3月の寺島実郎の「世界を知る力」:世界の鳴動と日本の自画像

寺島実郎の「世界を知る力」(3月)の図メモです。

前半は世界。後半は日本。


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グラン・マエストロ中川牧三<MakizoNAKAGAWA>~百年のあゆみと~日本イタリア協会 - YouTube

「名言との対話」中川牧三「好きなことをしているうちに、100年たってしまった。うかうかしているんでしょうけど」

中川 牧三(なかがわ まきぞう、本名:中川 牧太郎1902年明治35年)12月7日 - 2008年平成20年)3月18日)は、日本テノール歌手。享年105。

『101歳の人生をきく 中川牧三・河合隼雄』(講談社)を読了した。サブタイトルは「偽物と近道に気をつけろ」である。この本の中で、中川が「世に蔓延する偽者に騙されてはいけません。それに近道を望んでもいけません。」と語っている。そこから採った教訓だろう。

中川は1902年からバイオリンを学ぶ。1920年から声楽とい指揮を本格的に始めた。ベルリン国立高等音楽学校、ミラノ国立音楽院、国立スカラ座歌手養成所、南カルフィルニア大学で学ぶ。イタリア、アメリカでテノール歌手として活躍。1934年、帰国。第二次大戦中は、支那派遣軍総司令部付幕僚および上海陸軍報道部スポークスマンとして日独伊外交を遂行した。戦後は日本にイタリアオペラを実現する一方で、国家水準の審査で名高い「イタリア声楽コンソルソ」を創設した。100歳を超えても現役の音楽家として活躍した。

この本は、26歳年下の心理学者・河合隼雄がインタビュアーとなって、中川の人生と仕事に関する考えを聞き出したものだ。河合隼雄は、101歳ではつらつと指揮棒を振るう姿に感嘆している。

以下、中川の言葉から。

・声楽だけは違う。まず鳴らす楽器づくりからはじめなければいけない。

・多いときには年10回ほど日本とイタリアを往復しています。

この本では、関わった人たちとの交友を述べている。人生が長く、かつ最後まで現役で仕事をしているから、人との出会いは一大絵巻のようだ。

近衛秀麿斎藤秀雄吉田茂三浦環、藤原美江、藤原あき、高木東六服部良一李香蘭谷崎潤一郎外山雄三永田雅一大川橋蔵北大路欣也市川雷蔵勝新太郎、朝日奈隆、、、

この驚くべき人脈はいかにして生まれたのか。まずは、近衛文麿総理の弟の近衛秀麿という、日本のオーケストラにおけるパイオニア的存在を後見人として洋行したことが大きかった。秀麿の周りには世界中の優れた音楽家が集まったから、中川は彼らとは兄弟弟子となるという幸運に恵まれた。

そして国際的コンクールで審査員となって世界中を巡ったことで、審査員クラスの世界の音楽家と親しくなることができた。

第二大戦中に、中川は中国万金総司令部付の幕僚となった。世界一の国際都市でも上海交響楽団で指揮者として活躍し、朝比奈隆服部良一らの文化人を多数招へいしている。

自分より上位の先輩たち、同クラスの音楽家たち、そして多くの後輩たちとの深い交流をしている。そして100歳を越えても現役であったから、その人脈は膨大となったということだろう。実に見事なセンテナリアンだ。

中川牧三は、「歌がなかったら、とうに死んでいたでしょう。オペラとともに、すばらしい音楽とともに、夢の様に過ぎた101年でした」と語り、「好きなことをしているうちに、100年たってしまった。うかうかしているんでしょうけど」と言う。好きなことに没頭して、気がつくと100歳を越えていたというのである。かくありたいものだ。