西郷らの明治維新から、大東亜戦争の敗北を象徴する特攻隊、そして現代の稲盛和夫まで一気に駆け抜けた二日間。
知覧特攻平和会館。会館
特攻基地で最後の日々を過ごした三角兵舎。
知覧の武家屋敷。
日置市の沈寿菅窯。
14代と司馬遼太郎の交流から生まれた「故郷忘れ難く候」。
最後まで開戦に反対し続けた外務大臣。
鹿児島の維新ふるさと館。
明治維に果たした鹿児島薩摩藩の全貌が見える優れた施設。
維新ロード。西郷隆盛誕生跡。
西郷さんの影響力は、郷中教育にあった。
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「名言との対話」6月11日。岡本一平「神はある点において悪戯好きの性質がありはしないかと思はしめる」
岡本一平(おかもと いっぺい、1886年(明治19年) 6月11日ー1948年(昭和23年) 10月11日)は、日本の画家、漫画家、文筆家、仏教研究家。
北海道函館出身。父は書家の岡本可亭。東京美術学校西洋画科に進学。1910年にかの子と結婚し長男の太郎が生まれた。
1912年に朝日新聞社に入社し、漫画記者として活躍を始める。漫画に解説文を添えた「漫画漫文」スタイルを確立し、「一平時代」を画す。漫画家養成の私塾「一平塾」を開き、近藤日出造らを育てた。社会風刺を盛り込んだ「4コマ漫画」スタイル、長期連載の「ストーリー漫画」を始めた人である。手塚治虫にも影響を与えた、日本漫画の祖である。
1922年には単身で世界一周の旅に出発した。1929年、「一平全集」の刊行を開始。朝日新聞の特派員としてロンドン軍縮会議の取材のため、岡本かの子と息子の岡本太郎、そしてかの子の愛人らを伴って、2年3ヶ月の欧州旅行に出発した。太郎は途中でパリに残った。
1936年に朝日新聞社を退社し、以後岡本かの子とともに仏教の研究に入る。かの子の死後の1940年に再婚。17文字形式の「漫俳」を提唱するなど活躍を続けた。
岡本一平は岡本かの子の才能に惚れ込んで、彼女を世に出すために骨を折り、また妻の愛人と同居するなどの行動は尋常ではない。このあたりのことはもっと知りたいものだ。
書家の岡本可亭、漫画家の岡本一平、小説家の岡本かの子、画家の岡本太郎。この人たちをタテ軸として、同時代に関係した人々をヨコ軸として、描いたら、きっと壮大な日本近代史できるはずだ。ヨコ軸に登場する人物は、北王子魯山人、藤田嗣治、夏目漱石、川端康成、丹下健三、石原慎太郎、、、。一平と同い年の人を調べてみると、八木秀次、高村智恵子、富本健吉、山田耕作らがいる。私の祖父も同じだ。
「漫画漫文」スタイル、「4コマ漫画」、「ストーリー漫画」、「漫俳」などに見るように、岡本一平は創造力の豊かな人物であった。そして、神の悪戯好きを見逃さない眼力でユーモアを発見できたから、多くの人の共感を呼んだのだろう。これを機会に、岡本一平の漫画類にあたってみることにしたい。