千夜一夜物語。千夜千冊。千朝千言。

2017年の「名言との対話(誕生日編)」は、修正が終わった。後は、ダブリや漏れた日の偉人をピックアップして原稿を追加する段階。後、10数人の言葉と感想を書くことになる。早めに終了させたい。2018年の「名言との対話(平成命日編)」を終了すると、2016年の「名言との対話(命日編)」から3年続くことになる。

アラビアンナイトとも呼ばれる『千夜一夜物語』は、ペルシャの王に妻が毎夜物語る形式で1001夜続けた物語の集大成だ。妻の不貞を知り、女性不信から街の生娘と一夜を過ごしてから次々と首をはねた。この乱行を止めさせるために側近の大臣の娘が妻となって、命がけで毎夜、興味深い物語を語り、「続きは、また明日」「明日はもっと面白い」と話を打ち切った。その物語である。

松岡正剛『千夜千冊』。2000年から書評サイト「千夜千冊」で中谷宇吉郎『雪』から始まり、2004年の良寛良寛全集』で1000夜の業を達成した。胃がんのため中断した後、再び執筆を開始し、2006年5月22日の柳田国男海上の道』で「放埒編」として1144夜を完結。その後、「遊蕩編」「連環編」「番外録」「意表篇」「思構篇」「暦象篇」「分理篇」など8篇を追加。10篇のテーマとしている。

毎日書き続けている私の「名言との対話」も、今年で3年目になるから、今年後半には、千夜を達成することになる。朝に書いているから、千朝か。偉い人の人生と毎朝向き合う時間は「瞑想」の時間だ。当面は「千朝千言」を目指すことにしよう。

 

 

 

「名言との対話(平成命日編)」1月8日。横澤彪(発想のもとになっているのは)少数派ですよ。絶対多数派にいつかない

横澤 彪(よこざわ たけし、1937年12月15日 - 2011年1月8日)は、日本の元テレビプロデューサーフジテレビプロデューサーとして活躍。退社後は吉本興業東京本社代表、専務取締役東京本部本部長などを歴任した。

1974年の『ママとあそぼう!ピンポンパン』。1980年のTHE MANZAI』、それから『らくごin六本木』『スター千一夜』『笑ってる場合ですよ!』『森田一義アワー 笑っていいとも!』『オレたちひょうきん族』などを手掛け、フジテレビの立て直しに一役買った。お笑い界のビッグ3ことタモリたけしさんまをスターダムへと押し上げた。

「60歳の定年を前にして、ボクが転職を決意したのは、残り少なくなった人生を、大好きな『笑い『』に賭けてみたいという、いたって単純な発想でした」

「今のバラエティーを観ていると、ほとんど僕たちの考えたようなやり方、そのままです。これはすごく情けないです。近い将来、こんな調子でテレビが続いてしまうと、『だれだ、最初にこういうことを始めたのは』と、戦犯に挙げられてしまいそうですが(笑)」とだいぶ前に横澤は語っている。現在の「お笑い」隆盛のテレビ番組にも、当てはまる言葉だ。

また、ハイビジョン時代については、「ハイビジョンっていうクリアな画面っていうのも、ちょっとテレビにとってはありがた迷惑」。「(年配の女優は)気の毒っていうかね、もう妖怪みたい」「若者志向になりますよ、どんどんね」とテレビの未来を悲観している。

横澤彪という異能の人は、「笑いを通して社会に貢献」しようと考え、テレビ、吉本興業と一貫して「お笑い」に賭けた職業人生を全うしている。この革命児は、常に「少数」の側に立って、新しいスタイルを追求していった。多数の側によるな。横並びを排せ。先人のマネをするな。そして先人の目指したものを目指して革命を起こせ。冒頭の言葉は、新しいことを始めようとする人にとって大いなる激励である。