「琉球新報」は米大統領選の結果をどう報じているか?

11月から「琉球新報」を自宅に取り始めた。

10日号は「米大統領 トランプ氏」という大見出しである。

やはり沖縄の反応は大きい。本土の新聞の論評とは違い、特に基地問題に関して様様の観点から記事が組まれている。以下、ピックアップ。

  • 翁長知事「いわゆる膠着状態の政治はしないのではないか。どのような対応を取るか、期待しつつ注視していきたい」。知事は歴代知事で初めて祝電を送るという異例の対応をした。
  • 社説「辺野古新基地断念せよ。知事は直ちに訪米すべきだ」
  • 県は「在日米軍撤退の文脈」から、建設の必要性が検証され、解決につながる可能性があると期待している。
  • 「隠れ支持者」読めず。米メディアが失態。
  • 専門家は「安部政権が米軍撤退の議論が持ち上がったことを好機と捉え自衛隊再軍備を進める可能性がある」と指摘した。
  • 「基地どうなる 期待と不安」

10日の琉球新報には「沖縄戦後新聞」が挟まれている。「過去の出来事を現在の視点で」という考え方で編んでいる。好評だった「沖縄戦新聞」の戦後版だろう。当時の状況について、新たな証言、外交文書、政府文書、研究成果などを盛り込み再構成してる。単なる再現ではなく、現時点での歴史的評価を反映している。ジャーナリズムの原点を忘れない優れた企画だ。

10日の見出しは「初公選主席に屋良氏」」。「自民、選挙へ72万ドル、秘密裏投入、米も輸送協力」「日米、公明に接触、屋良氏支持を警戒」。「自ら選ぶ沖縄のリーダー」「革新共闘、戦術が奏。汚職、基地で逆風吹く」「自治権拡大へ弾み」「日米、返還議論加速へ」瀬長亀次郎の写真もみえる。

 

一種の検証報道であるが、本土のマスコミにもこういう企画をやって欲しいものだ。

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  • 上野の国立科学博物館「ラスコー展」:2万前の我々人類ホモサピエンスの先祖・クロマニヨン人が後期旧石器時代にフランス南西部の洞窟に描いた美術のあけぼの。600頭の動物たちが迫真の姿で再現。男性176センチ71キロ。女性164センチ60キロ。現代人と変わらぬ顔と姿。女性の装身具、多彩な狩猟道具、高度な越冬技術、骨・角・象牙などの石器以外の素材の活用、、、、。
  • 渋谷の喫茶店・TOPで橘川先生と会う:「団塊坊ちゃん青春記」の出版打ち合わせ。出版パーティも。
  • 渋谷の東急のレストランでJAL広報時代の女性部下たちと富田勲先生を偲びながら近況交換の食事会。

  第一部 富田勲 イートハーブ交響曲

      「岩手山の大鷲」「剣舞・星めぐりの歌」「注文の多い料理店

      「風の又三郎」「「銀河鉄道の夜」「雨にもまけず」「岩手山の大鷲」

      惑星Planet  Live Dub Mix 火星・水星・木星

  第二部 富田勲 ドクター・コッペリウス

 

宮沢賢治のイートハーブこそは富田勲先生の地上の理想郷であり、天上の理想郷は宇宙であったということが感じられる演奏会だった。大自然と大宇宙が富田先生の世界だ。

悠然。清らか。美しい。宇宙の鼓動。大自然。物語性。高らか。雄大。、、、、、。

富田先生のお顔と精神を感じながらの2時間だった。

宮沢賢治のイートハーブ、そしてドクター・コッペリウスを改めて読むことにしたい。

 

「名言との対話」11月11日。渋沢栄一

「限りない資本を活用する資格とは何であるか。それは信用である」

渋沢 栄一(しぶさわ えいいち、天保11年2月13日1840年3月16日) - 昭和6年(1931年11月11日)は、江戸時代末期(幕末)から大正初期にかけての日本武士幕臣)、官僚実業家第一国立銀行東京証券取引所などといった多種多様な企業の設立・経営に関わり、「日本資本主義の父」ともいわれる。理化学研究所の創設者でもある。正二位勲一等子爵雅号に青淵(せいえん)。

渋沢栄一 雨夜譚・渋沢栄一自叙伝(抄)」(人間の記録41 日本図書センター)を読んだ印象は、「志を持った人」「提案魔」「出処進退がきれい」である。これほどの人物が「財閥」を形成しなかったのは見事だ。

若き日に徳川慶喜に仕えたことから、その後も連絡を取り続け、1911年に慶喜が没した後、1918年の78歳のときに「徳川慶喜公伝」を刊行しているのは人として素晴らしい。

  • 有望な仕事があるが資本がなくて困るという人がいる。だが、これは愚痴でしかない。その仕事が真に有望で、かつその人が真に信用ある人なら資金ができぬはずがない。
  • 限りない資本を活用する資格とは何であるか。それは信用である。
  • 正しい道徳の冨でなければ、その富を永続することができぬ。
  • 畢竟するに老衰とか老耄とかいうのも、新知識の欠乏を意味するに外ならないと考えた。それ故に私も老衰とか老耄とかの誹名を被らぬ様に、常に学び常に新知識の注入に意を用い、更に斃れて後已むの決心を以て進んだならば、国家のために微力を尽すことは困難な業ではあるまいと還暦を迎えて考えたのであった。
  • みじかしと悟れば一瞬にもたらず、ながしと観ずれば千秋にもあまるは、げに人の一生にぞありける。

渋沢は引き続き大蔵省に居ればやがては大蔵卿にもなれる地位にあったが、国を富まし国勢を伸張するために進んで実業界に身を投じている。様様の分野の偉人館をみたが、渋沢は極め付の実業人だと感心している。高い志と具体的提案力と優れた実行力を備えた人物である。その渋沢は人の「信用」こそが、最大の財産であるといっている。何事かをなさんと考える人は、長い間の信用の蓄積こそを第一に心がけるべきだろう。

 

 

「副学長日誌・志塾の風161111」

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