「幸福塾」は「実年期の肖像」の2回目。キーワードは「晩成力。
エンゲルスとマルクス。フランクリンと福沢諭吉。老子。新村出。
以下、塾生の学び。
- 久恒先生、みなさま、本日もありがとうございました。今回は、「実年期(65歳~80歳)」に大事を行った「晩成力」のある方について解説いただきました。「ベンジャミン・フランクリンと福沢諭吉」、「エンゲルスとマルクス」、「新村出」、「山本博」、「樹木希林」、「親鸞」、「津本陽」という一度はその名前を聞いたことがある有名な方々でした。この中で特に印象に残ったのは、「新村出」さんの名言「大器晩成ならぬ小器中成」。彼は「広辞苑」を定年退職後から執筆し79歳で初版を刊行したとのこと。これらのことを初めて知り、とても驚くとともにすごく励まされました。久恒先生が日ごろおっしゃっているとおり、日本人は長命になりましたから、「60歳(還暦)で引退」というイメージは薄れ、ある意味、生活するための稼ぐ仕事だけに没頭するのではなく、自分らしく生きるための活動をする「実年期」の過ごし方が重要であり、そのためには健康で学び続けることが大切なんだと改めて思いました。 しかも私はまさに実年期を迎える年齢になりましたので、今回のお話はとても身近で、だからこそ自分を振り返るきっかけになりました。さてさて、「私は将来どうなりたいんだろう?」。早く夢(ビジョン)を具体的に持って、コツコツと積み上げていけたらと思います。次回のテーマも「晩成力のある人」。楽しみにしていますので、よろしくお願いいたします。
- 久恒先生、皆様、お疲れ様です。本日幸福塾、先ずは久恒先生ブログの話題から。①「矢田部良吉」(1851-1899) 連ドラ「らんまん」でお馴染み牧野富太郎(1862-1957)とは因縁の関係、学問における「発見」「命名」にまつわるトラブルは「あるある」だとか。矢田部は48歳で事故死、一方の牧野は94歳の天寿を全う。良い事悪い事エピソードは夫々に様々だろうが、結局「悪役」「善役」の塗分けには「長生きした」者に分が有り…か?。②一方、助け合って偉業を成し遂げた2人の話題、エンゲルス(1820-1895)とマルクス(1818-1883)、夫々24歳/26歳の時に出会う、マルクス逝去後もエンゲルスが意思を引き継ぎ、「資本論2巻」「3巻」は後年エンゲルスにより完成を見る。青年期:マルクスの手伝い、壮年期:「資本論」執筆開始、実年期で完成。『第2バイオリン』の生涯。③ベンジャミン・フランクリンと福沢諭吉、共に「自伝」が名著、共通点多数。新聞発行、大学・図書館創設、ベンチャービジネスへの支援、「クラブ/ソサエティ」を主催し人物交流促進、早寝早起き、そして双方国における最高額紙幣の肖像となり、共に万人が認める尊敬の対象に!。さて本題、今回のテーマは『晩成力』。「遅咲き」というコトバがあるが、咲こうが咲くまいが「晩年での成功」こそが大事、『終わりよければ…』の考え。「天才」とは晩年の「名人」にこそ相応しい。(ア)新村出(しんむら いずる 1876-1967)、京都帝大を60歳で定年退職し『広辞苑』編纂に着手。以降80歳近くまで継続。まさに『実年期を晩成』した人。山本博(やまもと ひろし 1962-)2004アテネ五輪アーチェリーで銀、20余年かけ、2028ロス5輪では金を目指す。新興スポーツでは食っていけない、平日は勤務、週末は選手、超多忙もいとわない。自分に掛けるコトバを大切にする。「努力は報われない、だから全力で努力、全力が出し切れれば勝てる」…執念!、(イ)樹木希林(1943-2018)、テレビドラマ⇒CM⇒映画と、存在感は拡大。『不器用上等』、演技をヒト一倍工夫、なにくそ魂!俯瞰した・面白がった生き方。肩の力を抜いて生き残れ!。(ウ)親鸞(1173-1263)、浄土真宗の宗祖。鎌倉時代で享年89!世界一長寿の宗教家。70代で著作多数、実年期に活躍。「庶民を救う」考え方を大転換させた⇒キリスト教と同じ概念に宣教師が驚愕(?)。(エ)津本陽(つもと よう 1929-2018)、小説家・剣の達人、得意分野で小説を書き始めた。自分⇒他人⇒剣豪⇒歴史…、70歳台でも3~4冊/年のペースで執筆。まさに晩成!…本日も久恒先生から、偉人・達人たちの情報シャワーをたっぷり浴びる事が出来、なかでも私と同年代の山本選手が語った『自分に掛けるコトバを大切にする』に大いに感銘を受けました。定年まであとわずか、「現役ベテランとして最高のアウトプットを」とついつい焦るあまり『なんであの時そうしなかったのか!』などとクヨクヨする場面もままあるのですが、終わった事に自分を叱りつけたところで良い事は何もなく、ここはひとつ冷静に、『アレは苦しい状況下でのベスト解だった、次は〇〇に気を付けて再発防止、ヨシ!』とけじめをつけて下手に引きずらない。そういう小さな工夫の積み重ねで生き抜け!とエールをもらった気持ちになれた事が本日の収穫となりました。併せて「フランクリン&福翁」共通エピソードとして語られていた『若い時の話は失敗談だらけ』『日記をつける習慣』も興味深かったです。失敗だらけで日記など付けてたら落ち込んでしまうところですが、きっと『ポジティブワード』でひとつひとつ気持ちに区切りをつけて果敢に明日に臨んでいたのではないか、と胸が熱くなりました。先述の「エール」ですが、職場での小さな試みに「イイね」を頂けた事例をご紹介したので、図と共にアップ致します。7月5日図解塾で当方よりご紹介した日立製作所フェロー矢野和夫氏による『応援し合う集団が強くて柔軟な組織を形成するカギとなる』という講演において、職場の「タテ」のみならず、「ヨコ」「ナナメ」の者同士が普通に会話し合える職場環境づくりが提唱されていましたが、同時に職場においても、かつて存在した『喫煙ルーム』の雰囲気が出せないか?という意見に基づきトライアルを行いました。題して『the Chatting Sanctuary』(おしゃべりの聖域)。オフィスの一角にある見晴らしの良いスペースに会場を確保、スタバコーヒーの効果も有り、企画は好感触で、週末午後の小一時間行ったテストイベントでは部長はじめ、20名が参加し満員御礼。「好きなクルマ」「高校野球観戦」等の話題で場は盛り上がり、参加者一同リフレッシュする事が出来ました。今後回を重ねて、自然にヒトが集まれるような形に定着させる事が出来ればと、小さいながら手応えを実感する事が出来ました。ありがとうございました、次回も宜しくお願い致します。
- 久恒先生、みなさま、本日は幸福塾ありがとうございました。今日は「実年期の肖像」2回目。65歳から80歳位に偉業を成し遂げた、あるいは努力をしている人についてその業績と人物像、言葉を学びました。マルクスの伴走者であったエンゲルス、「自伝」でも著名なベンジャミン・フランクリンと福沢諭吉、定年後に「広辞苑」を手掛けて完成させた新村出(にいむらいずる)、現役選手であり大学の先生でもあるアーチェリーの山本博氏、味わい深い言葉が魅力の樹木希林、70歳代の著作が多く90歳まで生きた親鸞、剣道3段・抜刀術5段で剣豪小説、歴史小説など生涯168冊を遺した津本陽。それぞれに興味深く伺いました。学んだことは、生涯学び続ける、努力し続けるという姿勢。山本博氏の「アーチェリーを極めたい」「努力は報われない。だから全力で努力する」という言葉、印象に残りました。また「男も女もちょっと古風なほうが魅力を感じる」( 樹木希林) という言葉も、 晩成する力(晩成力) に通じるところがあるようにも感じられ、味わい深いと思いました。実年期の肖像、次回も続くとのことで、楽しみです。
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本日もありがとうございました。晩成力、遅咲きではなく、晩年に成った人の講義でした。本論のマルクスとエンゲルス、お互いいなければできなかった資本論。マルクスの死後実年期に原稿を整理し第2巻と第3巻を刊行。自分は第2バイオリンをずっと弾いているというエンゲルス。二人の関係がすてきだと思いました。フランクリンと福澤諭吉。1世紀ぐらい歳が離れていますが似ているところを並べてお話してくださったので、同じ時代に生きているようでした。日記をつけて自伝があり、後世に残っていき、生き方が引き継がれていく流れを感じました。アーチェリーの先生でもあり選手の山本博、70歳代著作が多い親鸞、実年期に映画出演や著作が多い樹木希林、49歳からの著作が168冊もある津本陽。名前だけを書くとなんのつながりがあるのか?と思いますが、晩成力の方々。実年期に全力で、努力もし、充実されている、土台を作らねばと思いました。
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8月の幸福塾に参加させていいただきました。久恒先生、皆さまありがとうございました。今回は、①エンゲルスとマルクス②ベンジャミン・フランクリンと福沢諭吉③新村出(広辞苑)④山本博(アーチェリー)⑤樹希希林⑥親鸞⑦津本陽についてのお話がありました。印象に残ったことは、②ベンジャミン・フランクリンと福沢諭吉との比較です。ベンジャミン・フランクリンについてはよく知らなかったのですが、福沢諭吉と比較するとよく理解できました。アメリカと日本という別の国で過ごし、100年も違う時代に生きた2人が、似たような共通点があることはとても興味深かったです。ベンジャミン・フランクリンは、独立宣言も起草者で福沢諭吉は、学問のすすめを書いた人ですが、100ドル札、福沢諭吉どちらも紙幣の肖像になっているのも驚きました。(ベンジャミン・フランクリン100ドル札、福沢諭吉1万円札) どちらも共通点があり、福沢諭吉は、慶応義塾大学を作り、フランクリンはペンシルベニア大学を作ったり、国民の知識水準を上げようとしたこと、どちらもお金について詳しい、人材に投資すること、合理的な考え、5時に起床、勤勉、失敗が多い、謙虚などそれ以外にも様々な共通点があり、なぜか不思議に思いましたが、福沢諭吉はベンジャミン・フランクリンを尊敬していたとのことで、福沢諭吉の性格や考え方がもともと似ていたことや尊敬していたことで次第にベンジャミン・フランクリンに似てきたのではないかと思いました。二人の生き方を知ることにより、自分にはない考え方や行動を学ぶことができ大変参考になりました。その他にも③新村出→定年退職後に広辞苑を初版④山本博(アーチェリー)→60歳に今も指導者として選手としてオリンピックを目指されている⑤樹希希林→晩年も人生を楽しみ映画などで活躍⑥親鸞→鎌倉時代に90歳まで活躍⑦津本陽→71歳からも年3~4冊小説を書くなどのお話がありました。どのお話も人生100年時代に必要な晩成力、実年期の生き方について考えさせられる内容でした。感想や発表を共有できたことも、大変興味深い内容が多く、楽しかったです。次回も楽しみにしております。
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久恒先生、本日は幸福塾をありがとうございました。幸福塾で繰り広げられる話を聞いていると、健康維持に気をつけながら、自分が実現したいことに向けて少しずつ努力をしていこうという気持ちになります。もうすぐ50だから、節度を持った生き方をするようにと言われる世界にいる自分にとって、幸福塾は私の希望です。周りは年齢で私を縛り付けてくるけど、私は私自身を年齢で縛り付ける必要はない。周りはどうであれ、私は私の生き方を大切にしていく。そのための一歩として、発する言葉に意識を向ける、美しい言葉を使う。なんていうことが、私から湧き出てきました。
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「名言との対話」8月9日。中沢臨川「テング、テング、テンテング、テテングー。奮え、奮え、テング!」
中沢 臨川(なかざわ りんせん、1878年(明治11年)10月28日 - 1920年(大正9年)8月9日)は、日本の文芸評論家、電気工学者。
長野県中川村出身。旧制松本中学、第二高等学校、東京帝大工科大学で電気を学ぶ。卒業後は、東京電気鉄道(都電)、京浜電気鉄道(京浜急行)で技師として勤務。かたわら、文芸評論、翻訳を発表する。1914年以降は『中央公論』で文芸時評蘭を担当。1916年、故郷に戻り、文芸活動を継続。小説『嵐の前』を発表。1920年、死去。
東京帝大で電気を専攻した中川臨川は、文芸に志があったのだが、それ以外のところで面白いエピソードがあった。
京浜電気鉄道の電気課長時代に、公共の運動場で一般人の体育を奨励しようと、この会社所有の羽田沖合の1万坪の土地を上層部にかけあって提供した。それが「羽田運動場」である。1911年にはストックホルムオリンピックの予選会が行われ、短距離の三島弥彦とマラソンの金栗四三が好成績で選出された。このシーンは、NHK大河ドラマ「いだてん」で広く知れ渡った。あの運動場を提供したのが中沢臨川だった。
この運動場では、アマチュアのスポーツが花開いた。その代表格が押川春波のスポーツ愛好社交団体「天狗倶楽部」だった。中沢はこの団体のナンバー2として活躍した。天狗倶楽部は、野球を中心に相撲、テニス、柔道、陸上、ボートなど多岐にわたる活動を行った。この倶楽部からは、野球殿堂入りを5人輩出した。プロ野球の創生にかかわった押川清、河野安通志、「学生野球の父」飛田穂州、社会人野球の瀬戸頑鉄、スポーツ評論の草分け・太田茂である。他にも「岩手野球の父」獅子内謹一郎、後楽園イーグルズ監督の山脇正治、宮内省野球班を組織した泉谷祐勝、アメリカのプロ野球球団に入団した三神吾朗。まさにそうそうたるメンバーだった。日本初の学生相撲大会も開催している。メンバーリストをみると、画家の小杉放菴、政治家となった尾崎行雄らがいる。
メンバーはそれぞれの分野の天狗だったのだ。この倶楽部のエールは「テング、テング、テンテング、テテングー。奮え、奮え、テング!」だった。この不思議なエールも、「いだてん」で見た記憶がある。
中沢臨川は、志であった「文芸」では名をなさずに、短い生涯を送ったが、「羽田運動場」の開設と「天狗倶楽部」の運営を通じて、日本のスポーツ界に大きな貢献をしたのである。こいいう名前の残し方もあるということを知った。