名古屋にて「秀吉清正記念館」と「森村記念館」、徳川美術館を訪問

10日に名古屋で講演があるので、前日は入試の振替休日をもらって、東北新幹線東海道新幹線を乗り継いで昼前に名古屋に着いた。まず、訪問した記念館等の簡単なメモを記しておく。


まず、豊臣秀吉(1537−−1598年)と加藤清正(1562−−1611年)を対象とした秀吉清正記念館を訪問する。二人は25歳の年齢差である。秀吉の生誕地・中村の中村公園の中に豊国神社がある。祭神は秀吉だからご利益は「出世・開運・茶道・建設」というのが面白い。またこの神社が毛筆で掲げているおは「夢」と「目標」だった。

この公園の一角に中村公園文化プラザというビルがあり、その2階が記念館となっている。

秀吉から妻の北政所にあてた自筆の書状、明王贈豊太閤冊封文(秀吉を日本国王とするとの文書)、加藤清正連署血判起請文(秀吉と秀頼への忠誠を誓う。血判なのでやや黄土色の血のあとがわかる)、石田三成の自筆密書、加藤清正の手形などが飾ってある。


つゆとをち つゆときへにし わがみかな なにわの事も ゆめの又ゆめ(秀吉の辞世の句)


汝等はひとしく予が股肱腹心なり。使うところはその器に従うのみ(清正)



東区東桜にある森村宣稲記念館を探す。森村宣稲(1872-−1938年)は明治から昭和にかけて活躍した日本画家。森村という家が個人で運営している記念館でビルの谷間の2階建ての建物を記念館として使っている。

りりしい若武者を描いた「日本武尊(やまとたけるのみこと)」、六波羅合戦を描いた「平治物語絵詞」、能衣装の秀吉を描いた夢幻の雰囲気のある「太閤演能図」、蟹、松などを描いた大和絵を観る。大和絵は線だけを使った技法だから、対象を単純化するため線描の力量がないと描けないあしい。大和絵は戦前までは軍国主義の流れの中で存在感があったが、戦後は評価が下がっているから経済ベースにあわずに下火になった。

宣稲の子どもの宣永(美大出身)は洋画風の能の絵を描いている、そしてその子どもが宣高でそれぞれの絵が展示している。私の相手をしてくれた人物が宣高である。この人から大和絵にまつわる時代背景や絵の特徴などを教えてもらう。


時間があったので、次に徳川美術館も訪問する。

尾張徳川家は御三家の筆頭の家柄で62万石。初代の徳川義直(1600−−1650年)から21代の義宣まで続く。この徳川家が集めた美術品2-3万点を収納した美術館で、私立美術館では日本最大でかつ最高の美術館である。財団法人徳川黎明会徳川美術館。全国501館の美術館の中でも珍しい特定公益増進法人の認定を受けており、寄付した人が免税特典を受けることができる。

徳川家康がつくった駿河文庫1万点の遺品から3000点を譲り受けたことから始まった「御文庫」があり、古典から蘭書・地図まであつまった屈指の大名文庫となっている。源氏物語54帖の絵画化である「国宝 源氏物語絵巻」の原本もある。