝かれる裏身体

  • 作者:河村 悟
  • 発売日: 2015/09/12
  • メディア: 単行本