「福祉図解塾」へ向けて説明会を開催ーー児童福祉関係者が中心メンバー

「福祉図解塾」へ向けての説明会を開催。15名ほどの参加。21時から2時間。冒頭、自己紹介と課題を教えてもらって、図解が役立つことを説明することから始めた。

  • 講義:鳥瞰。全体と部分。構造と関係。文章と箇条書き。日本共通の病。キャリア。ライフデザイン。文明学。歴史。私の仕事。、、、、、
  • 終了後の感想:腑に落ちた。目からウロコ。見える化ドラッカー。相手に合わせる。KJ法。予算獲得時。日本史の図解。

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京都の藤原先生から電話。

梅原猛。CHATGPTfo。磯田道史

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「名言との対話」 6月4日。林隆三「だから私は 人生の大根役者」

林 隆三(はやし りゅうぞう、1943年9月29日 - 2014年6月4日)は、日本の俳優ナレーター

東京四谷出身。物心ついた時は新潟・柏崎。小学校は仙台で過ごす。両親が山形出身であり、微妙に異なる方言の中で育つ。終生人間の生の声としての方言にこだわり、渋みのある演技でドラマ、舞台などで活躍した。

1970年に木下恵介・人間の歌シリーズ『俄』(TBS)に初主演。その後、平賀源内の青春時代を描いた『天下御免』(NHK)に出演し、人気を博す。1974年には映画『妹』(藤田敏八監督)で秋吉久美子と共演し注目を集める。1977年、津軽三味線の名手高橋竹山の若き日を描いた『竹山ひとり旅』に、新藤兼人監督に請われて主演。津軽弁を駆使した鬼気迫る演技で一躍スターと認められ、第1回日本アカデミー賞の主演男優賞を受賞。

その後、テレビドラマは『森村誠一シリーズ』『噂の刑事トミーとマツ』『夢千代日記』』『ザ・ハングマン』『誘惑』、映画は『時雨の記』『郡上一揆』などに出演した。ドラマ「たけしくん、ハイ!」の頑固おやじから大河ドラマ徳川慶喜」の重厚な松平春嶽役まで幅広い役柄を演じた。

 ツアーでは3歳から習い始めたというプロ級のピアノを披露しており、愛の讃歌」をよく弾き語りしていた。ライブでも「ボン・ヴォワヤージュ」を弾き語りして会場を沸かせていた。ヤマハクラビノーバのCMでは「音楽をもっている人はひとつ幸せです」と語りながら、野外劇場で弾く姿を見せていた。

ボランティア活動にも積極的で、重度障がい者の施設に招かれたときには、「ふるさとの空のもとで」などを弾き語った。東北育ちであったことから宮沢賢治をライフワークとしており、短編童話集「虔十公園林」を太く、ソフトで、艶がある声で朗読した。

2011年東日本大震災後は復興支援活動にも積極的に参加。前年に宮城・石巻市でロケを行い、撮影では現地のエキストラの協力の下、完成させた映画「エクレール・お菓子放浪記」の公開にあたって、ギャラを全額、同市復興のために寄付した。

「『夢千代日記』の山根刑事は忘れることができません。素晴らしかったです」と共演した吉永小百合が語ったように「感情を込める」ことができる名優だった。この人の渋い演技は私も好きだった。70歳で亡くなったが、もっと俳優の道を進んでいたら、さらに記憶に残る人間くさい演技を楽しめたのだろう。人には寿命がある。

林隆三は仕事を選んだ。ウソをつくことを仕事とするのが役者だといい、このウソだけはつきたくないと思うときは、出演を断っている。

フランスのシャルル・アズナブールシャンソンの詩に、「お世辞も言えず 頭をさげず うそもつけない 立ち回るのも世渡りも下手 正直なだけ」「たとえ私は 飢えて死んでも魂は売らぬ だから私は 人生の大根役者」。この歌を歌っているうちに、この歌は自分の歌ではないかと気づく。林隆三という名優は、人生においては演技が下手な大根役者という自己認識だったのだ。