2月3日に第2回「蜃気楼大学」を開催しますーーNPO知研も「日本及び日本人」をテーマに参加

蜃気楼大学(一般社団法人参加型社会学会)主催)が2月3日に八王子の大学セミナーハウスで開催されます。

『蜃気楼大学は、「時代の先見性を体現している人」「地域やテーマにこだわって未来を探っている人」を講師として学ぶ参加型の講義フェス、講義フリマです。参加型社会が出現する未来イメージを、参加者一人ひとりの活動によって蜃気楼のように浮かび上がらせることを目指します』(田原さんの呼びかけ)。

集客目標は、会場参加200名、オンライン参加200名(昨年の倍)。

蜃気楼大学2024~参加型社会学会による「講義フェス」 (peraichi.com)

私は昨年と同様「一日学長」を仰せつかっている。

NPO法人知的生産の技術研究会で2コマを予定。詳細は10日までに調整。

総合テーマ日本及び日本人を考える

テーマ「日本文明論」

「図解塾」の「梅棹忠夫著作集」図解PJCTの発表

  • 久恒啓一「梅棹文明学と日本」
  • ②都築功「情報史観と生態史観」
  • 深谷康雄「日本研究と地球時代」

テーマ「日本人論」

「幸福塾」の「日本人の幸福論」PJCTの発表

  • 久恒啓一「倖せ学の体系」
  • ②垣内武「総論と公人」
  • 鈴木章子「私人・個人」

昨年の蜃気楼大学https://k-hisatune.hatenablog.com/entry/2023/02/18/113659

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「名言との対話」1月7日。飯田亮「鳥瞰。俯瞰」

飯田 亮(いいだ まこと、1933年4月1日 - 2023年1月7日)は、日本の実業家セコム創業者。享年89。

東京都出身。学習院大学卒。1962年、わが国初の警備会である,日本警備保障(現セコム)を友人と2人で設立し社長。1964年東京五輪の選手村を警備。オンラインによるSPアラームシステム、コンピューターによる警備システム,家庭向け安全システムなどを開発し、急成長した。1976年会長。

セコムの創業者・飯田亮氏に、2002年に出版した『図で考える人は仕事ができる』(日経)と2003年に『日経ベンチャー』に持っていた連載で私もインタビューしたことがある。

安全をテーマとする起業を考えた時、すでにヨーロッパにあることを知ったが、行かなかった。「勉強しない」「真似しない」。セコムは「予算制度なし」「公正な人事評価」、、、。
飯田は、図を使う経営者であり、私の図解理論をよくわかってくれた。鳥瞰的視点を持った経営者だった。セコム本社の最上階のオフィスでそこから見える東京のビル群を眺めていると、どこでビルが立ちあがっているかがすぐにわかると、その景色を見せてくれた。安全を欲する現場が見えるのだ。

セコムは「安全サービスをコアとしつつ、その上に医療・健康サービス、教育サービス、情報通信サービスといった社会に有益なインフラとなる各種サービスをトータルに提供する新しい産業」と1989年に宣言している。
それを飯田は、「社会システムの不備をただす産業」「人の一生をいろいろな場面で支援する企業」「高度情報社会に必要な社会システムを提供する産業」と表現していた。そして「利用者の発想でないと成りたたない仕事」であり、「顧客との接点の多さが新しい商品、新しいサービスを生み出す財産」とも語っていた。
私の当時の見立ては、安全、そして安心、そして満足というステップを踏みながら成長を続けるだろうということだった。企業のセキュリティから人間のセキュリティへ、その先にはセコムの遺伝子は地域のセキュリティや国のや安全保障まで視界に入ってくるのではないかとも予想していた。

飯田は私に経営者と事業家は違うと語ってくれた。経営者は人のつくった舞台で舞うのに対して、事業家は自分で舞台をつくって舞うというのが違いだ。自分は事業家だと誇りを持っていた。以下、飯田亮という事業家の言葉を拾ってみた。

  • 自分を励ますために心の太鼓を叩くという術を、長い間かけて少しは身につけてきたのでしょう。心の太鼓はあくまでも自分で叩かなきゃ、他人は絶対に叩いてくれませんよ。自分で自分の太鼓を鳴らさなきゃ。
  • 泥水をたっぷりと飲み、腹をこわし、耐久力をつけないと人は強くなりません。プロフェッショナルになるためには、困難にまともに立ち向かっていくしかないのです。
  • 遊びが足りないから仕事ができないんだ。もっと遊べよ。遊べば、もっと仕事ができるようになる。
  •  一寸先は光。
  • 経営は矛盾の固まりなんだよ。
  • 失敗は、途中で放り出すから、失敗になる。世の中のためになる正しいことだと考えたら、これをやり抜けば、失敗はない。
  • 考え抜いて精根尽き果ててから、それでもあきらめず、もう5分、さらに考える。そうやって何としてでも壁を突き破ろうという執念がなくてはならない。
  • 人に相談すると、独創性に富んだ競争力のあるビジネスモデルは生まれない。
  • ビジョンを提案するのが、政治家であれ、企業家であれ、最も大切な仕事。
  • なるべく大きな空想、夢を描いて、ビジネス構築をするのが大切です。小さな夢で満足しないこと。大風呂敷を広げ、地道に着実に、一歩ずつ積み重ねることです。
  • 私は30年のビジネスデザインを立て、まずは10年実行、そして10年後にまた新しいビジネスデザインを作ると考えていました。常に目標を持ち、自分を鼓舞する。一方で環境変化に合わせて目標を見直す。ビジネスとはこの繰り返しだと思っています。

 

インタビューの中で「鳥瞰」「俯瞰」という言葉が飛び交ったことを思いだす。ものごとの全体を眺めることを俯瞰と言う。高いところから鳥の目で対象をでみるという意味で鳥瞰という言葉を使う。

山の上から地上の景色を眺めるとパノラマとして景色が展開することで感動することがある。見晴らしがよくない山路で、難路に足を取られながら、悪戦苦闘しているのが、私たちが職場で経験する姿だ。会社の全体像、抱えている問題や課題の全体像をパノラマのようにみることができたらいい。これが、俯瞰、鳥瞰だ。
私は2005年からの全国の人物記念館を訪ねる旅や、日本のさまざまの分野で一流の仕事をした人物を対象に毎日その人の生涯と遺した名言をさがし、ブログやnoteに書きつけることをやってきた。この中で発見したことの一つは、彼らは俯瞰や鳥瞰という視点で仕事をしているということだ。以下、例をあげてみよう。

  • 政治家の田中角栄元首相は、「政治家として大切なことは、ものごとを鳥瞰的、俯瞰的にみることだ」と語っています。
  • ソフトバンクを創業した孫正義は、「自分は発案して全体を俯瞰する役割。いつもまず全体を考える」と語っています。
  • コンサルタント梅田望夫は「世の中を俯瞰して理解したい。関係性に興味がある。俯瞰してものを見て全体の構造をはっきりさせたいという志向がある人はこれからの時代は有利になる」と総合的視点を持つことの重要性を指摘しています。
  • 東大総長をつとめた小宮山宏は、「知の構造」の重要性を語り、実際に大学で「学術俯瞰講義」を展開しました。
  • 平凡社を創業した下中弥三郎は、「分野全体をわしづかみ」にするという鳥瞰思考によって百科事典事業を成功させました。

芸能の世界も同様。

  • 女優の樹木希林は、「俯瞰で見ることを覚え、どんな仕事でもこれができれば生き残れる」「俯瞰で観るクセがついているので、わりと思い違いはないです」と述懐していました。
  • 能楽師野村萬斎は、「狂言を俯瞰してみるために、、他のジャンルに挑戦している」と芸能の世界とそれ以外の世界についても挑戦することにしています。

画家も同じ。

  • 鳥瞰図絵師を名乗った「大正の広重」こと吉田初三郎の画法は、一番多く「構図に時間を割く」とし、中心の周辺は湾曲させた独特の鳥瞰図絵で人気を博しました。
  • 現代の大和絵画家の山口晃は、「超絶的な鳥瞰図法」で、中世、近世、現代という広大な時間と空間を配置した大いなる鳥瞰図を描いています。
  • イラストレーターの真鍋博は、鳥瞰的視点で「絵地図から国家計画まで」ジャンルを軽々と越えていきました。複眼、データ、数字、記号を用いると結論をひきだしてしまうとし、虫の目もさることながら、全体、昨日今日より明日を見る鳥瞰的視点を大事にしました。
  • 不染鉄はマクロの全体構造にミクロの細部を組み合わせる画法でした。代表作の「山海図絵(伊豆の追憶)」では富士山、日本海、太平洋を描きながら、伊豆近海で泳ぐ魚も描いているなど、俯瞰と接近の相まった独特の視点、マクロ視点とミクロ視点の混淆の絵を残しています。
  • 画家の横尾忠則は、「超越者の視点」を得たいといっています。そして「たまに寝込むと、世の中を俯瞰して見ることができる」とtwitterで発信しているのです。
  • 安野光雅は俯瞰的な風景画を描き人気がありましたが、顕微鏡でようやくわかる細部にイタズラ心がありました。

写真家はどうだろう。

  • 白川義員は「〇〇鳥瞰」というタイトルの写真が多い人です。「天地創造」という最後の写真集は神の目も感じる出来栄えです。

学者たち。

  • 心理学者の宮城音弥は、「心理学の鳥瞰図」を意識した傑作を上梓していいます。
  • 考現学者の今和次郎は、透視図と俯瞰図という手法を使って現代を描くという優れた仕事をしました。
  • 歴史学者の磯田直史は、「司馬遼郎で学ぶ日本史」という司馬の全作品を鳥瞰的に論じた納得感の高い本を書いています。
  • 文芸評論家の加藤典洋の「戦後入門」は、高い山から100年前の1914年の第一次大戦から鳥瞰した名著です。

詩人とは俯瞰する者。

  • 作詞家の阿久悠の「日記力」を読むと、時代、変化、アンテナ、数字、観察、名前、メモ、短歌などを一日一ページの日記を毎日書き続けて、時代を俯瞰しながら優れた詩を書きつづけました。
  • 詩人の谷川俊太郎は、「詩というのは俯瞰して、上からいっぺんに「今」を見ようとする」と詩の本質を説明しています。そして、全世界を1枚の図にあらわす「曼荼羅のすみっこみたいな、それが詩じゃないか」といいます

以上にみるように、ジャンルにかかわらず、優れた仕事師たちは、「鳥瞰」「俯瞰」という視点を持っているという共通項があることは間違いない。

飯田さんは、豪快でネアカな人だった。90歳まで仕事をすると語っていた。その通りの生涯を送ったようだ。冥福を祈る。