「同行二人 松下幸之助と歩む旅」(北康利)---向上心と謙虚さ

「経営の神様」と呼ばれ、日経新聞私の履歴書の二度も登場した松下幸之助(1894-1989年)の評伝を、「白洲次郎」や「後藤新平」をテーマに優れた評伝をものした北康利さんが書いている。「同行二人 松下幸之助と歩む旅」(どうぎょうににん)という本である。先日、門真の松下幸之助記念館を訪問して改めてこの人物の偉大さを痛感したところだったので、読んでみた。幸之助の人生を一緒にたどることで、私たちは人生を歩いていく杖を手に入れることができる。
以下は、私が読みながらしるしをつけた、杖となるべき言葉である。
最後にかかげた「道」にも深い感銘を受けたので、すべてを描き抜いておく。
松下幸之助の成功の秘密は、「たゆまぬ向上心と謙虚さ」と筆者は述べている。これはある性格タイプの特徴である「向上心」を極めていったということと、そういうタイプが陥りがちな傲慢さから逃れて「謙虚さ」を身につけたのが成功の原因だと理解できる。人はそれぞれの性格に沿って生きていく。一群の人々にとってモデルとなるべき人物であることは間違いない。そして自分にあった道を歩み続けたということは万人が模範とすべき生き方である。

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・お客が帰る際には、相手の姿が見えなくなるまで見送る。そして見えなくなる寸前、もう一度心をこめて深々礼をするのである。
・彼は物事をいい方向に考えてそれを力に変える、いい意味での楽観主義者であった。
・彼は早熟の天才ではなく、努力で成長していく典型的な大器晩成型だったのだ。
・彼は運を信じて逆境でもくじけず、成功したときんは「運が良かった」と謙虚に思い、失敗したときには、、「努力が足りなかった」と反省した。
・彼の場合、スピーチもまた努力でうまくなっていったのである。
・「人に借りをつくってはいかん、『ギブ・アンド・テイク』ではなく、『ギブ・アンド・ギブ』でいかな」
・企業経営の命題のほとんどすべては松下幸之助という不世出の経営者によってすでに見いだされているのかもしれない。
・「5つや6つの手を打ったくらいで万策尽きたとは言うな」
・いつも寝床にノートと鉛筆が置いてあり、いいアイデアが浮かぶと、せっせとそれを書き留めていたという。
・彼の言葉がほかの人の受け売りではなく、自らの経験を通し、自らの頭で考えて血肉としたものだからだろう。それは「学校の秀才」や「生来の天才」ごときのたどり着ける境地ではない。
・彼はいつも、自分たちの仕事は「聖なる仕事」なのだと言い続けていた。
・「台風一過----大将に叱られると、いつもそん清新な気持ちになった」
・「君の専攻してきたことを一言で説明したらどういうこと?」、「君は何がしたくて松下へ入ってくれたんや?」
・定価でなく、「正価」という言葉を使ったのは、「正当な値段だ」という思いを込めてのことであった。
・「それは私や会社が決定すべきことではなく、社会に決めていただく「ことやと思います」
・「彼は限りなく優しく、限りなく厳しく、限りなく温かく、限りなく冷たかった」(水野博之)
・たゆまぬ向上心と謙虚さこそが、後年「神様」と呼ばれるようになった秘密に違いない。
・「日に新た」
・幸之助が選考にあたって最も重要視したのが「運」と「愛嬌」であった

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自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。広い時もある。せまい時もある。のぼりもあればくだりもある。坦々とした時もあれば、かきわけかきわけ汗する時もある。
この道がはたしてよいのか悪いのか、思案にあまる時もあろう。なぐさめを求めたくなる時もあろう。しかし、所詮はこの道しかないのではないか。
あきらめろと言うのではない。いま立っているこの道、いま歩んでいるこの道、ともかくもこの道を休まず歩むことである。自分だけしか歩めない大事な道ではないか。自分だけに与えられているかけがえのないこの道ではないか。
他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、道はすこしもひらけない。道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。心を定め、懸命に歩まねばならぬ。
それがたとえ遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道が開けてくる。深い喜びも生まれてくる。

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