1月18日は新雑誌『イコール』の創刊編集長・橘川幸夫さんのセミナーです。

新年最初の1月18日の知研セミナーは、新雑誌『イコール』(1月)を創刊した橘川幸夫さんの登場です。20時から。Zoom。
ミーティング ID: 826 7470 5966
パスコード: chiken2024(昨年とは異なりますのでご注意ください)
【ゲスト】:橘川幸夫氏(『イコール』編集長)
【内容】
メディアプロデューサー・橘川幸夫さんが創刊編集長をつとめる新雑誌『イコール』が1月に刊行されます。出版不況下、特に雑誌の凋落が進む中で、新テクノロジーと新しい時代潮流に掉さしながら、資金なし、組織なしで新雑誌を刊行というビッグチャレンジです。
『イコール』は、「時代ミーハーマガジン」を標榜する、コミュニティメディア。
印刷経費はクラウドファンディング、執筆・編集は50人の仲間たちの全面協力、常備店は全国の協力シェア書店というユニークさ。季刊、A5版、128頁、4色カラー、オフセット印刷という堂々のカラーの本格雑誌です。
このノウハウを公開することで、新しい雑誌業界をつくろうという大胆な試みで、知研もこの流れに参加する計画です。また橘川さんは『イコール編集塾』を開催し、実践的に雑誌編集者を育成する、以下のプログラムを用意。1.編集者コース 2.著者コース 3.デサイン・DTPオペレーターコース 4.販売者コース。「目からウロコ」のセミナーになるのは間違いありません。ぜひご参加を。無料。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
蜃気楼大学の「知研」の発表資料の編集、提出。
岩澤君とミーティング
・知研HP
・記念館ミュージアム
9000歩。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
YELLOW MAGIC ORCHESTRA | ソニーミュージックオフィシャルサイト
「名言との対話」1月11日。高橋幸宏「新しいツールはいつでも僕らをワクワクさせてくれるし、そこから新しい音楽が生まれますよね」
東京都出身。小学校5年生からドラムをたたき始める。立教中学では同級生の荒井由実と友人。高校ではスタジオミュージシャンとして活動。武蔵野美術大学短大を中退。加藤和彦らとサディスティック・ミカ・バンドで活動した後に、細野晴臣坂本龍一イエロー・マジック・オーケストラYMOを結成し、翌年伊波ワールドツアーを2度敢行するなど、このテクノ音楽グループは世界的大成功をおさめた。
私は音楽にうとくて、このグループの活躍は知っていたが、そのメッセージも、彼ら3人のこともよくは知らない。息子が音楽の世界いることもあり、細野の本を読んだり、坂本の音楽には少し触れた程度で、高橋につてはまったく知らなかった。
高橋幸宏は、作詞、作曲、ボーカル、ファッションデザイン、演奏、音楽プロデュースと実に多彩な才能を開花させた人だ。そして同時代の才能のある音楽関係の人と、さまざまなプロジェクトを実行していることに驚いてしまった。今回、テクノポリス、RYDEENなどを聴いてみた。
YMOの3人の発言を追ってみることにした。
細野晴臣は1927年生まれで、1952年生まれの坂本、高橋より5つ年上であり、父親がわりのボス的な存在であった。
1978年2月19日に、二人を自宅に招いて、冨田勲シンセサイザーに傾倒していた細野は「マーティン・デニーのエキゾチックサウンドをエレクトリック・ディスコ的なアレンジで行う」と構想を語っている。
細野晴臣高橋幸宏 YMOを語る」、というユーチュブの動画をみた。細野は、改めてYMOの全曲を聴いてみたが、「ユキヒロのものだ」と発言している。それに対して、ドラマーであった高橋は謙虚に「太鼓持ちです」と応じている。高橋の作曲の曲に、2人が肉付けしたときに「一番YMOらしさが出る」というのが細野の述懐だった。
細野は坂本龍一との対談で、慎重な坂本に対してファーザー・コンプレックスだったと語っていた。坂本龍一はあるところで「遊びは結果を求めませんし、プロセス。僕が音楽を作るのもそんなプロセスが面白いから、、、子どもの遊びみたいに、何を作ろうとイメージするのではなく、いじっているうちに形になっていく。それが創作であり、僕にとって創作こそ遊びだと思います」と語っていた。この時、音楽も知的生産なのだと共感したことがある。高橋は初対面の坂本に、ダサい服装をみて「かっこいいのにもったいない」とアドバイスしている。

高橋幸宏の発言。「いいものを創造すれば、必ず人々はそれを必要とする」「新しいツールはいつでも僕らをワクワクさせてくれるし、そこから新しい音楽が生まれますよね」「ビートルズも最新テクノロジーを積極的に取り入れることを、ジョージ・マーティンとともにトライし続けていましたよね。テープを切り刻んだり、新たなエフェクターを開発したり」と語り、今あるテクノロジーを最大限に利用して新しい音楽を作り出すことの重要性を説いている。

高橋がが亡くなった時、「幸宏が16歳のときから、54年の付き合いでした」「幸宏は(サディスティック・)ミカ・バンドで世界のセンスを身に付けて、サディスティックスでドラムの腕を磨いて、YMOで才能を開花させたと思ってます。ポップセンスも優れていて」「人の一生は一冊の本のようだ。いま「高橋幸宏」という本を読み終え、多くのファンがあとがきを書こうとしている。物語は終わったが本は消えず、ずっとそこにある」と追悼している。

高橋幸宏は音楽の世界にテクノ技術を持ちこんで、ワクワクしながら70年の音楽人生を思う存分に楽しんだのだろう。細野晴臣には「人間、練習すれば間違える。計画すると失敗する。覚えていると忘れる。生きていると死んじゃう」との名言もある。細野より若い坂本も、高橋ももうこの世にはいない。

人生は一冊の本である。人生のステージをペラペラと軽く読み飛ばす人もいれば、人生の秘密を熟読する人もいる。この本には、タイトルを刻んだ表紙があり、まえがき、そしていくつかの章がある。そして最後に、あとがきがある。追悼文というのは、このあとがきではないか。あとがきの、量と質がその人が生涯を通じて人に与えた影響力なのだ。