神保町で古本を購入。いつ行っても必ず買う本があるのが神保町。
『漱石俳句研究』(寺田寅彦・松根豊次郎・小宮豊隆著)。漱石の俳句が好きなので。
長谷川伸『戦国行状』。今週水曜日の幸福塾で長谷川伸を取り上げるので。
『一平全集』第5巻(先進社)。岡本太郎研究のため。父が一平。
天婦羅「はちまき」での夫婦の食べ歩きの昼食。
創業6年。江戸川乱歩が愛した店。「てんどん」1200円。隣の新婚旅行中のアメリカ人夫婦とも少し会話。
喫茶「ぶらじる」
喫茶「ミロンガ」
PASSAGE3号店の「深呼吸書店」
ーーーーーーーーーーーーーーー
表参道:セント・パトリックデーのパレード。娘と孫娘がパレードに参加するので見学。セント・パトリックはアイルランドの聖人。3月17日が命日。アイルランドにキリスト教を広めた。この日は世界中がアイルランドののシンボルカラーの緑色になる。毎年1000名が参加。
ーーーーーーーーーー
「名言との対話」3月17日。内田裕也「ロックンロール」
内田 裕也(うちだ ゆうや、1939年〈昭和14年〉11月17日 - 2019年〈平成31年〉3月17日)は、日本のミュージシャン、俳優。享年79。
兵庫県西宮出身。プレスリーに憧れて、音楽活動に入っていく。佐川満男、中村泰士、かまやつひろし、寺内タケシらと交流する。
1960年に日劇「ウェスタンカーニバル」でデビュー。フラワー・トラベリン・バンドなどを結成。1960年代中ごろからロック色を強めていく。そしてロックコンサートやイベントをプロデュースしていく。
1973年、初のソロアルバムを発表。悠木千帆(後の樹木希林)と結婚。1974年に第1回ワールドロック・フェスティナルを主催。
1970年代後半からは映画俳優として活躍する。俳優としては「赤目四十八瀧心中未遂」などに出演。映画製作も手がけ、「十階のモスキート」「コミック雑誌なんかいらない」などで映画賞を受賞した。
内田裕也にはヒット曲はないが、イベントプロデューサーとしての才能もあったようで、「打倒! NHK紅白歌合戦」をテーマに、1973年12月から年越しロックコンサートを開催した。このイベントは、亡くなる2019年まで毎年開催された。2004年からは、中国の北京、」上海、韓国のソウル、アメリカのニューヨーク威、カナダのトロント、イギリスのロンドン、台湾の台北、ロシ派のモスクワと開催国が拡大していった。2007年からは、ニューイヤーズワールドロックフェスティバルという名称となった。5ヵ国6都市での同時開催もある。国内でも2都市同時開催で、東京と石巻、福島でも開催。内田裕也の広い交友で、多くのアーチストが集まるイベントとなった。
「ロックのドン」と称されている内田は公私ともに常に問題を起こしたという印象がある。妻の樹木希林との離婚騒動、ドラッグの使用、島田陽子との不倫、東京都知事選への出馬、、、、、。。
内田より半年早くこの世から去った妻で名優の樹木希林が、自分と内田は互いに中毒なんです、という言葉を聞いたことがある。
口癖は「ロックンロール」だったように、破天荒なロック的生き方を貫いた生涯だった。冒頭に掲げた1963年の20代前半の写真と、70代の写真を掲載してみて、その違いに驚いた。これほど変わる人も珍しい。ロック的生き方があらわれているのだろう。