寺島実郎さんの新著「世界を知る力 日本創生編」(PHP新書)

寺島実郎さんの新著「世界を知る力 日本創生編」を読んだ。ベストセラーとなった前著「世界を知る力」に比べ、精神性の高い内容になっており、心に響く。

世界を知る力 日本創生編 (PHP新書)

世界を知る力 日本創生編 (PHP新書)

東日本大震災から、既に5か月が経った。無力感と閉塞感はいっこうに改善される気配がない。
果たして日本は再生するか、どこに進むか。この問いに対して寺島実郎さんは、日本の歴史を深く知り、その光と影をかみしめ、みずからの頭で思考を重ねていくことでしか方向は提示できないと述べる。
なげやりな絶望による悲観と、根拠のない希望からくる楽観の間を、自力で一歩一歩進んで行く、その思考のプロセスを探る旅を寺島さんは語っていく。

この国難を乗り切るにあたって、現在の日本人が近代化の中で失ってきたもの、それは、「自立自尊」の精神であると寺島さんは言う。それは、新渡戸稲造が書いた「武士道」の本質でもある。戦後66年、平和と豊かさを引き換えに日本が失ってきたものは、この自立自尊の精神であった。
私が以前訪れた新渡戸稲造の記念館で、武士道は神道仏教儒教の混合体である、とした資料があり目が覚める思いをした。日本人は神道からは忍耐心、仏教からは慈悲心、儒教からは道徳心を学んだという説明だった。後に二宮尊徳の「神道ひと匙、儒仏半匙づつ」という言葉を知って、更に腑に落ちたことがある。
日本の仏教は、大災害の連続と政治の乱れのあった平安末期から鎌倉時代にかけて再生し、世界に突き抜けていく。その頂点が親鸞である。「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という悪人正機説の悪人とは、庶民、つまり小人と考えればよくわかるように思う。君子はもちろん浄土に行ける。そして小人も仏によって救われる。小人を救えない仏教などに意味はないという絶対平等の思想である。

明治維新から約60年後に起こった関東大震災と、第二次大戦での敗北から約60年後に起こった東日本大震災には奇妙な符号があると寺島さんは言う。
韓国併合、中国への対華21か条の要求などによってその反発が表に出てきた時代であり、恐怖心や不安が国民の間に存在し、その恐怖心が関東大震災朝鮮人の大虐殺を招いた。時代は違うが、ネット時代における情報の暴力の動きも注視しなければならない。
また政友会と憲政会がもめている最中に、加藤友三郎首相が死去し、首相不在時であった1923年に関東大震災が発生した。それを機に8年後には満州事変が起こり、大正デモクラシーと国際協調路線にとどめを刺し、泥沼の日中戦争に突入し、最後は太平洋戦争の敗北につながっていった。
政党政治が機能不全に陥って国民の間に苛立ちが高まっている状況は、3・11前後の状況に酷似している。現在、救国内閣や大連立などがささやかれているが、関東大震災と同様に力への盲目的な渇望がその根底にあり、それはファシズムの危険と隣り合わせである。

日本再生にあたっては、対症療法に陥ることなく、体系的に問題の解決の方法を考えていかねばならないと寺島さんは言う。そのためには全体知を持ったトップリーダーのビジョン形成力と仮説設定能力が重要となる。カリスマを渇望するのではなく、システムとしての後藤新平をつくりだし、大きな構想を出していかねばならない。
新渡戸稲造札幌農学校で同期だった内村鑑三の「デンマルク国の話」も示唆に富んでいる。主人公ダルガスはドイツ・オーストリアとの戦争に敗れ、肥沃な土地を失ったとき、デンマーク復興のビジョンを示した。残った不毛の地を沃野に変えていこうというビジョンを指し示し、農業と畜産と植林によってデンマークを一大農業国に実際に変えていった。希望の持てる明確なビジョンを示すことの重要性を改めて感じる逸話である。

寺島さんの答えは、まず産業の創生である。
東北の若い人たちをふるさとにつなぎとめるだけでなく、他の地方からも呼び込む魅力的な産業基盤の構築の必要性を説く。第一次産業における生産法人・流通法人化、集約化・システム化、そして生産から加工・販売までの一貫した株式会社システムでの統合で生まれた利益が地元に還元できる仕組みの構築である。東北から農業・水産業第一次産業の近未来モデルを生み出していかねばならない。
また、この機会に一気に進む気配のある産業の空洞化に対しては、アジアダイナミズムに向き合うために、太平洋側と日本海側をリンクさせる構想を提示している。今回の震災で明らかになったように、岩手と秋田、宮城と山形、福島と新潟の相関をさらに深めることが重要だ。陸海空の総合交通体系を充実させてアジアと向き合う構想が不可欠となると説く。
他にも、首都機能の分散先として岩盤に固い那須を想定し、「杜に沈む副首都機能都市」という大型プロジェクトの構想も提示している。
こういった構想を実現する手立てとして、寺島さんは国民参画型が肝要として、若い世代には各種の復興プロジェクトへの参画、そして高齢者には復興債権の引き受け手としての参画を提案する。

また、寺島さんはエネルギー戦略に関しては、現在3割、そして民主党政権で決めた2030年までに5割とした原子力発電を見直し、原子力は2割、再生エネルギー3割、というベストミックスを提言している。脱原発という流れに飲み込まれずに、一定程度の原発は日本の国際責任という観点から維持すべきであるとしている。
原子力の平和利用という面でのトップ技術を持つ日本の力を、国際責任に使うべきである。原子力の安全利用のための技術蓄積と技術者養成を続けなければアジア地域のエネルギー安全保障に対する影響力を確保できない。核はつくれるがつくらない、という意思と技術で国際社会で発言すべきだと勇気をもって発言している。
人類が開けてしまった原子力というパンドラの箱を閉めるのか、それを制御するのか。技術の力でなんとか、「可制御性」を取り戻すのが、近代主義者の責任だと寺島さんは考える。

日本が戦後大きく失ったもの、もっというと、新渡戸稲造が「武士道」を著した時代に既に消えかけていた「自立自尊」という日本的精神の復興こそが今日の最大のテーマであろう。この点は、日本人の「ココロ」の革命が必要だと考えて、「人物記念館の旅」を続けている私も深く共鳴するところだ。

この書は、地震津波原発という三重苦の中で、混迷を深める日本に、総合的・体系的な答えを提示している。感情的、部分的、刹那的、短絡的な意見や報道に惑わされることなく、問題の本質を踏まえた未来へ向けての構想を考える際に、北極星の存在のようにゆるぎのない視座を提供してくれる本だ。