寺島実郎の「世界を知る力」対談篇ーー天野篤先生(神の手)と千葉敏雄先生(胎児医療)

本日の東京MXテレビの寺島実郎の「世界を知る力」対談篇。

心臓外科医の天野篤先生(神の手。上皇陛下の執刀医)と胎児医療の千葉敏雄先生(日本初のシュバイツアー医学賞受賞)という二人の臨床医との対談。


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以下、図メモ。

黒字は番組をみながらとったメモ。黄色は大事なポイント。

赤は「聞き逃し配信」で二度目に聞いた補足の情報。赤マルは説明のまとまり。

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千葉敏雄先生は、もしかしたら、料理研究家の千葉真知子さんの夫ではないか。仙台で何度か、会っている気がする。

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「遅咲き人伝」の収録。壺井栄今西錦司

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「名言との対話」11月27日。松下幸之助「自分には自分に与えられた道がある」

松下 幸之助(まつした こうのすけ、1894年明治27年〉11月27日 - 1989年平成元年〉4月27日)は、日本実業家発明家著述家松下電器産業(現・パナソニック)。

大阪西三荘の松下幸之助メモリアルホールを訪問して感じたことは、松下幸之助は哲学、考え方、そしてそれを表現する言葉がすばらしい、ということだ。「経営の神様」松下幸之助については、経歴を語るよりも、言葉を拾うことにした。名言というより、金言と呼ぶべき言葉の数々である。

以下にその一部をあげる。

  • 「広告は善。良い製品であればそれを人々に知らせる義務が企業にはある」「ものをつくる前に人をつくる」「一日教養、一日休養」「自己観照」「人間というものの教育を怠った」「人使いのコツは誠心誠意以外にない。そして長所を見ていく」「自分自身で自分を育てていかなければならない」「社員はみんな自分より偉い人だった」「命をかけて仕事をしても命はなくなりません」「朝に祈り、昼に活動し、夜に反省する」「断じて行えば解決していく」「産業人の使命は貧乏の克服である」「先ず人間としての良識を養うこと」「商売は世の為、人の為の奉仕にして、利益はその当然の報酬なり」「商人に好況、不況はない。いずれにしても儲けなくてはならぬ」「「よい経営の根幹は人であることを知らねばならない」「世の多くの人たちの生活を一日一日と高めていく。そこに生産の使命というものがある。その尊い生産の使命を果たしていくためには会社に資金が必要である。その資金を利益のかたちにおいて頂戴するのである」「企業は社会の公器である」
  • 「運があるという信念ができたら、人間強うおますな。自分は運が強い、そう考えたら、一生懸命やればいい仕事ができる、と思えるようになる。そうすれば将来の展望も違ったことになってくる。自分ではどうしようもない運もあるが、与えられた運をそだて上げていくことも大切でしょうね。」
  • 「悩んだり、腹を立てたり、悲観したりすることが社長の仕事である、経営者の仕事である、そういうものがなかったら経営者の生きがいがないのやと、こういうように考えてからだいぶ楽になったですよ。いまは悩むために自分は存在しているんやな、悩みが本業やなと、こういうような感じをもつようになったんです。」
  • 指導者は地位が高くなればなるほど謙虚でありたい。
  • すべての人を自分より偉いと思って仕事をすれば、必ずうまくいくし、とてつもなく大きな仕事ができるものだ。
  • 寸分の隙もなく、一所懸命やているけれども、余裕綽々としている。これこそ王者の姿だ。
  • 衆知を集めて、事を決するということと、多数決によって、事を決するということは、まったく異なることである。

どの言葉も心に響く。こういう言葉を「金言」というのではないだろうか。経営哲学、経営理念、志、信念、、、。そういう基本が決まれば未来に向けてスタートを切れる。その道は成功への確かな道である。

他のところで拾った言葉。「経営のカンや運を呼び込む力は、経営者自身も現場に足を運ぶことから生まれてくる」。「困難や問題に直面するほどありがたいことはない」「それを克服しようと懸命になることでチャンスが出てくるものだ」

優れた評伝をものしている北康利さんが書いた『同行二人 松下幸之助と歩む旅』という本を読んだ。松下幸之助の人生を一緒にたどることで、私たちは人生を歩いていく杖を手に入れることができる。以下は、私が読みながらしるしをつけた、杖となるべき言葉である。

・お客が帰る際には、相手の姿が見えなくなるまで見送る。そして見えなくなる寸前、もう一度心をこめて深々礼をするのである。
・彼は物事をいい方向に考えてそれを力に変える、いい意味での楽観主義者であった。
・彼は早熟の天才ではなく、努力で成長していく典型的な大器晩成型だったのだ。
・彼は運を信じて逆境でもくじけず、成功したときんは「運が良かった」と謙虚に思い、失敗したときには、、「努力が足りなかった」と反省した。
・彼の場合、スピーチもまた努力でうまくなっていったのである。
・「人に借りをつくってはいかん、『ギブ・アンド・テイク』ではなく、『ギブ・アンド・ギブ』でいかな」
・企業経営の命題のほとんどすべては松下幸之助という不世出の経営者によってすでに見いだされているのかもしれない。
・「5つや6つの手を打ったくらいで万策尽きたとは言うな」
・いつも寝床にノートと鉛筆が置いてあり、いいアイデアが浮かぶと、せっせとそれを書き留めていたという。
・彼の言葉がほかの人の受け売りではなく、自らの経験を通し、自らの頭で考えて血肉としたものだからだろう。それは「学校の秀才」や「生来の天才」ごときのたどり着ける境地ではない。
・彼はいつも、自分たちの仕事は「聖なる仕事」なのだと言い続けていた。
・「台風一過----大将に叱られると、いつもそん清新な気持ちになった」
・「君の専攻してきたことを一言で説明したらどういうこと?」、「君は何がしたくて松下へ入ってくれたんや?」
・定価でなく、「正価」という言葉を使ったのは、「正当な値段だ」という思いを込めてのことであった。
・「それは私や会社が決定すべきことではなく、社会に決めていただくことやと思います」

「道」という至言がある。それを最後に掲げる。

  • 自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。広い時もある。せまい時もある。のぼりもあればくだりもある。坦々とした時もあれば、かきわけかきわけ汗する時もある。
    この道がはたしてよいのか悪いのか、思案にあまる時もあろう。なぐさめを求めたくなる時もあろう。しかし、所詮はこの道しかないのではないか。
    あきらめろと言うのではない。いま立っているこの道、いま歩んでいるこの道、ともかくもこの道を休まず歩むことである。自分だけしか歩めない大事な道ではないか。自分だけに与えられているかけがえのないこの道ではないか。
    他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、道はすこしもひらけない。道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。心を定め、懸命に歩まねばならぬ。
    それがたとえ遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道が開けてくる。深い喜びも生まれてくる

松下幸之助の成功の秘密は、「たゆまぬ向上心と謙虚さ」と北康利さんは述べている。これはある性格タイプの特徴である「向上心」を極めていったということと、そういうタイプが陥りがちな傲慢さから逃れて「謙虚さ」を身につけたのが成功の原因だと理解できる。人はそれぞれの性格に沿って生きていく。一群の人々にとってモデルとなるべき人物であることは間違いない。そして自分にあった道を歩み続けたということは万人が模範とすべき生き方である。

彼は早熟の天才ではなく、努力で成長していく典型的な大器晩成型だったのだ。

松下幸之助は早熟ではなかった。努力を怠らない、大器晩成の人であった。だんだん器が大きくなっていった。大器は晩成する。松下幸之助も遅咲きだったのだ。

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