都築道夫「泣く蝉よりもなかなかに泣かぬ蛍が身を焦がす」。葛原しげる「子どもはいつもニコニコ笑顔でピンピンしていてほしい」。

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「名言との対話」の第6弾の2020年版「戦後編」を編集中。2日ほど書いていない日があったので、作成する。明日は「まえがき」を書くことにします。5月中に発刊予定。

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「名言との対話」11月27日。都築道夫「泣く蝉よりもなかなかに泣かぬ蛍が身を焦がす」

都筑 道夫(つづき みちお、1929年7月6日 - 2003年11月27日)は、日本推理作家SF作家

東京生まれ。学費未納で早稲田実業学校中退。1956年に早川書房に入社。日本語版「エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン」の編集長をつとめる。1959年作家生活にはいり、技巧的な本格推理、ハードボイルド、シート・-ショートと幅ひろく活躍。最終学歴は「小学校卒」と本人がいうように、英語は全くの独学だった。

1961年に長編『やぶにらみの時計』を発表。以後、『誘拐作戦』『三重露出』『キリオン・スレイの生活と推理』などを発表する。ショート・ショートも得意とし、時代小説の推理短編シリーズには『なめくじ長屋捕物さわぎ』、評論集には『死体を無事に消すまで』がある。2001年に半自叙伝『推理作家の出来るまで』で日本推理作家協会賞、2003年には日本ミステリー文学大賞を受賞した。

  「泣く蝉よりもなかなかに泣かぬ蛍が身を焦がす」という浄瑠璃の一節をハードボイルドの精神としてしばしば引用した。蝉は鳴くが光らない、鳴くことのできない蛍は身を焦がさんばかりに光っている。「恋に焦がれて鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす」という都都逸があるように、口に出していうより、口に出していわないほうが、心の中では深く思っているという意味で使っていたのだろう。

ハードボイルド作家の元祖ともいうべきヘミングウェイは、「非情のスタイル」「修飾語を極度に削った文章」「人間の行為を即物的に描いて、主人公の感動を説明する修飾語をほとんど使わない」「抒情性を排した文体」「修飾語よりも具体物のイメージにたよる簡潔非情な文体」とハードボイルドを説明している。必要以上に言わない、説明しないという淡々とした語り口の文章が、逆に読者の感動を呼ぶという意味だろう。

都築は推理小説を「謎と論理のエンタテイメント」であると考えていた。犯人が仕掛けるトリックよりは、ロジックの方が重要である。魅力的な謎と、なぜそのような状況が生じたのかという必然性が論理的に語られるならば、トリックなどなくても推理小説は成り立つ。推理小説におけるトリックは、いわば修飾の多い仕掛けであるとしてとらずに、「軽くても、うまい小説が書きたかった」と述べていた。都築道夫は、推理小説をロジックを中心に書くために、蝉調ではなく蛍調のハードボイルドタッチで書こうとしたのである。

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「名言との対話」12月7日。葛原しげる「子どもはいつもニコニコ笑顔でピンピンしていてほしい」

葛原 しげる(くずはら しげる1886年明治19年)6月25日 - 1961年昭和36年)12月7日)は、日本童謡詩人、童謡作詞家童話作家、教育者。

広島県福山中学(現福山誠之館高校)から東京高等師範学校英語科(現筑波大)に進学。教育実習で訪れた付属小学校で唱歌作曲家の田村虎蔵の音楽授業を参観して感激し、本格的に作詞の道を志すようになった。

卒業後、九段精華高女教諭、同理事、跡見女学校講師として教壇に立ちながら、博文館編集局で児童雑誌の編集にも携わり、自らも複数の雑誌に積極的に投稿した。代表作「夕日」は1921年に「白鳩」に発表している。吉丸一昌の「新作唱歌」(1912年~1916年)と共に、まだ童謡という名は用いていないが、後の童謡運動の先駆けとなった。

作曲家の宮城道雄と親交があり、宮城作品全425曲のうち、葛原作詞の童曲は98曲にも及ぶ。無名だった宮城の後援者として生涯変わらぬ友情を持ち続けた。

一方、高等師範学校の学生を対象に、教育現場での「実演童話」を研究する「大塚講話会」を設立。勤務先の九段精華高女が1945年に戦禍で廃校となったのを機に、故郷の神辺に帰り至誠高女(現戸手高校)の校長に就任した。

代表作の「ぎんぎんぎらぎら」で始まる「夕日」は故郷である神辺町八尋の情景を歌ったものだ。最初は「きんきんきらきら」だったが、小学校2年生の長女に、朝日は「きんきんきらから」だが、夕日は「ぎんぎん」でしょといわれ変更したとの逸話がある。

他に、「とんび」、「白兎」、「キユーピーさん」、「羽衣」、「たんぽぽ」などがある。また「どんどんひゃらら、どんどんひゃらら」の「村祭」も葛原作詞であることが後にわかった。

神辺は菅茶山の出身地だ。2018年に儒者で詩人の茶山の記念館を訪問したことがある。茶山は34歳から私塾「黄葉夕陽村舎」(こうようせきようそんしゃ)を開き、村の子ども達に学問を教えた。林述斎から「詩は茶山」といあわれるほどで、「宋詩に学べ」運動を行った当代一の詩人であった。この茶山が私塾を「黄葉夕陽村舎」となずけたのは、夕日が絶品だったからだが、葛原はその夕日を題材とした童謡をつくった。それが代表作となったのである。北原白秋西条八十、野口雨情らとともに知られる作詞家の葛原が作詞した童謡は約1,200、校歌約400にのぼる。

定年後は郷土の子弟教育に尽力し、地元の人たちからも「ニコピン先生」と呼ばれ親しまれた。子どもはいつもニコニコ笑顔でピンピンしていてほしいと願い、自らも実践したからついた名前である。命日の12月7日になると生家の前で「ニコピン忌」がおこなわれる。

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「名言との対話」5月6日。オーソン・ウェルズ「映画にせずにはいられないんだ」

オーソン・ウェルズOrson Welles, 1915年5月6日 - 1985年10月10日)は、アメリカ合衆国映画監督脚本家俳優

アメリカ・ウィスコンシン州ケノーシャ出身。16歳でアイルランドのダブリンにある、有名なゲート劇場で脇役として舞台デビューを果たす。その後、劇団「マーキュリー劇場」を主宰し、シェイクスピアを斬新に解釈するなど、さまざまな実験的な公演を行って高く評価された。『市民ケーン』でアカデミー賞脚本賞を、『オーソン・ウェルズの オセロ』でカンヌ国際映画祭パルム・ドールを、『強迫/ロープ殺人事件』でカンヌ国際映画祭男優賞を受賞。オーソン・ウェルズは、映画、演劇、ラジオの3つの芸術で傑作を作り上げた人物である。

オーソン・ウェルズ 偽自伝』(バーバラ・リーミング。宮本高晴訳。文芸春秋)を読んだ。オビには「巨大な天才児が後世に仕掛けたトリッキーな「遺書」「シュイクスピア俳優として名をなし、ラジオ『宇宙戦争』で全米を驚愕させ、『市民ケーン』を世に問うた。ーーそのとき、彼は25歳だった。「天才」の荷を負った放浪の旅が始まる。旧弊なハリウッドに追われた栄光のジプシーか? 己が才気をもてあそぶ気ままな道化師か? 突然の死を前に明かした、オーソン・ウェルズ「最後の弁明」とある。

20か月以上にわたってインタビューし続けた著者によれば、頭が切れ、機知に冨み、辛辣で、魅力的であり、一方で、ずかしがり屋で、内省的で、傷つきやすい人であった。

 「自伝」の前に「偽」をつけて「偽自伝」となっている。それはオーソンが巨大で複雑な人物であることを想像させる。

インタビューの過程でオーソンが語るイメージの数々は、魔術者のようだった。「映画にせずにはいられないんだ」とオーソンは笑い、最後に「ただ誰もそうさせてはくれないのさ」という自嘲で終わっている。ハリウッドの映画ビジネスは一筋縄ではいかない魑魅魍魎の世界であり、オーソンにしても十分な仕事ができなったのであろう。

ハリウッドでも、政治の分野でも大きな影響力のあったオーソンの言葉をいくつか、拾ってみよう。

社会や人生について。「人種差別は人間の本性ではない。それは人間性の放棄だ」「芸術の敵は、限界です」「時は流れ去らない。それは積もるのだ」。

自分については、「私は成果よりも実験に価値を見出す」「私は枠に、自分をはめたくない」と信条を明らかにしている。実験を重ね、枠からはみ出し、限界に挑む人なのだ。

「イングリッシュ・アドベンチャー」という英語教材がはやったことがある。私も「家出のドリッピー」を一時よく聞いてきた。髭もじゃのおじさんの広告で有名なストーリー教材で、ベストセラー作家シドニシェルダンの脚本と、有名俳優オーソンウェルズの低い重低音のナレーションで、魅力的だったことを思い出した。

ところで、 アメリカの伝記は膨大な量であることにいつもどおり驚いた。私は日本の歴代首相の回顧録などを読んできたが、鳩山一郎村山富市宮澤喜一竹下登ら、すべて大型の書物ではない。外国の著名人はどうか。私が読んだ中では、ニクソンサッチャード・ゴールリー・クアンユー金日成などの政治家の回顧録はぶ厚い書物になっている。それは、ロックフェラー、ジャックウェルチなど経済界の大物の場合も同様だ。オーソン・ウェルズの場合も、531ページのハードカバーで、さらに人名索引と題名・事項索引もきちんとついており、歴史の審判に耐えるしろものである。

英国の伝統を引き継いで「自伝文学」というジャンルがアメリカにはあり、隆盛を誇っている。アメリカには伝記作家(バーバラ・リーミングは「伝記作者」を言っている)という職業が存在していることも含め、歴史を残すという意味での「記録」ということを重視している。このあたりは少し深掘りしてみたい。 

オーソン・ウェルズ偽自伝

オーソン・ウェルズ偽自伝