先日、六本木ミッドタウンのサントリー美術館「大名茶人 織田有楽斎」展をみてきた。
織田有楽斎(うらくさい)は、織田信秀の十一男で、13歳年上の次男の信長の弟だ。
織田信長の有力武将の織田長益として活動、本能寺の変以降は豊臣秀吉に仕え、関ケ原の役以後は徳川家康から3万2千石の禄をもらい豊臣秀頼の補佐役として和平に奔走した。
大坂夏の陣の前に隠棲し、以後は再興した正伝院で茶人として活躍する。二人の息子に1万石筒譲渡し、自身は隠居料として1万石を残した。その後、75年の生涯を閉じるという数奇な運命の人だ。
有楽斎は利休に茶を学び、利休十哲の一人に数えられた。正伝院の茶室「如庵」は国宝。
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「FM鎌倉」の「理系の森」の収録を行いました。インタビューは樋口さん、アドバイザーは富山さん。笑いの多い2時間となりました。
3回の放送で、3月16日(土)、3月23日(土)、3月20日(土)の16時半から。再放送はそれぞれ翌週の月曜日。以下、質問のキーワード。
蜃気楼大学。「イコール」。橘川幸夫。。引き寄せのコツ。バイオグラフィー。樋口裕一。JAL時代。図解コミュニケーション。JICA。グラレコ。鳥瞰図。継続力。偉人の共通点。飽きませんか。継続の方法。ブログ。、、、、、、。
以下、1994年開局の鎌倉エフエムの株主リスト。
鎌倉市 | |
松竹株式会社 | |
湘南信用金庫 | |
スルガ銀行 | |
大和證券グループ本社 | |
宗教法人高徳院 | |
株式会社豊島屋 | |
株式会社井上蒲鉾店 | |
グリーンハイヤー株式会社 | |
(株主総数55名) |
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「名言との対話」2月20日。西郷輝彦「自分を甘やかしてはいけない」
西郷 輝彦(さいごう てるひこ、1947年〈昭和22年〉2月5日 - 2022年〈令和4年〉2月20日)は、日本のシンガーソングライター、俳優、タレント。
鹿児島市出身。1964年に「君だけを」で歌手デビューし、この曲と「十七才のこの胸に」で日本レコード大賞新人賞を受賞。同名の映画で銀幕デビュー。1966年には「星のフラメンコ」がリリースから2カ月で50万枚を売り上げる大ヒットを記録する。歌手としては、橋幸夫・舟木一夫と共に昭和歌謡の「御三家」の1人として人気を博した。
ヒット曲は「十七歳のこの胸に」「恋人を探そう」「初恋によろしく」「星娘」など。私もよく歌ったから懐かしい。1964年 - 1973年 10回連続出場している。1966年と1973年は「星のフラメンコ」だった。
1973年以降は歌手活動を縮小し、テレビドラマ「どてらい男」で主演。1975年からは時代劇に進出した。以下、どのような人物に扮していたのかを調べてみた。
- テレビドラマ:遠山金四郎。明智小五郎。田沼意知。阿部正弘。西郷従道。黒田清隆。真田幸村。森繁久彌。徳川家康。松平伊豆守信綱。大石内蔵助。西郷隆盛。勝小吉。
- 映画:沖田総司。浅野内匠頭。服部半蔵。田中角栄。勝海舟。徳川家光。
- 舞台:徳川宗治、遠山金四郎、徳川家光、大石内蔵助。
芸名は郷里の英雄で尊敬する西郷隆盛に因んでいる。その西郷隆盛の役を演じたのは俳優冥利に尽きるだろう。
ドコモ団塊倶楽部出演時に、著書「生き方上手」で「笑って死にたい」の真意は、と問われて次のようにこ答えている。
「50代過ぎて、60代になるとまた違うものが見えて、面白いですよね。人生、本当に楽しいですよ、今。」
「仕事がけっこう面白いんです。新しい発見があって「なんだ、そうだったんだ!」って、やっとわかったようなことがたくさんあるんで、面白いです。」
西郷は「ずっと、一生夢を見続けていたいな」というように、安定した場所にとどまらずに、夢を追いかけた人生だった。そして「自分を甘やかさない」ことを信条としていた。これは西郷隆盛の言葉である。
西郷輝彦の75年の生涯を追うと、歌手での行き詰まりを予想し、俳優業に転じ、そこで森繁久彌という師匠に学び、テレビ、映画、舞台で、次々と新しい役に挑戦する姿が見えてくる。前立腺がんで亡くなったのだが、満足して笑って死んだのだろうと思う。