多摩大インターネット放送局「名言との対話」の第13回は、伊丹十三。

多摩大インターネット放送局「久恒啓一の名言との対話」第13回。

映画監督の伊丹十三。エッセイスト、俳優、商業デザイナー、映画監督など多様な才能に恵まれ、名作を残した伊丹十三の人生と名言。

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「副学長日誌・志塾の風170210」

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「名言との対話」2月10日。田河水泡「見栄をはらずに、自分には自分なりの力があることを自覚しましょう・それが真理なのです」

田河 水泡(たがわ すいほう、1899年明治32年)2月10日 - 1989年平成元年)12月12日)は、日本漫画家落語作家。昭和初期の子供漫画を代表する漫画家であり、代表作『のらくろ』ではキャラクター人気が大人社会にも波及し、鉛筆、弁当箱、帽子、靴などさまざまなキャラクターグッズが作られるなど社会現象となるほどの人気を獲得した。手塚治虫に始まるストーリー漫画の先駆者。

深川の芭蕉記念館から徒歩で少し歩くと、田河水泡のらくろ館がある。のらくろとは、家も親もない野良猫の黒の略でRu.高見沢仲太郎(本名)の成績では、図画が悪かった。当時の図画はお手本に忠実に描くことが要求されたからだ。田河水泡は、人気漫画「のらくろ」を1931年から少年倶楽部に連載を始め、1981年まで実に50年にわたって描き続けている。

田河水泡の影響を受けた漫画家は、赤塚不二夫石ノ森章太郎サトウサンペイ、野中満智子、ちばてつや手塚治虫藤子・F・不二雄などがいる。
弟子では、「さざえさん」の長谷川町子がいる。長谷川町子美術館を訪問したときに、そのことを知り、訪問の機会をうかがっていたのだが、ようやく実現できた。90歳の卒寿では、「田河水泡鳩寿と、オタマジャクシの還暦を祝う会」を開いた。田河のサインはオタマジャクシで、サインが成長すり。この会ではついにタマジャクシは蛙にになっている。

東中野に住んでいる家の向かいの富士子と結婚したのだが、その兄は文藝評論の小林秀雄だった。「「のらくろというのは、実は、兄貴、ありゃ、みんな俺の事を書いたものだ」と水泡がいうのを聞いて、小林秀雄は「私は、一種の感動を受けて、目がさめる思いがした。」と書いている。

自分の身の丈にしっくり合った主人公「のらくろ」」を創りだしたから、50年続いた超長寿作品になったのだろう。見栄をはらずに、自分なりの仕事をした。その結果、オタマジャクシが蛙になったのである。見事な人生というべきだろう。