「幸福塾」の新シリーズ「代表的日本人」ー初回は「仰ぎ見る師匠の存在」

「幸福塾」の新シリーズ「代表的日本人」が始まりました。

「仰ぎ見る師匠の存在」というテーマで、14人の偉人の師匠との関係をテーマに語りました。


以下、塾生の学びから。

  • 久恒先生、本日も幸福塾をありがとうございました。いよいよ、代表的日本人シリーズが始まりました。本日は7つの資質のうち、「仰ぎ見る師匠の存在」がテーマでした。昭和天皇の師匠が明治天皇であることを初めて知って驚きました。師匠と呼べる人がいるかどうかは、ご縁なのではないかと思いました。ご縁を口を開けて待つのではなく、自ら冒険に出て探すことが肝要であるという、久恒先生のコメントがとても印象深く残りました。どのように探すのかを模索するところから、冒険は始まるのではないかと思っています。職場でも、師匠と呼べる方がいるとおっしゃる方の成長は凄まじいです。自分が成長するためにも、師匠を探す旅に出ます。
  • 幸福塾初参加させて戴きありがとうございました。 偉人にも「仰ぎ見る師匠の存在」いる。当たり前のことですが、偉人の師弟の系譜について学ばせていただき、改めて偉人が偉人に至る成長の過程には、変え難い縁があり、それをものにして大切にすることも成功には必要な要素なのだと感じました。「皆さんに師匠と呼べる人がいますか?」との問いに即答できなかった自分自身は果たして縁を大切にできているのか?昔の人は師匠を求めて旅をするくらい出会いや縁を求めていた。との先生の解説に、自分は縁がないと受け身になっていることにきづかされました。 また、「職場で師と呼べる人がいるか、また自分が師と呼ばれるような存在になれているのか。」職場の人材育成を最終的な自己実現に据えたいと考えている私にとって、今後の自分自身の仕事に対する向き合い方について考える機会にしたいと考えました。 冒頭の松本零士先生のお話では、私が幼少期に一番興奮して最も影響を受けたTVアニメは間違いなく「宇宙戦艦ヤマト」でした。宇宙、ロマン、愛情、友情、自己犠牲、、、、私自身の幼少期の人格形成に影響を受けたに違いないと想いに更けながら聞いてました。そういえば、以前仕事の担当地域だった西武池袋線大泉学園駅松本零士先生の自宅がある縁で、駅の発車メロディー銀河鉄道999のテーマソングだったことを思い出しました。そして今の職場の最寄り駅であるJR淵野辺駅JAXAの最寄りという縁で、同じテーマソングの発車メロディー。毎日仕事に向かう時、戦い疲れて帰る時、オンオフのスイッチ入れてくれるメロディー。毎日、松本零士先生の作品に触れているのかもしれません。 宇宙というテーマにおいては私も所属する団塊ジュニア世代には、間違いなく大きな影響を与えたアニメ作家であり、自分にも縁があり、影響を頂いた人物なだと感じました。
  • 本日もありがとうございました。「代表的日本人」シリーズが始まりました。はじめに、いつも通り各自の近況や気づきを話した後、本題に入りました。本で言えば「はじめに」の部分で、久恒先生から「代表的日本人」を始めようと思った意図を語っていただきました。政界、経済界、官界、学界など、今の日本は多くの面で凋落しつつあるという現実。それを前にして、日本や日本人の生き方を過去の人物から学び直し、考えていこうというものでした。「代表的日本人」に見られる7つの特性を挙げられましたが、第1回の本日は「仰ぎ見る師匠」。さすがというか、3000人に及ぶ人物データベースの威力を見せられました。北里柴三郎とコッホなど知っていた師弟関係もありましたが、ほとんどは初めて知る師弟関係でした。個々の人物については教科書レベルの知識はある程度あっても、師弟という関係性で見ることができたのはたいへん興味深く、新鮮でした。一つ一つの師弟関係についてのエピソードなどもう少し詳しく知りたかったと思いましたが、それはこれから自分で調べる楽しみとしてとっておこうと思います。次回以降も楽しみにしておりますし、広めたいと思います。
  • 久恒先生、みなさま、本日もありがとうございました。今回から「代表的日本人」という新シリーズが始まりました。人物記念館1,000館の旅から7つの資質に分けて紹介されるということで、第1回の本日は「仰ぎ見る師匠の存在」をテーマとして、渡辺崋山高杉晋作福沢諭吉など13人の偉人について、その師匠とともにお話しいただきました。教えを乞うために自ら師匠の元に行った人、出会った人の中から師匠を見つけた人など、師弟の出会いは様々ですが、偉人の師匠はやはりいずれも偉人。しかも素晴らしい功績を残した人がリレーのようにつながっている場合もあったので凄いことだと思いました。師匠の思いや研鑽した実績を引き継ぎ、さらに高めていった弟子の人々。師匠が育てた結果なのか、自ら育っていったのかわかりませんが、どちらにしても、誰とつながるかで人生が変わり、人生の軸や目標ができたり、人生を豊かに(幸福なものに)するきっかけになることを改めて感じました。来月はまた違った視点で代表的な日本人を紹介いただけるので、どんな偉人と出会えるか、今から楽しみです。引き続きよろしくお願いいたします。
  • 2月の幸福塾に参加しました。久恒先生、皆様ありがとうございました。今回から、本物の条件―「代表的日本人」がテーマで7つの資質の中から、①仰ぎ見る師匠の存在の視点で何人かの日本人が紹介されました。それぞれに師匠がいて師匠とどんな関係か、どんな業績かを師匠と弟子の二人の白黒写真を通して紹介されました。写真を見て思ったのですが、師匠と弟子の関係は。仕事や活動、考え方が似てくるのは、理解できるのですが、風貌や身につけている眼鏡、姿勢や雰囲気、表情も似ていると思いました。もともと似ていたのか、年月をかけて似てきたのか、似ている部分が引き出されたのかは分かりません。本物の人物が、教えを乞う未完成な人物を本物にし、また教えを乞う人物を本物にしていく連鎖が、起こり本物が引き継がれて、つながりができるではないかと思います。師匠も限りある命なので、自分の成し遂げたかったことや多くの人に伝えたかったことが、次の世代の弟子によって成し遂げられたり、さらに多くの人に考えや活動が広がるので、師匠の限りある活動時間を何倍にもすることができ、結果的に社会全体によい影響を残し、社会が進歩したりよくなるのではないかと思います。今回印象に残った師匠との関係の人物は福澤諭吉と師匠の緒方洪庵の関係です。緒方洪庵が大阪で開いた適塾の塾頭だった福澤諭吉のお話をきいて、福澤諭吉が仰ぎ見る師匠のどの点が素晴らしいか想いを巡らしました。 もう一人印象に残った人物は、江戸時代末期の武士で河合継之助ですが、師匠が山田方谷ということを聞き、岡山では山田方谷は、郷土の偉人でよく知られており、弟子の河合継之助にも関心を持ちました。師匠を持つことで未完成で未熟な状態から長い時間をかけて引き上げられ、次第に似てきて最終的には師匠のようになってくることが理解できました。今回も新しい気づきや発見があり、また意見や感想も皆さんと共有できよかったです。ありがとうございました。次回も楽しみにしています
  • 久恒先生、みなさま、本日は幸福塾ありがとうございました。今回から「代表的日本人シリーズ」が始まり、興味深く伺いました。初めに「21世紀の日本」ということで、政界、官界、言論界、学界、経済界、司法界などそれぞれの領域で、日本が劣化しつつある、それも上の方から崩れていっている、との話があり、確かにそのように感じました。その原因の1つに人物論を学んでいないことがあるのではないかとの事。今回「代表的日本人」という枠組みで、日本の偉人先人の生き方や姿勢、人間感などに触れることができるのは大変貴重な機会だと思いました。
    具体的には「7つの資質」という観点で人物を見ていくということで、今回は、そのうちの1つ「仰ぎ見る師匠の存在」。偉人先人には、偉大な師匠がいたという話でした。印象的だったのが、渋沢栄一徳川慶喜横山大観岡倉天心山本五十六の河合継之助など。 「師匠」と言うのは、単に知識や技能などを伝承する人ではなくて、物事に対する姿勢や生き方、価値観など、その人にとって深いところにまで影響を与える人。いくつかの偶然が重なっての出会いでもあり、奥深いものだと思いました。次回は「敵との切磋。友との琢磨」。どのような敵や友がいて切磋琢磨していったのか、次回も楽しみです。
  • 久恒先生、皆様、おつかれさまです。本日、幸福塾。2月3日開催の蜃気楼大学以降、橘川先生の薫陶が絶好調、GPT講座、イコール編集部など、「深呼吸」系活動へ参加する塾生の方々の近況報告が増加傾向。「これはという興味ある活動を選んで、無理しないでネ」とアドバイスの後、久恒先生からは恒例ブログの話題。1.松本零士氏、1年前の昨日(2月13日)に亡くなった。ペンネームの由来は「ゼロ歳児の感性、午前零時」の『零』と軍人だった父君のイメージである武士(もののふ)の『士』からとった。宇宙を舞台とする作品を多く世に出した。戦闘機パイロットだった父君へのあこがれ、生涯のテーマ、終わりなき旅…『The Cockpit』  ロマンティックです!。2.ジェネレータたちの知図展で「梅棹文明学を俯瞰する」の講演、京都梅棹サロンのキーパーソンが主宰するイベント。作成した図解を組み合わせ、レクチュアは何とおりもの組合せが自在。さて、本題。本日から幸福塾は新テーマである『代表的日本人』へ突入。内村鑑三新渡戸稲造…昔の知識人は漢文・英文ともに読み書きは勿論、話せる…凄くてかなわないが、ここはひとつ大きく俯瞰して始める、いつものアプローチ。オーバービュ:21世紀の日本、政界:裏金と借金、官界:忖度と人材流出、言論界:メディアの翼賛体質、学界:ノーベル賞候補の枯渇、経済界:出生率低下・低賃金・円安進行、司法界:政権への忖度…日本の凋落が著しい、何故か?いまこそ日本人の『人間革命』が必要ではないか?膨大な久恒先生の「人間博物館アーカイブス」より、名だたる偉人達の生き様を俯瞰し、何が必要なのか、どうすれば良いのかを探求するという志向。偉人達は次に挙げる七つの資質のいくつかを必ず持っているという。①仰ぎ見る師匠、②敵との切磋、友との琢磨、③持続する志、④怒涛の仕事量、⑤修養、鍛錬、研鑽、⑥飛翔する構想力、そして⑦日本への回帰…。本日記念すべき第1回目は①仰ぎ見る師匠の存在をテーマに、いつもの様に言葉のシャワーを堪能致しました。皆、誰もが師匠の存在を持ち、師の薫陶を受けて育った。偉人達が教えを乞うた師とはだれか?渡辺崋山(江戸の武士、漢学者、マルチ、佐藤一斎儒学者、東大総長みたいな人)→佐藤一斎(維新の勇者は皆この人に心酔したとか)、高杉晋作吉田松陰福沢諭吉緒方洪庵(阪大を作ったヒト)→宇田川玄真→杉田玄白…師のリレー、森鴎外(陸軍中将、軍医で最高地位)→渋江抽斎(江戸末期の医師)、北里柴三郎(日本近代医学の父)→ロベルト・コッホ(細菌学の開祖)、渋沢栄一徳川慶喜山本五十六河井継之助戊辰戦争で奮闘した長岡藩家老)、会津八一→坪内逍遥シェークスピア全集全翻訳)、横山大観日本画家)→岡倉天心(思想家)、小泉信三(慶応塾長)→福沢諭吉昭和天皇明治天皇白洲正子(随筆家)→青山二郎(骨董蒐集鑑定)、童門冬二(小説家)→太宰治…同じ職業での師弟関係、同じ志を受け継ぐ者同士、先生と生徒…よく見ると関係は様々ですが、そのどれもがきっと「困ったときにあの人だったらどうしただろうか…」と心のよりどころに勇気を出して困難を乗り越えて行ったのかなと思いをはせながら言葉のシャワーを浴びさせて頂きました。相変わらずの怒涛のボリウムでしたが、数多くの事例を示して戴く中で様々なケースに分類できたことや一方で共通した事柄を発見することもでき、今回も非常に有意義な学びとなりました。きっとこの体験をベースに、夫々の人物ゆかりの地を訪れ、フィールドワークしたい気持ちが膨らみました。有難うございました、次回も宜しくお願い致します
  • 先生、みなさま、お疲れ様でした。「代表的日本人」が始まりました。本日は仰ぎ見る師匠がいる偉人の方々のお話。知った名前が、どんどんつながっていって、そのつながりについてのエピソードもさまざまでした。北里柴三郎の師匠のコッホ。同じ研究室にいた後藤新平後藤新平からの福沢諭吉からの北里柴三郎、、、この関係はすごいですね。今の日本を作ったかたがたのつながりのエピソードがすごいです。自分におきかえると、いろいろな方とつきあって、師匠と呼べる人とのご縁を大事にしていくことが大事だと、改めて思いました。また、これまでの幸福塾で耳にしてきた方々の、違った面からのエピソードなどが次回からも聞けそうで楽しみです。また、新たに師匠と呼べる人があらわれてくれると良いなと思いました。
     
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    松本龍二、毛塚 英俊
     
     
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「名言との対話」2月14日。豊田章一郎「過去の成功の上にあぐらをかき、自己変革を怠った企業は、時代のうねりの中に沈んでいく運命にある」

豊田 章一郞(とよだ しょういちろう、1925年〈大正14年〉2月27日 - 2023年〈令和5年〉2月14日)は、日本の実業家、技術者。享年97。

愛知県生まれ。名古屋帝国大学工学部機械科卒。東北大学大学院修了。工学博士。豊田喜一郎の長男。1952年にトヨタ自動車工業に入社。1981年トヨタ自動車販売社長。翌年、工販合併に伴いトヨタ自動車初代社長。品質管理の責任者として品質向上と海外発展に努めるとともに、トヨタ自動車のデミング賞実施賞の受賞に尽力。1994年、経団連会長。2005年、愛知万博協会会長。

いい機会なので、今日のトヨタの隆盛にいたるまでのトップのバトンタッチをながめてみよう。

豊田自動織機の創業者・豊田佐吉(1867年3月19日(慶応3年2月14日) - 1930年(昭和5年)10月30日)は、「狂と呼び、痴と笑うも、世間の勝手じゃ」 「人のやったことは、まだ人のやれることの百分の一に過ぎない」との考えで、「世界一の織機」の特許権をで得た金を豊田喜一郎に渡し、「お前は自動車をつくれ。自動車をつくって国のためにつくせ」と励ました。

豊田 喜一郎(1894年6月11日 - 1952年3月27日)は、トヨタ自動車を創業する。1967年社長に就任。その後、工・販統合まで14年9ヶ月社長をつとめる。

豊田 英二(1913年9月12日 - 2013年9月17日)は、豊田佐吉の甥である。創業期からトヨタの発展を支えた。量産体制を築く一方で、無駄を省くトヨタ式生産方式を確立した。日米自動車摩擦の解決策としてGMとのアメリカ合弁生産を決断するなど、グローバル展開の基礎を築き、トヨタを世界レベルの自動車メーカーに育てたトヨタ中興の祖となった。自動車事業に先鞭をつけた創業家の喜一郎の長男・章一郎に社長を譲る。

豊田章一郎は、財界総理ともいわれる経団連の会長になるなど、トヨタは名実ともに日本産業のトップに立った。

豊田 章男(とよだ あきお、1956年5月3日 - )は、リーマンショックに揺れる中、2009年の社長就任時には、「自動車業界が21世紀も必要とされるのか、今が瀬戸際」と危機感を表明し、業績を立て直している。2020年には静岡県裾野市トヨタ自動車東日本東富士工場跡地に、未来の技術を試すための実証都市を建設するという壮大な構想を発表し、未来都市の創造に着手している。

私は2006年にトヨタ自動車で講演をする機会があった。もう一人の講師は、プロジェクトXでも紹介された国選定保存技術保持者・玉鋼製造の木原明(たたら職人)さんだった。いかにもたたきあげの職人という風貌の木原さんの話はトヨタの技術者の心を打った。この人の座右の銘は「誠実は美鋼を生む」だった。技術も大切であるが内面はそれに優る。従業員一人一人のものづくりにかける真心がより良い鋼をつくりだす。トヨタの技術者には、鉄を愛して、魂の入った車づくりをして欲しいと朴訥な語り口で述べた。このたたら製鉄の製法は、3日3晩の作業に耐える体力、感性、技能が必要であり、現代の技術者達に向かって「8時間労働でいい車がつくれますか」との問いを発し会場が沸いた。愛情、真心、誠実、こういった心が素晴らしいものを生み出すという固い信念にこころを打たれた。日本の魂の健在を示す話だった。車づくりの技術者たちは、この日本の誇る職人たちの後継者でもある。

2011年にトヨタテクノミュージアム産業技術館を訪問。トヨタグループ館。繊維機械館、自動車館を見学。豊田織機製作所を創業した豊田佐吉、その長男で自動車事業を始めた豊田喜一郎の業績をしのんだ。

2016年には、トヨタ自動車の合弁企業である中国広州の広汽トヨタの最新工場を見学した。工場内には「活力、感恩、創新」、「創新工場」などのスローガンが各所に貼ってあった。最終工程では人間の手で検査をする姿が印象的であった。ランプ、ハンドル調整、サイドスリップ、走行テスト、ブレーキの効き具合、排ガス、エンジンルーム、足回り、水漏れ、など。

 直近の2023年11月末の株価の時価総額では、トヨタは日本のトップで45.6兆円。続いてソニーGの16.2兆円、三菱UFGの15.9兆円、キーエンス15.4兆円、ユニクロ11.9兆円、東京エレクトトロン11.3、KDDIは10.7、NTT10.6、信越化学10.5、三菱商事9.9。以上がベスト10。製造業の雄である日立は9.5兆円、日鉄3.3兆円、三菱重工2.8、東レ1.3兆円に過ぎない。世界はどうか。ビッグ・テック5社(GAFAM)は 9.6兆ドル(1404兆円)で、東証全体の875兆円をはるかに凌駕している。

2020年の年初はビッグ・テック4.8兆ドル(523兆円)、中国のBAT3社1.1兆ドル、日本攘夷5社64兆円。2023年11月末ではビッグ・テック9.6兆ドル(1404兆円)、BAT0.6兆ドル(90兆円)、日本上位5社105兆円。ドルベースでアメリカは2倍、中国はほぼ半減だ。日本は円ベースで1.64倍。

さて、トヨタ創業家を中心にが上手にバトンタッチを繰り返しながら、時代の風を利用しながら、成長を続ける姿は圧巻である。

佐吉「障子を開けてみよ。外は広いぞ」。英二「人間も企業も前を向いて歩けなくなったときが終わりだ」「今がピークと思ったら終わりだ」。喜一郎「フォードよりすぐれた方式を打ち立てねば、フォードに勝てません」。章一郎「過去の成功の上にあぐらをかき、自己変革を怠った企業は、時代のうねりの中に沈んでいく運命にある」。章夫「自動車業界が21世紀も必要とされるのか、今が瀬戸際」。そして2023年1月には創業家以外の佐藤恒治社長が14年ぶりに誕生している。

2006年にトヨタで講演をしたとき、当時の副社長が私に語った「ライバルはこわくない。内部崩壊がこわい」という印象深い言葉を思い出した。トヨタの財産は「危機感」の伝統ではないか。