『効く「ビジネス書」徹底ガイド』(宝島社)で、8冊の本を紹介。落合陽一「魔法の世紀」。外山滋比古「知的生活習慣」。坂村健「IOTとは何か」。水戸岡鋭治「あと1%を大切にやってみよう」。大村智「一億人を病魔から守った化学者」。寺島実郎「ユニオンジャックの矢」。コリン・パウエル「リーダーを目指す人の心得」。中村修二「考え方、やり方、私の方法」

『効く「ビジネス書」徹底ガイド』(宝島社)が届いた。

 この中で、総勢34名の書籍選者の一人として8冊のビジネス本を以下のように紹介した。

効く「ビジネス書」徹底ガイド (TJMOOK)

効く「ビジネス書」徹底ガイド (TJMOOK)

 

クリエイティブ力を高めたビジネス書 落合陽一「魔法の世紀」

20世紀は情報が平面に展開する映像の世紀であり、21世紀は映像の中の出来事が実世界に踏み出していく時代である「魔法の世紀」である、と著者は主張する。情報が情報世界から染み出していく。それを実現するのは、魔法の箱であるコンピュータだ。魔法とはアートと技術を包括しながら、どちらとも異質の存在だ。今後、誰でも人は魔法使いになっていく。

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 毎日の習慣に影響を与えたビジネス書 外山滋比古「知的生活習慣」

90歳を超えた外山節がさく裂。知的生活習慣を身につけてよりすぐれた人間になることを志すことが新しい生き方だという考え方である。日記を毎日つけて、日々のゴミを出して壮快な毎日を送ろう。図書館は本を読む場所というより、ものを書く場所として活用しよう。

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教養を高めたビジネス書 坂村健「IOTとは何か」

30年ほど前からトロンの開発者として有名な著者だが、トロンの思想は実は現今のキーワード「IoT」そのものだった。「組み込システム開発環境」TRONは「IoT」のコンセプトを世界で最初に提示したのだ。具体的なプロジェクトに沿って実践者として説明してくれている貴重な書だ。

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売り込む力、セールス力を高めたビジネス書 水戸岡鋭治「あと1%を大切にやってみよう」

デザイナーの仕事は、多くの人が望んでいる事、考えている事をしっかり取材して、正しく通訳、翻訳して、それを色、形、素材、使い勝手、サービスに置き換えていく仕事である。オリジナルであればオンリーワンになると主張。それがセールスにつながるのだ。

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「お金」の考え方に影響を与えたビジネス書 大村智「一億人を病魔から守った化学者」

大村は微生物の生産する有用な天然有機化合物の探索研究で優れた業績をあげ、感染症の予防・撲滅に顕著な貢献をしたノーベル賞受賞者。学術研究で稼いだ特許ロイヤリティ収益250億円を北里研究所に還流させた。ビジネスになった場合は特許ロイヤリティを大村に払う仕組みを開発したのが素晴らしい。

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思考力を高めたビジネス書 寺島実郎ユニオンジャックの矢」

著者の1975年以来40年以上にわたる文献研究とフィールドワークによる英国の観察と考察の集大成。生きてきた時代を通じて構築した英国が持つ大英連邦というネットワークの奥の深さ、そして常に「全体知」を目指そうという著者の姿勢に感銘を受ける重厚な書である。

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 マネジメント、リーダー力を高めたビジネス書 コリン・パウエル「リーダーを目指す人の心得」

レーガン大統領はジョークの収集家だったが、パウエルは逸話の収集家であった。そのエピソードがパウエルにとっての人生やリーダーシップの教科書となった。その逸話の主人公たちのおかげでパウエルの人生が形づくられた。すべては人である、これが結論である。

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自己啓発でおすすめのもの 中村修二「考え方、やり方、私の方法」

冒頭の「ノーベル賞に最も近い男」というマスコミ評、最後は「ノーベル賞は通過点」という記述。そして2014年に本当に受賞。この人の魅力は、「独学」という点だ。独力で学び、自分の頭で考え、試行錯誤して問題を解いていく。この姿勢に学ぶべきである。

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・長島部長:杉田学部長と面談。

・松本先生、長島部長と懇談。

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「名言との対話」9月27日。ヒュー・ヘフナー「人生は人の夢を生きるには短すぎる」

ヒュー・ヘフナーHugh Hefner1926年4月9日 - 2017年9月27日)は、アメリカ実業家雑誌PLAYBOY』の発刊者。享年91。

1953年12月に『PLAYBOY』誌を創刊する創刊号はマリリン・モンローのヌードというデビューだった。若い男性の都会的ライフスタイルを提示しようとし、性をタブー視していた当時のアメリカでの「セックスは善である」とする性革命を先導した。1970年代には発行部数は最高の700万部に達する。バニーのロゴを用いたプレイボーイブランドによる事業、「プレイボーイ・ペントハウス」というテレビ番組、会員制の「プレイボーイクラブ」、カジノなどを手がけ、プレイボーイ帝国を築く。

また、自身もプレイボーイとして謳歌した人生の中で、結婚を3回している。23歳で初婚、33歳で離婚。63歳で再婚、年の差は36歳、9年で別居。そして3度目の結婚の年の差は60歳という剛の者だった。『PLAYBOY』の「哲学」を身を持って体現するライフスタイルを続けた。亡くなったときにはモンローの墓の隣に埋葬された。

あらゆる既存勢力の標的となりながら、いちはやく公民権運動に共鳴し、マイノリティーの起用と言論によって、人種差別と毅然と戦った気骨ある正義漢だった。

バブリの頃、日本に進出した六本木のバニーガールがいるプレイボーイクラブには時々顔を出したことがあるが、それをつくったのが、ヘイ・ドナヒューだったのだ。

 ・私は決して成長するつもりはない。若いままでいることは、全て私のためである。

・一部の人々は、これからの人生プランを持っていない。彼らは、ただ諦め、それを乗り越えることができない。

冒頭の言葉の原文は、Life is too short to be living somebody else's dream.である。91年の人生を謳歌したヘイ・ドナヒューは、「私は、不可能な夢を見た。しかし、その夢は、私がおそらくイメージできたであろうものを超えて叶った。私が思うに、私は、地球上で最も幸せな男だ」と述懐しているが、まだまだやりたかった夢はあったのだろう。人生100年時代は長すぎるという人が多いが、逆に夢やテーマをもっている人にとっては、あまりにも短いのである。