今日は、息子の結婚式。コロナ禍で延期し4年ぶりに開催できた。1歳の娘の誕生祝も兼ねた式。

本日、5月5日の子どもの日は、息子の結婚式。4年前に式を挙げる予定だったが、2020年から始まったコロナ騒ぎで延期していた。ようやく、この日を迎えた。この間、子どもも生まれるなど変化もあったため、式は結婚と娘の1歳の誕生日祝いを兼ねたものとなった。

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息子は繊細であるために苦労もあり、私たち夫婦も、深い感慨を持ちながら、この日を迎えることになった。

晴天の中、会場の選択もよく、流れもスムーズで、とてもいい結婚式となった。「大人になったなあ」というのが私の感想だ。

素晴らしい「青年期」(50歳まで)を過ごして欲しい。私たち夫婦は、よき「実年期」(65-80歳)を生きていきたい。そういうメッセージを書いて渡した。よき航海を祈る!

イラストは、お嫁さんの作品。

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「名言との対話」5月5日。富田勲「いつも『これが最後』と思って曲を書いているんです。、、、子どもの心を忘れず、常に『今』に夢中でいたいですから」

冨田 勲(とみた いさお、1932年4月22日 - 2016年5月5日)は、日本作曲家編曲家シンセサイザー奏者

「これからは宇宙時代。何億年前には海にしかいなかった生き物が生存不可能と思われる陸を目指したように、人類は今や宇宙を目指そうとしています。大変な困難を克服しなければなりません。しかしこれは、生き物にとって受け継がれてきた悠久のロマンではないでしょうか。それは地球全体の国々の心は一つにならなくてはならないでしょう」(2015年9月。国際交流基金賞受賞スピーチ)

手塚治虫は1971年に富田勲氏の音楽をひと言でたとえるなら、脱日本的な第一級の調理師とでもいうべきだろう。、、、グローバルなスケールで第一級の仕事をしてもらいたい。」と語っている。その期待に応えた仕事ぶりだった。

長男の富田勝は「幼少時に感動したものを、ホントに死ぬまで追い続けていたのが富田勲なのだと思います。倒れる1時間前まで創作意欲に満ち溢れ、最後まで前のめりで亡くなっていった父の人生は、本当に幸せだったと思います」と父を述懐している。

「渡り鳥が危険をおかしてまで海を渡るように、 『やらねばならぬ』ことは人それぞれにある。 私の場合それが『音楽』だったのです」

富田先生にはJALのファーストクラスに大吟醸酒を搭載する思い出深いプロジェクトを一緒にして以来、25年の長きにわたって酒友としてお付き合いいただいた。 あの大吟醸を思わせる人格の尊い香りを身近で嗅いでいたことの有り難さ、幸せををかみしめている。 毎年の「秩父富田勲先生を囲む絶品の蕎麦と大吟醸を愛でる会」で蕎麦屋「こいけ」での集まりを中心に、富田先生と一緒に時間を過ごせたのは、ありがたいことだった。

富田勲は、地球を相手に、そして宇宙を相手に、次々と音楽の世界の最先端を切り拓いた。「子どもの心」で「最後」と思って、「今」を燃焼させた見事な人生だ。あの素晴らしい音楽とやさしい言葉が甦ってくる。

以上は、2017年4月22日の「名言との対話」だ。

以下、2016年に親しかった富田先生が亡くなった以降のイベントや思い出を語ったブログをまおとめてみた。親しかった酒友でもあった富田勲先生との交流の歴史をまとめておいた。

2017年

2016年