大江健三郎「沖縄ノート」(岩波新書)

大江健三郎沖縄ノート」(岩波新書)を読了。

45年前の1970年に初版が出ており、2013年9月現在で66刷りとなっているから、長い間にわたって読み続けられている古典的な本である。
著書の大江健三郎は1935年生れだから、刊行時は35歳の若者である。すでに東大在学中に23歳で芥川賞を受賞している新進の作家であった。

1970年という年はいかなる年であったか。
1969年には佐藤栄作総理と米国ニクソン大統領の会談で、米国が持っていた沖縄の施政権を日本への返還するとのが合意がされる。
その1年半後の1972年5月に米国民政府の解散、沖縄復帰関係3法の成立、琉球政府閉庁、そして沖縄開発庁の発足などをが続き、沖縄は日本に返還される。
この日本中が騒然となった時期の出版である。

沖縄ノート (岩波新書)

沖縄ノート (岩波新書)

私の学生時代だから当時の雰囲気はよく覚えている。
思えば、私は大学探検部員として1969年には奄美群島、1970年にはまだパスポートが必要だった沖縄の八重山群島に出かけている。
沖縄・琉球の歴史には深い思いを持っていなかたことを恥じるばかりだ。

大江健三郎の問題意識は、沖縄に差別を強いて来た歴史と現状を土台に「日本人とはなにか」と問い直すことであった。
1965年から始まった沖縄への旅、その途中で出会った沖縄の知識人、民衆などとの接触の中で、感じた、考えたことの表白である。

・嘉手納空軍基地近くには核兵器貯蔵庫がある。
米原子力潜水艦に出入りによって那覇港には一次冷却水が放出され、コバルト60が蓄積された魚介類を食べることになる。
ベトナム戦争で米軍の使っているイベリット毒ガスで、数百名の小学生が皮膚炎を起こした。
・致死性神経ガスがもれる事故があった。

このような事態を隠し、沖縄に押しつけてきた日本とは何か。
大江は、日本人は、多様性を生き生きと維持する点において有能ではない属性をそなえていないのではないかという疑いを持つ。
そして主権のない日本国民である沖縄の民衆にとって天皇とは何かという問いを発する。
全島がむき出しになっている沖縄が核基地としての抑止力に大きな役割を持っているとすると、報復攻撃によって殲滅させられるべき者として米国や日本が把握しているということになる。沖縄は捨石として存在しているのではないか。

慶良間列島における日本軍により強制された集団自決、青年期に絶望的な敗戦を味わったために精神病が本土の2.5倍に達するという現実、、、、。

日本には、いわゆる日本人と北のアイヌ民族と南の琉球民族との多民族国家であると考えるのが正しい。
しかし日本には、日本中心の「中華思想」が根付いているという。具体的知識の欠如と、想像力の欠如によって、日本人は傲然と開き直ってしまうのである。

日本は1952年にはサンフランシスコ平和条約に調印して沖縄を切り離した。
革新勢力が佐藤首訪米時に、核付きの返還にあたり、「本土の沖縄化」に反対するという言葉を使ったことがある。
これなども本土の思い上がりだということだろう。
「醜い日本人」という言葉が沖縄の知識人から発せられるのも歴史的にはうなづける。
知事をつとめた大田昌秀は「かつて醜く、現在醜く、未来にわたってなお醜くありつづけようとすり日本人の本質」を提示している。

60年代の反米闘争と沖縄復帰闘争は、実質的には憲法の空洞化をめざす権力の執拗な動きとその成功をもたらしていると大江は言う。

このような日本人ではないところの日本人へと自分をかえることはできないか、そして憲法22条の国籍離脱の自由を知りながら、なお日本人でありつづけるじぶんにはどのような手だてがあるだろうかと締めくくっている。大江の長い戦いがそれから今日まで半世紀近く続いている。

                                            • -

名言の暦 5月19日

命日

  • 徳川綱吉1709:
  • グラッドストン1898:予は不意にくる一分の空時間を逸せざらんがために常に小冊子を懐中にすることを忘れない。
  • 尾崎士郎1964:あれもいい、これもいいという生き方はどこにもねえや。あっちがよけりゃこっちが悪いに決まっているのだから、これだと思ったときに盲(めくら)滅法に進まなけりゃ嘘です
  • 大谷米太郎1968:たった今から、収入の一割を貯金し給え。
  • 賀来龍三郎1926:もし企業がマーケットシェアを広げ、より高い利益をあげることだけを目的として営まれたならば、おそらく世界は経済的・環境的・社会的に崩壊するだろう。
  • 金田一春彦2004:春風秋雨是人生


誕生日

  • フィヒテ1762:冗談のうちに真実の言葉が語られることがなかなか多いものだ
  • 吉田東伍1864:悪戦僅に生還するの想いあり。
  • 薄田泣菫1877:長い文章なら、どんな下手でも書くことができる。文章を短く切り詰める事が出来るようになったら、その人はいっぱしの書き手である。