今日、何をしたか。

  • ブログ:川瀬巴水展。
  • 名言との対話:中坊公平
  • ヨガ教室で1時間。懇親会は25日の16時半に集合し、居酒屋で。
  • 6月の京都のセミナーのタイトルと内容と略歴を仁上さんに提出。
  • 「アクティブ・シニア革命」の編集長日記をnoteに2本。
  • 立花隆の映像をユーチューブでみる。

  ・「エーゲ」「自分史」「猫ビル」

  ・「人間大学シリーズ」の最初の番組。勉強屋。自己教育。

   見当識(誰。どこ。いつ)。パンセ。アリストテレス

  • テレビ:磯田尚史「歴史は繰り返さないが韻を踏む」(マーク・トウェイン
  • 今村将吾『塞王の盾』(オーディブル)で2章まで。
  • AR山ナビ(千葉雄君からのアプリ情報)
  • 「ほんまる」で1冊売れたという連絡あり。
  • 八王子「テク歩」アプリ:昨日の10596歩は15255人中846位。

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【著者紹介】原尞(はら・りょう)、その7つの伝説とは?|Hayakawa Books & Magazines(β)

「名言との対話」5月4日、原寮「わくわくしながら書き進んでいくのが、私の小説の書き方なのかもしれない」

(はら りょう、1946年12月18日 - 2023年5月4日)は、日本推理作家。本名は原 孝。享年76。

佐賀県鳥栖市出身。福岡高校九州大学文学部美学美術史科卒。ジャズ・ピアニスト等を経て帰郷。40代になって小説家を志す。

1988年、『そして夜は甦る」で作家デビュー。30万部。1989年、『私が殺した少女』で直木賞を受賞。52万部。1995年、『さらば長き眠り』。5年かけた作品。2004年、『愚か者死すべし』。9年かけた作品。2018年、『それまでの明日』。13年以上かけた作品。その他、短編集1冊、エッセイ集1冊。

以上にみるように、いずれも「ハヤカワ文庫」から刊行した長編ミステリーは生涯で5作品しかない。30年で5作である。驚くべき遅筆というか、異常な寡作と言ってもいい。

アメリカのハードボイルド作家・レイモンド・チャンドラーをモデルにしている。チャンドラーは探偵小説の生みの親である。彼の探偵小説の主人公フィリップ・マーロウは、私立探偵の代名詞となった。ハードボイルドとは、「非情のスタイル」 「修飾語を極度に削った文章」 「人間の行為を即物的に描いて、主人公の感動を説明する修飾語をほとんど使わない」 「抒情性を排した文体」 「修飾語よりも具体物のイメージにたよる簡潔非情な文体」ことである。チャンドラーにしても長編は7篇しか書いていないから寡作でいいという考えだ。

『私が殺した少女』を読んだ。沢崎という私立探偵が主人公。原の趣味の囲碁とファンの大竹英雄九段、そして80年代の世相などがでてきて懐かしい。内容はどんでん返しが多く、息つく暇もないように、引き込まれる。最後に「あとがきに代えてーー敗者の文学 ある男の身元調査」というタイトルの原寮の文章があった。原寮という人物の身元調査を依頼されたという想定だ。ピアノの才能が乏しいこと、東京での映画関係の仕事をやめて小説を書こうとしていることなどの調査報告の最後に、最初の小説『そして夜は甦る』を探偵事務所の送ってきたというところで終わっている。最後に自嘲的な自叙伝をつけたという珍しい趣向だ。

インタビューや、著者あとがきなどから、原寮の言葉を拾う。

  • 「僕の頭の中の主人公には顔すらなく、彼が人や世の中を見る視線だけがある」
  • 「読者としての経験は誰にも負けない自信があるし、その経験を有効活用するのが僕の書き方なので」
  • テーマの選び方としては、大雑把に設定する。「ハードボイルドの私立探偵の主人公を第一人称で書こう」。「誘拐ものにしよう」。短編では「子どもたちをメインの登場人物にしよう」など。
  • 原寮のミステリーは、「謎めいた進行」、「意外な情報」、「驚かせる」、そして「興味を倍加させる」という手法である。

2018年刊行の『それまでの明日』という最後の作品は実に14年の歳月をかけている。この作品では3.11以前のこの国とそこで生きた人々を描いた。次の作品の構想も決まっていた、『それからの明日』というタイトルで、3.11以後のこの国とそこで生きる人々を描く。これには寿命が間に合わなかった。

残念に思ったかというとさにあらず。「男の美学とか建前に留まらない本当に面白いハードボイルドを書くには、14年はギリギリ常識の範囲内とも思う」と語っている。この居直りともとれる言葉には感嘆した。本当にそう思っていたのだろう。遅筆、寡作を後ろめたくは思わないのである。

小説家は作品を生み出すのに誰もが苦労し憔悴すると思っていたが、原寮はそうではなかった。「すべての小説を愉しみながら面白く書いてきた」という。そして「わくわくしながら書き進んでいくのが、私の小説の書き方なのかもしれない」と述べている。不思議な作家である。