川嶌眞人『玄真堂と私の歩み』(傘寿記念)ーー「敬天愛人」「不撓不屈」「苦楽吉祥」「温故創新」

川嶌眞人『玄真堂と私の歩み』という232ページの書が届いた。

大分県中津市社会医療法人玄真堂、川嶌整形外科の理事長の川嶌先生の80歳の傘寿を記念して刊行された1冊である。

中津に世界水準の医療を、という志のもと、「敬天愛人」「不撓不屈」「苦楽吉祥」「温故創新」の精神で過ごした42年間の歩みが記されている。

福沢諭吉の旧宅の近くで育ったこともあり、『福翁自伝』などを読み郷土の偉大な先人の影響を受けた。本を読み読書録をつくること、そして目標を定め実践していく習慣を自得する。

川嶌先生の「潜水病と骨壊死」をテーマとした研究は高気圧学会の仲間とともにすすめられ、潜水病、感染症、そして整形外科に治療に有効であることを突き止めた。川嶌先生は日本のみならず、アジアを中心に世界での研究を先導している。今日では脳神経外科、眼科、皮膚科、形成外科、スポーツ医学にも貢献している。

「水滴は岩をも穿つ」こと、そして「一つの道を究めることは世界に通じる」ことを実感しているとしている。

この冊子を読む中で、私の高校の先輩でもある川嶌先生は、福沢諭吉と、前野良沢など多くの蘭学者を輩出した中津の先人医家たちの教えと、天児民和先生という恩師を仰ぎ見ながら歩んできたことがわかる。

中津在住となった老子研究の碩学福永光司(京大名誉教授)に学んだ老荘思想、戦後日本の経済成長を先導した松下幸之助の哲学などの影響も大きいようだ。

内外の活発な行動の中で遭遇する過去と現在の人物たちから学ぶことも忘れてはいない。養生訓の貝原益軒ナイチンゲール日野原重明、、。

この書の特徴は、先人、恩師、偉人などの名言が多く記されていることだ。どんな言葉が好きかで、その人の人となりがみえるのであるが、川嶌先生のアタマとココロを覗いているような感じを受けた。

川嶌先生は、先人に学ぶという歴史認識と、研究を通じた世界認識とを養いながら、地域医療の現場で、世界一流の医療を行おうと奮戦してきた。

私は同郷のよしみで川嶌先生の玄真堂で職員に向けて講演をしたことがあるし、母の医療でもお世話になっている。また、その縁で先生が執筆した数多くの医学関係の歴史書をいただいており、その健脚ぶりにに尊敬の念を持っている。川嶌先生は「学びの人」だ。

私の「新・孔子の人生訓」によれば、川嶌先生は青年期(50歳まで)、壮年期(65歳まで)、実年期(80歳まで)を終えて、いよいよ80歳からの人生の熟年期(95歳まで)、そして大人期(110歳まで)、仙人期(120歳まで)に向けて進んでいくだろう。その尊い歩みは、まだまだ続くという宣言の書となっている。人生100年時代の生き方のモデルになるだろう。ますますのご活躍を祈る。

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「名言との対話」4月4日。國重敦史「小説イトマン事件」

國重 惇史(くにしげ あつし、1945年12月23日 - 2023年4月4日)は、日本実業家 享年77。

山口県生まれ。1968年東京大学経済学部卒業後、住友銀行(現三井住友銀行)入行。渋谷東口支店長、審議役などを経て、1991年本店営業第一部長に就任。1993年丸の内支店長。1994年取締役に昇格。1995年日本橋支店長。1997年本店支配人東京駐在。同年住友キャピタル証券副社長。

1999年からディーエルジェイディレクトエスエフジー証券(現楽天証券)社長を務め、同社の売却を、楽天三木谷浩史会長に提案し、西川善文三井住友銀行頭取との間を仲介。売却に伴い楽天グループ入りし、2005年楽天副社長に就任。2006年楽天証券会長。2008年イーバンク銀行(現楽天銀行)社長。2012年楽天銀行会長。楽天グループのM&Aなどを担った。2014年楽天副会長に就任するが、同年に退任。2015年リミックスポイント社長。

2016年に話題となった国重惇史『住友銀行秘史』(講談社)を読了した。

高収益で有名だった住友銀行の汚点となったバブル謳歌時期の裏で発生した、戦後最大の経済事件「イトマン事件」の実相を、最も身近にいたものとして、1990年3月から1991年7月までの手帳日記で再現したノンフィクション。大企業の奥の院で志を果たそうとするビジネスマンの物語でもある。

著者は当時威力があった内部告発文書「Letter」を大蔵省、新聞社、行内、有力OBなどにばらまいた張本人であった。業務渉外部部付部長として住友銀行内部との葛藤と、それにからんだ伊藤寿永光、許永中らが起こしたイトマン事件の中心にいた一人である。銀行マンとしての首をかけた戦争であった。

四半世紀が経って関係者は物故したり、第一線から退いており、迷惑がかかることも少なくなったとして、関係者は、実名で登場しているから、少しでも関心のあった向きは、よく理解できる構造となっている。磯田一郎、巽外夫、西川善文、樋口広太郎、堀田庄三、土田正顕、坂篤郎、佐藤正忠、、、。

許永中イトマンに絵を売り、その金でイトマン株を買い占めている。自分の金で乗っ取られているようなものだった。そういう構造で住銀が支援していた中堅商社イトマンが揺さぶられていた。

以下、銀行内部に対する著者の感想から。-誰も引き金を引きたくない。-住銀の内部は権力闘争の混じった統制のとれない悪循環。-徹底した減点主義のメガバンク。-バブルでゆるみ、浮かれ、タガがはずれていた。-高い地位にある人間は自分から降りることができない。-社内の勢力図が変わろうとすると、皆変わり身と逃げ足だけは速い。-権力は周囲から腐っていく。-何も決められない。-怒りと焦れ、呆れを通り越して悲しかった。

「権力の頂点にあった人物を引きずりおろすのは重いことだ」「一日遅れたら、一ヶ月遅れたら、それだけどんどん損失が増えていく」。以下は、ようやく磯田会長の辞任、イトマンの河村社長を解任した後の著者の感慨。

-高揚感はまったくなかった。後味が悪かった。抜け殻のようになった。-相変わらず人事ばかりを気にする空気が蔓延。-人事の見立てほど虚しいものはない。-皆、自分のことしか考えていない。いかに自分が安全地帯に逃げれるか。-無力感。

著者はその後、本店営業第一部長、丸の内支店長、取締役を経て、住友キャピタル証券副社長、ネット証券社長、楽天副社長、副会長を経験。70歳になって、新たな事業を始めている。

この本は、バブル期の裏面史を描いているが、また大企業の内幕と実態、その中で保身でうごめく人々の群れの姿を写している。この描写された姿は大小を問わず多くの企業も同じだ。私もそうだったが、読者は自分の組織と自分を重ね合わせながら、身につまされるであろう。

2021年2月3日刊の児玉博『堕ちたバンカー 國重淳史の告白』(小学館)を読了した。

住友銀行の平和相互銀行合併にいたる大蔵、日銀、政治家、住銀らの関係者との迫真のやりとりが記されている。主人公の國重淳史はメモ魔だった。1985年5月22日から、1986年2月5日までの、主人公・國淳史の手帳の克明な記録をもとに書かれたページは131ページあるから全体の4割以上にのぼる。1986年10月に住銀の磯田一郎会長の悲願であった平和相互銀行の合併に成功する。その立役者が國重だった。

谷東口支店長となった國重は「イトマン事件」でさらに活躍する。戦後最大の経済事件となり、遂には磯田の辞任にまで発展する。その経緯は國重の告発書『住友銀行秘史』に詳しい。まだ刊行されていないが、『小説 イトマン事件』とタイトルをつけるべき國重が書いた小説の原稿を児玉は持っている。『住友銀行秘史』の小説版である。2020年11月25日、イトマン事件で男をあげ、ラストバンカーと呼ばれた西川善文のお別れの会には國重の姿があった。

児玉博の取材法は独特だ。対象者に深く迫り、ガードが固い相手の理解者、そして友人にまでなり、ついに本音を白状させる。西武の堤清二東芝西田厚聡、そして國重らは、児玉には本当の姿をみせている。それがすぐれたノンフィクションとなって結実する。

國重との付き合いは20年に及ぶ。この本でも、赤坂のワンルームマンションで失意の國重を訪ねたときにも、掃除をしながら袋に入っている書類を読むことも忘れない。人事発令の紙と國重の表情も見ている。必要な買い物も提案する。こういう「赤心」「一誠」の人には本音を語りたくなるのだろう。結果としてメモが書かれた手帳、小説の原稿、人事発令、などを手にしている。

この本は、『住友銀行秘史』と対で読まれるべき本だ。そして『小説イトマン事件』が世に出たとき、この3部作で日本経済のバブルの様相とその中で暗躍した人たちの姿が歴史に残ることになるはずだ。この本はまだ世に出ていない。