深呼吸学部第2期のDTP基礎講座。2月・3月のイベント準備。

深呼吸学部第2期のDTP基礎講座に参加しました。雑誌づくりに向けての勉強会です。20名が参加。知研(図解塾)からは、力丸・近藤・都築の3人が参加。

PDF資料ももらったので、いい機会なので勉強しよう。

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今日は2月・3月のイベント等の準備:2月14日:幸福塾。2月15日:NPO知研究の総会。2月20日:FM鎌倉のインタビュー。2月22日」:知研読書会。3月3日:心の健康会議(藤原勝紀先生に電話。1700人。倍率が高いらしい)

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イタリアのコミコン「ルッカコミックス&ゲームズ」にて(2018年)

「名言との対話」2月13日。松本零士「片道でもいいから俺を宇宙に行かせてくれ」

松本 零士(まつもと れいじ、Leiji Matsumoto男性1938年昭和13年〉1月25日 - 2023年令和5年〉2月13日)は、日本漫画家、アニメ作家。享年85。

福岡県久留米市出身。北九州市小倉で育つ。SF漫画を中心に、少女漫画、戦争漫画、動物漫画など多彩なジャンルを手がけた。代表作には、初期の出世作男おいどん』(講談社出版文化賞)、そして映画化もされた『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』などがある。

ペンネームの「零士」の由来は、モットーの「零歳児の感性」、「午前零時」を意識している。「士」はサムライである。「士」は軍人として出処進退のきれいだった父をイメージしたものだ。またそのための苦労を厭わなかった母を貧乏から救おうという気持ちがエネルギーとなった。

1974年から始まった『宇宙戦艦ヤマト』のテレビの再放送で人気がでて、劇場版の公開時には社会現象を巻き起こしアニメブームのきっかけとなった。そしてアニメ『銀河鉄道999』が大ヒットし、松本零士ブームが到来した。

1980年代にはブームも終焉する。松本零士は自作の作品のキャラクターを一つの作品にまとめていく。1990年代後半以降、松本アニメブームで育った若手が松本作品のアニメ化に挑戦し、アンメ業界が活性化する。

2003年、『銀河鉄道物語』。2018年、『銀河鉄道999』の新作を発表。

巨匠・手塚治虫の初期の作品を収集する漫画古書のコレクターでもあった。その影響は、ある作品では脇役であったキャラクターが他の作品では主役になるという全員がスターとなる手塚の「スターシステム」を採用していることにみることができる。人は皆、あるときは脇役、ある時は主役であるという考えには共感を覚える。

銀河鉄道999」は、高卒後、夜行で上京する際に見たシーンが原点となった。そういえば私が福岡から就職で上京する日は猛烈な風の吹く日であり、「自分の人生はどうなるのだろう」と不安を持ちながら空港に向かったことを思いだした。原点は同じ感覚だ。

田舎からでてきて4畳半に住む『男おいどん』という青春物語の主人公・大山昇太のモデルは松本自身であった。そういえば、私も上京し東京で蒲田花街に住んでいたときに、職場で「男おいどん」と呼ばれたことを思いだした。私は松本作品に親しんではこなかったが、同じような青春の体験をしていたことがわかり、親しみを覚えた。

松本零士のアニメ作品をみることにした。「松本零士50周年プロジェクト」特別映像、「わが青春のアルカディア」、「銀河鉄道999メーテル秘話、「葬儀参列後の女子高校生のピアノ演奏」、亡くなった時のニュース「漫画、アニメ界の巨匠」、、などをみてみた。

この人には「銀河鉄道」「宇宙戦艦」「宇宙海賊」などの作品があり、宇宙へのあこがれは強烈だ。これは優秀なパイロットだった尊敬する父親の影響だろう。「空」がテーマだった父の延長線上に、「宇宙」を生涯のテーマとしたのだろう。

民間宇宙飛行の第一号になる夢はかなわなかったが、2018年には宇宙葬専用の超小型衛星に、自身の爪を搭載し、宇宙へ飛ばし、「生前葬」としていたという。松本零士宇宙葬だったわけだ。だから「片道でもいいから俺を宇宙に行かせてくれ」を、松本零士の名言として採ることにしよう。